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47歳の私を襲ったこと

53歳で早期退職した私。
事の発端は、5年生の担任をしていた2月に起こったことだった。

今思うと、それまで「0か1か」の思考しかしてこなかった。「やるかやらないか。やるなら完璧に」。
つまり、中庸!ほどほどにやると言うことを知らなかった。寝なくても死なない、やればできるが心情だった。

これは、「もしかしたら音楽家へと思っていたピアノ演奏に関わってくるかも知れない。「完璧に弾く」これは、曲想に自分を入れる前の作業だと思っていた。曲への自分の解釈を入れるのは、完璧に譜面通りに正確に弾けてから。そう言う時代だった。

辻井伸行さんは、私の大好きなピアニストだが、本を読む限り自由で寛大な教育を受け、私のレッスンとはかけ離れたニュアンスで学んだことを直感する。それは、時代だけでなく辻井伸行さんが天才であるが故でしょう。
(ちなみに、辻井伸行さんは、私の娘の1日前に生まれている。)

47歳の2月に、何が襲ったか?
それは、突発性難聴&メニエール病。

全校合唱を聴くと耳に栓をしたように、ピタッと音が入ってこない。
昇降口で、子ども達のざわめきが入るとやっぱりピタッと栓が入る。
職員室入り口で、とびきり高い声の持ち主の先生の声が入るとピタッと何も聞こえなくなる。
ドラッグストアに買い物に行けば、BGMの音楽に反応し何も聞こえなくなる。

それからも、次々と変わる耳の症状に大学病院の先生もを悩ませた。先生のお力が素晴らしく、今は右耳に耳鳴りが残る程度で普通に会話できている。

耳が不調になったのは2月。正に、卒業式の伴奏全般を受け持っていた私。
聞こえなくても、前奏を弾き始めると子ども達が合わせてくれた。何度も何度も、ダメ出しの指導をし厳しく接してきたのに、、、。

流石に、見かねた校長が伴奏全てをピアノ教室の先生に頼んでくれて、本番に弾くことはなかった。

しかし、このことは、ただの耳の不調で終わらなかった!

難聴の治療が始まってまもなく、耳鼻科の先生から、「診療内科にフラッと行ってみましょうか」と。「ことづけておきますから、来週行く気になった日に行ってね」と!

人生が次のステージに移る瞬間だった。
この事は、180°思考方向転換を促す出会いの「始めの一歩」でした。
(10年以上も経った現在も診守って貰っている。)

恐る恐る耳鼻科の先生に言われた通りに行ってみた。

確かにそこには紙にマジックで、「診療内科」と書かれていた。が、数回行くにつれ紙はいつの間にか無くなり、下から「精神科」という活字がしっかりと現れ出ていた。

              つづく、、、

※ こんな長い文を読んでいただきまして、 
 ありがとうございます。

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