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北角の街市にて

(写真はすべてwikipediaより)

日本だったら青果も肉もスーパーで入手出来ますが、香港で暮らす以上、街市に行かず全部スーパーで済ますのはちょっと厳しいものがあります。私が住んでいた当時のマンションは山の上にあり、一番近くの街市に行くのにも足が必要でした。

香港人住民の中にはメイドに買ってきてもらう人もいたようですが、うちは日本人家庭ですから広東語が不自由で、メイドに任せたら頼んだものと違うものを買ってくる恐れもあります。キュウリの絵を描いて見せたらヘチマを買ってこられたという話もあるくらいです。

私の住んでいたマンションには、北角の街市行きのミニバスがありました。あらかじめ数字の書かれた紙のチケットを買っておき、バスに乗るたびに数字を塗りつぶすというシステムです。近隣のマンションにもミニバスを所有しているところがあったので、おそらく同じように北角の街市へと往復していたのだろうと思います。

私が北角の街市に行くときは、必ず母に連れられてこのミニバスに乗って行きました。炮台山道をするすると下り、英皇道を渡り大強街を右折、電氣道を経由して渣華道に入り、北角道で降りて春秧街まで歩くというルートです。

さて、春秧街と言えば店とトラムの距離が近いことで有名ですが、どのくらい近いかというと…

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このくらい。
ちょっと危ないです。

初めて街市に足を踏み入れたときはその強烈な臭いに気分が悪くなりそうでした。
特に肉屋の臭いがすごい。店の天井に羽の長さが70-80cmはありそうな三枚羽のシーリングファンが備えられていてぶんぶん回っているのですが、あまり涼しいわけではなく、臭いを拡散しているだけにしか感じられませんでした。

屠殺は屠殺場で済ませるのでしょうが、解体されたばかりの骨のついた肉が大まかに分けられただけで、作業台の上にゴロンと横たわっています。店員が巨大な包丁でそれを殴るように切り分けているのは、小学生にとってはちょっと怖くも思えました。壁に渡した竿からは肉がいくつもぶら下がっているし…。

生きた鶏が籠の中に詰められているのにも驚きました。昔は自分で絞める人が多かったんですね。当然自宅では無理で、切り身の肉を買ってました。

冷凍の肉屋もありましたがあまりお客の入りは良くないようでした。そりゃそうだ、新鮮な肉がそこらへんあちこちに売っているのに、わざわざ冷凍の肉を買う人が多いわけはない。

面白かったのは蛇屋。口の狭い籠の中に何匹も入っている中で一本ヒョイとつかみ出して、皮を剥ぎ切り身にするのです。ナイフは独特で、Cの字形の刃に取っ手がついたような形状をしていました。そのナイフで蛇の口をこじ開けると、そのまま一気に尻尾の先までスーっとファスナーでも開けるように切ってしまいます。まあなんともよく切れるナイフでした。

野菜は大体同じ店で買っていたようなのですが、買うときにひとつだけ困ったことがありました。
当時は値札が「〡 〢 〣 〤 〥 〦 〧 〨 〩 十」、いわゆる蘇州数字(蘇州號碼)で書かれていたんです。最近はめっきり減ってしまったようですが、当時の値札は完全に蘇州数字の天下で、これが母も私もまったく読めないんですね。

蘇州数字

読めないよ(泣)

当然「幾多錢?」と聞くことになるのですが、読めないからといってボラれるようなことはほとんどなかったようです。理由はわかりませんが、日本人はしつこく値切るということをせず、言い値を吹っかけられると「あそこは高い」と二度と買いに来ないことを知っていたからかも知れません。これが香港人なら言い値が高かろうが安かろうが、どこの店でも値切り倒しますからね。

街市には大排檔を始め大概の食べ物屋があり、常に誰かが何かを食べている場所でもあります。お粥でも麺類でも、皆うまそうに食べているんですが、残念なことに一度も食べさせてもらえませんでした。衛生上の問題と、「ご飯は家で作って食べるから」ということが理由だったようですが、あれは一度くらい食べておきたかった。

ただ、小食みたいなものはよく買って帰りました。おいしい包子屋はここ春秧街が一番多かったですね。香港で包子を買い食いするのを楽しみにしているリピーターも多かろうと思いますが、ここで買う包子は他とどこか違うんです。メイド曰く上海風とのことでした。さすが包子の本場だけのことはあります。
当時上海系の人が多く住んでいたことは後で知りました。
もしかしたらB級グルメではここが一番だったかもしれません。

ケーキ屋もあったんですが、ショーケースに並ぶケーキはなぜかロールケーキばかり。それが合成着色料をじゃぶじゃぶ使っているような不自然な黄色で、食欲を全然そそらないんです。

それ以外では、大きなババロアみたいなぷにぷにしたものがほとんどでした。一度、そのサイズだけはデコレーションケーキ並みの大きなババロアを買って帰ったことがあるのですが、熱と振動に弱いのか、家に着いた時点でびろ~んと伸びてしまっていました。あれはよほど街市の近所に住んでいる人でないと、美味しく食べられないかもしれません。

最近のケーキ屋事情に詳しくないのですが、あのババロアは今でもあるのでしょうか?残念ながら味の記憶がないのです(ってことは大して美味しくなかった?)。

スイーツ(とは言えないかも?)は仙草ゼリー屋もよく見かけました。お店は全て大排檔で、かなり大きな塊をその場で包丁で切って売っていましたが、キンキンに冷えているらしく湯気のようなものが見えました。
見た目でゼリーだと分かるのですが、なにしろ真っ黒なので味が想像出来なくてあまり食べたいとは思いませんでした。これも後悔のひとつ。

ところで、買い物中に日本では絶対ありえない驚きの光景を目にしたことがあります。
上下で同じ柄の服を着た女性が買い物をしていたのですが、よく見るとそれは…パジャマ
日本でも早朝のゴミ出しで寝巻きにサンダルの女性を見たことがありますが、夕方にパジャマ姿で街市に買い物かよ!
財布はどこにしまうんだろう…?用心深い香港人が外から目立つところにお金をしまうわけはないし…?鍵は…?パジャマのポケットなんて用を成さないのに…?

さすがにパジャマ姿の買い物客を見たのは一回きりでした。
街市に限らず、昔(70年代くらい)までは寝巻きで出歩く人がいたようです。
そんな格好で早朝アパートのG floorに下りてきて新聞を買ったり、なんとそのまま飲茶に行ってしまう人もいたそうですから、今の香港では考えられないです。

しかし、もう何年も前から町中のリニューアルが進んでいます。北角はかつてホテル不毛の地だったのに、いつの間にか観光客向けのホテルができていたのには驚きました。今の風景があと何年見られるか全くわかりません。

春秧街のように世界遺産でもなんでもない、観光資源としてはあまり重要視されないような商業エリアは、そこで暮らす人々の事情に常に左右され、変化し続けています。
今日まで健在だった老舗は、明日閉店してしまうかもしれない。
トラムだって、路線廃止になるかもしれない。一時、そんな噂もありましたし。
そこにあった日常が、突然消失する。決して取り戻せない。

生活者ではないわれわれ外国人が、街が便利で清潔になることに反対することはできません。それはわかっています。きれいなほうがいいに決まってます。
が、そんなに画一的な街にしなくてもねぇ…という感じです。
心ある一部の香港人も変わらないでほしいと望んでいますが、現実は厳しいですね。

これは私見ですが、香港上海銀行と中国銀行のビルが相次いで建て替えられた(ちょうど日本のバブル期)あたりから、香港全体の変化のスピードが上がったような気がします。

旅行というものはお金がかかるものですし、日本の会社は有給休暇が取りづらいという、先進国とは思えない事情もありますから、スケジュールが合わずついつい先延ばしにしがちです。

しかし、今ある風景は今しか見られないのです。

北角の街市「春秧街」にまだ行ったことのない読者の方は、出来るだけ早く訪れてみることをお薦めします。
その時は是非トラムで。叮叮!

早く海外旅行ができる世の中に戻りますように。

※2024/5/12追記
春秧街は4月の時点で屋台が一掃されたそうです。
香港最大の魅力の一つがまた失われました。

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