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自立してない。

ことのおこりは昨日の三時間目、うちの六歳ことウッチャンが学校に持って行っているポータブルの酸素ボンベがお友達の足に引っかかり、その拍子にボンベからカニュラ(ボンベにせ接続されている透明なホース)が機械から外れたのだそう、その場合、酸素がボンベから音を立てて漏れてゆくので、そこが静かな場所なら

「えっ?なんの音?」

そのように思って不審に思うようなそれも、子ども達が先生にプリントを見せるために教卓の前にずらりと列を作っていたらしいその当時、誰もそれに気が付かず、ウッチャンは

「だから、自分でがんばってなおしたの」

のだそう。そうか、冷静だな、えらいな。昨日が汗ばむくらいの夏日でよかった。気温が低いとカニュラは硬くなってつけにくいし外れやすく、6歳の子どもの力ではどうにも。

わたしはこの事件のあらましを、ウッチャンがおやつのドーナツを食べている時「そういえば今日こんなことがあってん」と、今日はいいお天気だったねえとか、あたし先生と折り紙してん、くらいのノリで話してくれたことで知り、そしてその場で担任の先生へ確認の電話をした。先生は「気が付かなかった」とのこと。

制限人数一杯、35人の子どもらのぎゅうぎゅうひしめく教室の、全方向から35人の子どもらが「せんせー」と呼ぶ推定60dbの環境下で、あのタイヤの空気漏れに似た「シュー」という微妙を察知して「なにごと?」と異変を察するのは先生が聖徳太子の末裔だとしてもかなり厳しい。わたしは当時の状況を知りたかったけなんです、ええもう本当に。

「この件は先生も、足を引っかけてしまったお友達も誰も悪くないので…」

わたしはそう先生に伝えた。そもそも医療用酸素の取り扱いは先生の仕事ではないし、普通級の担任教師は「みんなの先生」であり、制限人数一杯の子どもの詰まった教室の通路はただでさえ狭い。先生はそれでもまた同じことがおきたら、その場で私に言うようにしてくださいと言った、クラスで起こったことは担任である自分にも責任がある、そう思ったのだろうと思う。

でも当時現場にいた人は特に誰も悪くない、この場合、一番責任があるのは多分わたし。

昨年度に数回実施された就学相談で、わたしは娘が医療的ケア児であるので看護師配置をお願いしたいと伝えてはいたのだけれど、同時に「でもとても元気な子です、この病態ではかなり状態の安定している子です」とも言っていたのだ、なんかもうすごい二枚舌発言。

心疾患児業界では、その子の状態を便宜上「最重度」「重度」「中度」などと分類することがあり、ウッチャンは一応重度になる。最重度になると人生のほとんどを病院で暮らしている子もあり、今日もどこかの病院で未来を生きるために戦っているその子達とその親御さん達の奮闘を思えば、酸素つきでも病院の外の自宅で暮らせているウッチャンとわたしは幸運ですらある、第一、年単位の闘病生活の果てに、ランドセルに触れるどころか、空の青さをその瞳に映すことなく天国に引っ越した子どもだっている業界だ、いちいち「うちの子重い心臓病なんです…大変なんです…」なんて言うのはすこし違うよなと、わたしは思っている。

でもそれは、教育委員会との就学相談の席では封印しておくべき感情だったんだなあ。遠慮とか謙遜は、ここではひとつも美徳ではないんだよなあ。

去年の秋から冬、ウッチャンの就学相談の席で、学校看護師配置が必要か否かの話し合いになった時、酸素の取り扱いに関しては保護者か、医療者のみという決まりがあるのだから、看護師を学校に配置してほしいと言うわたしに、教委の担当者は「常に採用がある訳ではないので…」と言葉を濁し、最終的に出された案が

「体調は安定しているようですし、問題は酸素の扱いですよね、であれば酸素ボンベと酸素濃縮器、双方にカニュラをつけておいてご本人さんに付け替えてもらっては、酸素濃縮器の酸素流量だとか、レギュレーターのメモリの確認は支援員か先生に」

酸素をほぼ本人管理にするというもので「そんなうまくいく?」と思っていたそれはやっぱり上手くいかなかった。実際に入学してみるとウッチャンが支援学級にいる時間は一日1時間程度で酸素濃縮器は殆ど使えない。その上、小学校というのは授業の合間の休み時間が5分間、長休みだと20分、そこに体育の着替えや教室移動を伴う場合もあって1日は目の回る忙しさ、その間に酸素の付け替えをして支援学級にある多目的トイレに立ち寄って、そしてメモリの数値の確認を毎度教員か支援員の誰かにってそんなこと、どうしてできると思った。

そして起きた、昨日の酸素ボンベからカニュラ抜け事件。

思えば、学校でなにかしらの医療機器に関する事故が、カニュラが抜けるとか、レギュレーターが破損するとか、そういうことが起きた際、そしてその場に付き添いのわたしがいない場合、一体どうするべきかのガイドラインをわたしは作っていなかった。入学の際、日々の服薬のこととか、酸素ボンベと酸素濃縮器のこととか、それからウッチャン自身の体調不良、心不全や怪我などの緊急時の対応フローチャートなどの資料は自作して学校に渡していたけれど、機械の破損とトラブルについての項目が抜けていた。本当に忘れていたのだ、完全なるノーマーク。

それで、入学1ヶ月後には「いやそもそもこんなに長い時間普通級で過ごすなんで話、聞いてないし、自力で何とかしてって言った人、誰?出てきて?」ということを婉曲の衣に厳重に包んで「看護師配置はなしという方向性については是非再考をお願いします」ということを電話で伝え、教育委員会の人は現場を見にも来たのだけれど、看護師の新規採用は一朝一夕でなんとかなるものではないだろう。その後1ヶ月間、担当者からは音沙汰がなかったし、待つしかないなと思っていた。

でも親のいない時に限って酸素ボンベからカニュラはすぽんと抜けるし、その上ついこの前、ウッチャンの在籍校に数年前、医療的ケアはないけれど「重度」に分類される心疾患のお子さんが在籍していて、その頃は看護師が学校にいたという事実を人から聞いて知ってしまった。その子の保護者は教育関係の職種の方だそうだ。

わたしは基本的に冷笑主義的なものを嫌うし、まだ「世の中そんなもの」という諦観の中で子どもの可能性の色々を諦めるようなこと一切したくはないのだけれど、この時ばかりはなんというか、剥離骨折程度に気持ちがくじけた。

確かに教育委員会が情報の殆どをクローズにしている就学前相談という高い壁を前に一番善戦できるのは、内部事情を熟知している人だろう。粘り腰の交渉、それか説明と承諾を生業にする弁護士さんだってお医者さんだって、あの「なにもお答えできません、あなたのお子さんのために特別支援学級を設置できるかどうかは2月までわかりません、人事については3月まで不明です」には歯が立たない、主訴も分からんカルテもないでは治療ができないし、訴状がなければ何もわからない。

看護師配置については一度、ウッチャンは訪問看護ステーションと契約しているのだからと、訪問看護ステーションの看護師さん達の訪問先を自宅ではなく、学校にできませんかねということをわたし自身、問い合わせているのだけれど「そうしてあげたいのはやまやまなのだけれど規約があって不可能で…」という回答で、それは叶わなかった。ウッチャンを赤ちゃんの頃からよく知る看護師さんによると、学校で在籍児童のために訪問看護ステーションを利用する場合、市教委が直接市内のいくつかのステーションと契約するのが最適解ではないだろうかとのこと、そしてこの施策は近隣の市区町村で既に実施されているらしい。

ということで、わたしは市教委に「看護師さんの方はどうなってますか?」という旨の確認の連絡を入れる。教委の担当者の回答は「募集はしているんですが…」とは仰るものの、市の広報と市教委のHP掲載だけでそうそう看護師が集まるものだろうか、もうタイミーとかに掲載してもらってくれよという気持ちですこしの間わたしは沈黙した。すると先方は「あっ、例えば普段お家にいらしている訪問看護師さんに来てもらうとかは?」という提案をされたのだけれど、それは先月

「契約している訪問看護ステーションの方に聞いてはみましたが、無理だそうです」

と担当者にわたしが直接伝えているはず、そしてその担当者というのは貴方です。しかし先方はとにかく看護師採用が八方塞がりである今「ご本人の自立を促す方向で…」と繰り返し仰るので、わたしはつい先方の言葉にかぶせるようにして

「6歳児は健常児でも自立なんかしてません」

割にきつい口調でそう言った。ついこの前まで親に尻を拭いてもらっていた年齢の子どもらに自立て。そもそも酸素ボンベの交換なんて、大人の力がないと無理ですよ、設定の間違いとかちょっとした事故なんて、大人でもうかうかしてるとフツーにやります、6歳では医療行為を自立して実施はできません。

しかし、わたしがなにを言おうが願おうが保護者不在の時間に小学校で酸素の機器一式になにかあった時、対応できるのは本人のみという嘘みたいな環境であるのは変わらない、わたしは今週から本人にボンベの交換を少しずつ教えることにした。破損時用の予備のレギュレーターをあらかじめ装着した酸素ボンベを本人が交換する形式であればなんとかなるかな?交換はいつのタイミングで?安心して任せられると思うようになるのに何年かかるのかしらん、酸素は卒業せずにこのまま使い続けるべきと医師には言われているし。

乳幼児期にあれだけ入院して、手術もして、やっとここ数年は落ち着いて外の世界で生活できるようになった子に、今度は「てことで、次は早いとこ大人びてください」なんて急かすことは酷だとは思うのだけれど。

今、思い付く限りの場所に相談してはいるけれど、まだ解決策の見えないこの案件、実のところちょっとこの状況にわたしは落胆しているし、レアケースって孤独のことなんだなあとも思う。それにこれは親の力不足で起きた事だ、とても情けないことだし、ウッチャンに本当に申し訳ない、頑張ってきたけどちょっと疲れたな、お肉が食べたい、赤身の牛肉が良い。

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