ドン底飯に泣きそうになった話

 何でこの切り抜きに泣きそうになったかって、私自身もこういうドン底飯を食べていた時期があってそれを思い出したから。
今日はその辺の話を書きたくなったから書いていこうと思う。

 もう二十年は前になるだろうか。当時の私は親から逃げたい一心で何とか県外に就職し、婚約者と半同棲する形でワンルームのアパートで生活していた。
時々友人が訪ねて来ては一緒に御飯を作ったり、狭いながらも楽しい我が家だった。
住所を教えてないはずの親が訪ねてくるという今思い出してもゲロを吐きそうな事件もあったが、おおむね良い方向に進んでいたように思う。

 けど、当時の私は持病の事など知らなかった。
独り暮らしを始めて数年経った頃、私は職場でぶっ倒れてしまった。
そんなにひどい環境で働いていた訳では無い。翌日、また翌日と三半規管の不調から立つ事もままならずズルズルと休み続け、これ以上会社のお荷物になるくらいならと自主退社を願い出た。
その後も何度か職を転々とするも、一年経たずに体調を崩して辞めてしまう。
そんな事を続けていく内に心がささくれだった当時の私の言動は、忌み嫌っていた父親とそっくりそのままだった。友達や婚約者に甘え切り、礼の一つも言わないクズだった。
仲間内でも私の信頼は地に落ち、ついには婚約者にも愛想を尽かされてしまった。

 この頃の食事が正にドン底飯で、アパートを退去するまでの一年くらいは炊いたご飯に塩を掛けただけのモノを一日二食。それだけで生きていた。
普段はずっと横になっているか、出歩けそうな時は近隣地区の公園を渡り歩いてシケモクを集めていた。
散歩中のお爺さんお婆さんから
「いつも綺麗にしてくれてありがとうね」と言われて心が痛かった。
違うんだよ爺ちゃん婆ちゃん。私はただ煙草を吸いたいだけなんだ。
その為に真っ当に働く事も、婚約者との生活を守る事も出来やしないクズなんだよ。
お駄賃代わりに渡されたお菓子は泣きながら食べた。
いつの間にか、近隣地区の公園で煙草をポイ捨てする人も居なくなった。
公園が綺麗になった事を、お爺さんお婆さん達が嬉しそうに話すのに
「よかったですね」と笑顔で相槌を打っていた。惨めな気持ちだった。
婚約者から別れを告げられたのは、その数日後の正月である。

 そんな事を思い出して、泣きそうになってしまったんだ。

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