津久井やまゆり園について私が聞かれた事、考えた事。

「津久井やまゆり園の事件についてあなたの意見を聞かせて欲しい」

と某全国紙の記者の方からDMがあったのは月曜日の昼頃。

私は

「この平凡と凡庸を煮詰めて溶かして固めた主婦に公器が何を、何を聞くねん?」

そう思い、小心者特有の脊髄反射を駆使し、秒で返信した。

「大変恐縮ですが、私のような市井の主婦が、公器であの大変な事件を語る事など、身の丈に余ります。」

本気で身の丈に余る。

娘と『おかあさんといっしょ』の楽曲に合わせて踊り狂うだけが日常の私に。

しかし、全国紙の記者とは恐ろしい、

「あなたが今育てているそのお子さんに障害があるとわかった時、あなたはどう思ったかを教えてもらえないか」

という旨の返信があった。

食いついたら離さない、新聞記者とはそういうものか。

怖い。

多分事の発端は今年の7月26日にツイートした

「三年前、津久井やまゆり園の凄惨な事件は当時の私には

『遠くで起きた可哀相な事件』

だった。

その一年後、妊娠した娘の重度疾患により突然「生存に膨大な税金を喰う障害児」の母親になり

『私に起こりうる出来事』になった

人生はいとも容易く反転する

やまゆり園は私の事件で貴方の事件。」

これだ。

リツイート1万、いいねが3.2万ついている。

このツイートをした日、津久井やまゆり園の事件から丁度3年を迎えていたが、テレビの報道などは『少し見かける』程度で、世間はそれを何となく忘れかけていたように思う。

そんな雰囲気の中

私のツイッターアカウントをフォローしてくれている方々の中には、娘と同じ疾患の子どもや、その他の障害を持つ子どものママが多い。

そのママ達の何人かが、

「あの事件を忘れないで欲しい」

そうツイートしていて

私はこの障害のある子どもの母の列の後ろのさらに後ろの方に連なる一人として、何か思う事があってこの文章を打ったのだと思う。

それは何と聞かれたら

何だろう

人間40を過ぎると忘れっぽい。

しかし、考えて答えは出すべきなのではないかと、思い至ってしまった。

私は変な所が真面目だ。

しかも、この記者の方が聞いた「お腹の赤ちゃんに障害(疾患)があるとわかった時」と、DMを貰うきっかけを作ったツイートをした時とでは、きっと思っている事が微妙に違う。

それを昨日からずっと考えて、考えて考え過ぎて夕飯の準備中、玉ねぎと共に親指をザックリやった。

某新聞社におかれましては私にケアリーヴを買って支給してほしい。

普段は、大体瑣末な、例えば子どもの言動などをツイートし、noteへの投稿も同じ疾患児のママ達がお子さんの入院付き添い中や診察待ちの間に「フフフ」と一笑して読んで貰える程度の適当な物しか書かないが

私の回答を書いておきたいと思った。

私はどうしてあのツイートをしたんだろう、あの時何を思っていたんだろう。

それを、

下記に返信形式で記したいと思う。

DMを頂きまして、即時お断りの返信をしてしまいました。

その節は大変失礼を致しました。

しかし、考えれば考える程、ご質問頂いた事について、私も私なりに回答を出さないといけないのではないかという思いに至り

ここに簡単に文書を認めました。

これが、ご質問の回答になれば幸いです。

まず、7月にツイートした内容の通り、津久井やまゆり園のあの凄惨な事件が起きた当時、私にはまだ健康上何も問題の無い2人の子どもがいるだけで、あの報道も、ただただ恐ろしく、子どもに見せたく無いな、被害者の方は可哀想だな、という感想しか持っていませんでした。

ただ、あの犯人護送の際の、犯人の何とも言えない形相だけは脳裏に焼き付いていたように思います。

その1年後、待望の3人目の子を身篭り、その赤ちゃんに

「重い心臓疾患があります」

と告げられた時

私は「この子の命はどうなるのか」「無事に産むことはできるのか」という心配よりほんの少し先に

この子は世間から憐れまれたり、疎まれたりする子になるのか、そして私は母親としてその矢面に立つのか

勿論はっきり言語化して思い至った訳では無いですが

そのような『恐怖』に近い感情を抱いたと記憶しています。

そうなる事が恐ろしく

「産むのが怖い」

と言って泣いた事も覚えています。

私達の暮らす世の中はそれなりに世知辛く、障害や重度疾患を持つ人たちが暮らしにくく大変な思いをしている事も多少は見聞きして知ってはいましたが、その時の私に浮んだのは「津久井やまゆり園」のあの事件でした。

勿論、娘とあの場所で被害に遭われた方々とは、障害の分類と言って良いのか、種類がまた異なりますが、障害のある人を、その障害故に殺害したあの凄惨な事件は「世間が障害のある人を排除する」出来事の象徴として私の脳裏にしっかりと刻まれていたのだと思います。

あの犯人の表情と共に。

これから、あんな酷い出来事があった世界で、この子を産んで育てるのか、という強い恐れがそこにはありました。

そしてその恐怖が、胎内の我が子の命を思いやるより先に自分の脳内に到達した事に大変な自己嫌悪を感じた事も覚えています。


それでも、その後娘は無事に産まれ、本当に多くの方々のご尽力により、2回の手術を経て、現在は次の手術を待ちながら、自宅で在宅酸素療法をして暮らしています。

あのツイートをした時は2回目の手術を終えた娘が病院から我が家に帰ってきて2ヶ月程経った頃です。

その時、あの文章を打った私の『津久井やまゆり園』の事件への気持ちというか、あの犯人への気持ちは多分、恐れではなく

『怒り』

だったように思います。

娘のように心臓だけに障害、疾患のある子を1年と少し、命を落とさせる事なく無事に育てあげる事さえ、大勢の方々の協力と、そして親の人生の全てをつぎ込む事になるというのに

この子も、こんな大変な手術を経て懸命に生きてくれているというのに

それを思うと

大切に大切に育てた上に無事に成人にまで(19歳の方もいらっしゃいました)させた子どもをむざむざと殺された親御さんの気持ちはいかばかりかと。

それもあんな理不尽な理由で。

そんな事を世の中が『昔、相模原で起こった凄惨で可哀想な事件』として、安直に過去のものにしてはいけないのではないかと

そう思いました。

そして、あのツイートをしたのだと思います。

もし、あの事件を公器が取り上げて、追い続けますと仰っていただけるのなら

この出来事について、私たちをもっと絶望させてほしいと思います。

「私たちの住む世の中で、かつてこんな酷い事が起きてしまった」

そして、その事についてもっと憤らせてほしいと思います。

「こんな酷い事は許されないのだ」

そうしてあの「凄惨で、可哀想な事件」を、その絶望と怒りで上書きして忘れない事が

私の子や他の障害のある子どもたちを助ける事に繋がっていくと、私は思っています。

そして、これから赤ちゃんをお腹に身篭ったお母さんと、それにつきそうお父さん、そしてそのご家族が

「お腹の赤ちゃんには障害があります」

と告げられた時、

その子の将来が、世の中に迫害され唾棄されるかもしれないという恐怖を第一に抱くのではなく

胎内のその子の命をどうしたら守っていけるのか、そしてどうすればその子を幸せに育てていけるのか、それだけを心配出来る時代を作ってくれるのではないかと思っています。

それは

理想論かもしれませんが。

私は本当にそう思っています。

最後に、『津久井やまゆり園』であの日犠牲になった19人の方々の魂が、今、平安と安寧の元にある事をお祈りします。

あの方々を大切にお育てになった、ご両親、そしてご家族にも、今日の心に平安がありますように。

きなこ

もしかしたら「そんな事を聞きたいのでは無い」「それは貴方の独りよがりだ」と思われるかもしれないし、これを読んでいる貴方もそう思うかもしれない

私は胎内の娘の心臓疾患が分かった時、本当に怖いと思った。

あんな事が起きる世界にこの子を産み落とす事が。

そして、些細な事で自分の世界が反転してしまう事が。

それを忘れないようにここに記しておこうと思う。

新聞記者の方には、これが聞きたい答えだったとしたら、私は嬉しい。

そんな娘は今日も元気にベビーパウダーをひっくり返し、顔面に塗りたくっています。

長文を打つのはもう、私にとって家庭内サバイバルです

それでは。

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きなこ
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