見出し画像

pay it forward

私の化粧ポーチと一応は呼んでいる倉敷帆布の小さなポーチの中にはわかりやすい化粧品というものが殆ど入っていない。

それには子どもの薬と消毒液とバンドエイド、小さなハンドクリームのチューブとメンソレータムのリップクリームと、あとはカドがきれいに落とされて楕円形になっている透明のテープが入っている。それは知らない人が見たらちょっと高級なセロハンテープの切れ端のような用途不明のなにか。

これは今を遡ること4年ほど前、まだ世界の誰もが今のように手を消毒しつつマスクをして歩かなくても良かった時代に使っていた『子どもの顔にNgチューブを固定するためのテープ』です、と打つと

「はあ?お子さんの顔に…何かを…張るの?そのNgチューブというのは何?」

大体の方はそう聞きになるでしょう。そうですよね、とうぜんのことですよね。

それは嚥下に何かしらの問題があって口から食事をする事が出来ない子ども(勿論成人の場合もありますが)が、鼻から胃に直接医療用の細い管を通してそこに小さな赤ちゃんの場合はミルクや母乳を、もう少し大きなお子さんだと、特別な栄養剤を時間ごとに流し込む『医療的ケア』のための管のこと。

そのNgチューブというものは常に鼻からちょろりと、子どもによっては景気よくびよーんと、体外に伸びているのですけれど、そのチューブの先には注入器具を接続するための黄色い蓋つきの注ぎ口があって、それが体内に入っている細い管よりもやや重たいもので、そのまま何もしないでいるとここは地球ですから重力で下がって来てせっかく胃まで通した大体30㎝前後の管がつるっと、もしくはぽろりと抜けてしまう。この管というものは手探りの手作業でそろりそろりと、あるいは強引にねじ込むようにして大体はその子の親が入れているものなのですけれど、それがもう大変に高度で強引で気力が勝負の作業なんですのよ奥様。あの頃よくその作業に立ち会っていた弊息子は今でも

「あの頃、大あばれする妹を押さえつけて、お母さんが妹の鼻から通した細い管が口からつるっと出てきた時のショーゲキたるや…」

そう言って嘆息をもらすというかしみじみすると言うか。確かに鼻腔と喉は繋がっているので失敗するとそんなこともあったけど、当時9歳だった彼にはそれがちょっとどころかなり恐ろしかったのだそう、真ん中の娘なんか管の入れ替えの時は別室かお外に逃げていた。相当怖かったのだと言う。すまなかった子どもたちよ。

だからこそ苦労して入れた管が抜けるのを防ぐために鼻の入り口の所で管を顔面にガッチガチに貼り付けておかなくてはならなかった。それ用の透明タイプのテープがいつも持ち歩いている生成り色の化粧ポーチの中に、夏の終わりに冷蔵庫の隅にひっそりと残されたかき氷のシロップのように入っているのです。

もう使うことは、多分ないと思うのですけれど。



4年前、そのテープを生存のための装備品にしていた現在4歳の娘は、今はそのNgチューブ、経管栄養のお世話になる人生を卒業して、その代わりに在宅酸素療法、補助的に酸素を吸入するための透明な管を鼻に取り付けて暮らしています。ただいまは「ご飯がはいらなくなるからやめてよ」と母の私が真剣に訴えてもじゃがりこを離さない、そういう4歳児になりました。

もう経管栄養児であった日々ははるか遠い昔の、解像度の低い8mmフィルムの中の色褪せた夏の日の思い出のようなものであるのに私はこの透明のテープを捨てられない。というのもこのテープ、全く見ず知らずのとても優しい方にいただいたものだから。

4年前のその日、まだ赤ちゃんだった娘を抱いていた私は、大学病院の廊下でたまたま見かけた人に突然

「あの…そのお子さんの顔のチューブを留めている透明なテープ、どこの何っていうテープでしょうか?」

そんなことを聞きました。それは丁度今頃の、夏のことで、それはカーキベージュのワンピースをお召しの当時の私より少し年上に見える上品そうなママだったと記憶しているのですが、その人が

「アッ!これ?予備がありますからよければ差し上げますよ!」

お嬢さんのケア用の諸々が沢山詰まっている大きな帆布のトートバッグからガサゴソとそれを掴んで取り出して私の手に握らせてくれたもの。

その人の連れていた車椅子のお嬢様の顔を不躾なくらいにじーっと見つめてじわじわと距離を縮めて近づき、突然「その、お顔のテープはどこの何ですか?」と聞く女。この時の私がその時のお嬢様と同じ経管栄養用のNgチューブを装備している赤ん坊を抱いていなければ完全に不審者でしかない、それなのに

「お子さん、まだ小さいから大変でしょう、吐く?やっぱり吐きますよねえ、もう少し胃がしっかりしてきたら落ち着かないかしら、しんどかったら先生に相談したらいいですよ、だってお母さんが倒れちゃったら、大変だもの」

にこにこしながら私の体調まで心配してくれたその人の傍らのとても色の白い、小学生くらいのお嬢様は、仰臥の角度までリクライニングさせた車椅子の上で機嫌よくにこにこと何もない病院の白い天井を見ていました。

あの頃、心臓の1回目の手術を終えて生後4ヶ月でやっと帰宅した娘は生後7か月で私が毎日4時間毎の栄養注入と嚥下のリハビリ、それから服薬に体調観察という生活に疲れ果てていました。当時の娘は、というより経管栄養で育つ子は往々にしてそうらしいのですけれど、私が突撃したママの言う通りとにかくよく吐きました。

栄養注入というのは娘の場合点滴のような器具でぽとぽと雫を垂らすようにゆっくりとミルクなり母乳なりを胃にいれていく作業だったのですけれど、これを1時間かけて入れて、終わって即吐きなんて現象のおこることはざら。その時は心臓のお薬も注入しているものだから

「いいいい今、吐いたけれど薬は一体どうしたらいいの、再注入?それだとオーバードース的なアレになるからもういいの?」

そんな風に酷くうろたえ

「そもそもこんなに吐いてばかりでは栄養不良以前に脱水になってしまうのでは」

それにとても怯えていたものでした。その上娘は肌がとても弱くて、経管栄養のためのチューブを留めるテープにかぶれて本来ふわふわのぴかぴかであるべき乳児の頬は常にぶつぶつの真っ赤、いつも痒くて痒くて仕方がなくて頬を掻きむしりついでに鼻から出ている管を掴んで力任せに引っ張る、引っ張ると散々ひっ掻いて粘着力の弱くなっていたテープはあっさりとほどけて管は抜け、そうなるとまた入れ直しをしなくてはならない、イヤだと怒って暴れ腹圧のかかった子どもの再挿管というのはベテランの看護師をしても

「いやこれは難しいわー」

と嘆息をもらすもので、そんな手技をど素人の主婦がやるのだからこのことについては抒情も修辞もすべてかなぐり捨てて『非常に非常にクソ辛かった』。私の人生の3本の指に入る長くて辛くて苦しい1年半。

栄養の注入を時間毎に指定量行わないと子どもはいずれ遠からず死ぬのです、そして薬だってきちんと飲ませないと何しろこの子は治療半ばの心臓疾患児なのから、血栓が閉塞が心不全がおきてやっぱり死んでしまうかもしれない。そんな恐ろしいことの責任を母親である自分がたったひとりで背負うことの辛さと苦しさ。

「後生だからNgチューブを抜く事はしないでほしい」

そう言って娘を拝み、なんでもいいから顔を触らないようにしてほしくて頬がかぶれないための保護剤だとか肌に優しいテープ、そういうものを血眼になって探していました。それこそ病院でたまたま出会った全く知らない人に突然不躾な質問をしてしまうほどに。それなのにそのママの言葉、態度それがひとつひとつ春の陽だまりのように優しく柔らかで

「あたしったら、このテープのメーカーが、メーカーが分からないっ!」

そう言って自分の頭をぽこぽこと叩き始める程「あなたの力になります」という姿勢を全身で体現してくださって、多分連れていたお嬢さんのための予備のテープ、そのての医療用テープは使う時にはがれにくくするためにカドを切って落としておくものなのですけれど、ちゃんとそのように準備されたテープを手に掴めるだけ掴んで私に手渡してくれたのでした。

「頑張って!」

当時病院の地縛霊ですと名乗っても「そうですかー」と皆に納得されてしまいそうなほど茫洋として輪郭のぼんやりとした、ぼろぼろのよれよれの幻のような姿だった私の手を優しくそして強く握ってくれたあの人。

結局そのテープは、薄くて透明でかぶれにくくとても良いものだったのですけれど、Amazonとかそういう所で簡易に手に入らないことに加えて、動きと気性の激しいうちの娘には固定力のやや弱いものであまり使わなかった。それでもあの優しい人から貰ったお守りだと、そんな気持ちで今も化粧ポーチにしまってあるのです。

きっと心のうつくしい人なのだろう。

私は単純にそう思っていた。ヒポクラテスの使いか、小児外来の妖精だったのかもしれないとも。



そして時間は静かに確実に流れ過ぎて現在、4歳の娘が利用している訪問看護ステーションから来てくれている看護師さんが、看護師には守秘義務というものがあるので「詳しい事は勿論伝えられないのだけれど」と前置きしつつも

「娘ちゃんが受給してる色々な手帳とか補助とかそういうのがあるでしょう、そう言うのってどうやって知ったの、保健師さん?MSWさん(メディカルソーシャルワーカー)?」

そんなことを遠慮がちに聞いてきたもので私は

「小慢(小児慢性特定疾病医療証)以外は大体自分で調べましたね」

そう答えた。あの時ゾンビみたいな地縛霊みたいな母親に連れられていた7か月の赤ん坊は4歳7か月児になり今、私は娘の身体条件で利用可能な医療や福祉の補助をいくつか申請して利用したり受給したりしています。多分利用できるものはすべて総ナメにしていると思う。何しろちょっとしたことで命の危ない子を無事に育て上げるには医療も人材もリソースというものがいくらも必要になるもので、助けてもらえるものには助けて貰わないと明日、ふと気が付いた時にビルの屋上のフェンスの向こうに立っているのは孤立してくたびれ果てた自分かもしれない、そういうことが割と冗談にならない業界であるのです。私はこの4年程の間本当に娘と己が死なないように必死でした。

それだから娘が1歳半で取得した障害者手帳も竜虎の戦いだった。障害の認定というのは、特に娘のような先天性の疾患のある子の病態というのか状態が夏の夕暮れの天気の如く変わりやすいものだから

「最後の手術が済んで、状態が固まってからの方が時期としては適当」

主治医にそう言われていたのですけれど、娘が2度目の手術を終えた1歳半の時、私はそれに挙手して否を伝えたのでした。

「今!今困っているので今、診断書を書いてください」

あの時最後の手術がいつになるのか予定はまったくの未定、その間に手帳があるかないかでは貰える補助の額面が違います控除の幅が違います。私はこの頃ひとつも仕事をしていなかったし夫は普通の勤め人でその日の食事には困らないけれど、かと言っていくらでもお金が潤沢に使えますという生活はしていない。それならこの先、病気の子どもを抱えていようが私も働かねば、しかしこの状況で就労ってきるものなのか、社会ってそういう風にできているのか、この先この子を生かすには一体どれくらいの費用がかかるのか、そういうことが一切全く分からなくて、私は未来というものに強い不安を感じていたのでした。

それだからこそひとつひとつ、主治医に意を唱え、市役所で迷子になり、障害福祉課で喧嘩腰の戦いを繰り広げながら、文字通りもぎ取って来た手帳や補助や資格の色々、そのことについて

「福祉のいろいろって一体何が自分の子に該当するのか、誰に聞けばいいのか、担当している若いお母さんが困っている」

そんなことを看護師さんがいうもので私はもういても立ってもられなくなって、本来は娘のために、血圧は大丈夫かお通じはあるか、SpO2が低すぎることはないか、そういうことの確認のために来ていただいている看護師さんの前に、持ち得るすべての受給者証、手帳、それからどこのデイサービスを利用しているか、どういう補助を得ているか、それを並べてこういうものは大体取得できるのではないかしらんと熱弁をふるったのでした。

(貰えるモンは貰わないと、余裕がなければその人にも「自分の子もろとも屋上から飛び降りよう」なんて哀しいことを思ってしまう日が来るかもしれない)

 実は私は、看護師さんが言う「困っているお母さん」のことを知っていました。当然名前も詳細も伏せられていたし私もそれを聞きはしなかったけれどその人は多分、今年の春の入院で一緒のお部屋になった心臓疾患の子のお母さん。少女のように小柄で可愛らしい人で出産は初めての第一子、この先どうしたらいいのかちょっと不安ですと言っていたあの人。あの人が4年前の私のように先が見えないままに不安で、ママに似て小柄だけれど泣き声はうんと威勢の良いあのおチビちゃんを抱えて困っているのか、そうなのか、俺にまかせておけ。

そう思った時、4年前のあの日Ngチューブを固定するテープを私の手にしっかりと握らせてくれたあのママが自分に憑依したのだと、そう思ったのです。あの人は確かに親切でとても優しい人だった、けれど同時にそれは過去の自分と全く同じことに困り果てた人が目の前に突然現れて

「助けないと!」

と瞬発的に思った故のことなのだろうなあと、なんだか突然それを理解したのです。

「自分の立っている世界のひび割れが酷すぎてそれを自力で修正することはかわない、明日、自分は自分をこの手で殺してしまうかもしれない」

そんな窮地に一度でも陥ったことのある人間は、自分と同じまったく境遇にある人をどこかに見つけてしまったら裸足で全速力、道を駆け抜け森を分け入り、その人の傍に駆け付けて助けたくなるものなんだ。

『過去の自分を助けに行く』という行為を一体何と呼ぶのかはよく分からない。それを偽善とよぶ人も存在するのは知っているけれど、これは偽善とも自他境界の透明化ともまた違うような気がするのです。強いて言うなら共生?寄り添い?集合知?ともかくも過去に誰かから貰った愛に似た何かは実体はなくてもどこかで確かに息をして存在し、人の手から人の手に渡るものなのです、少なくとも私はそう思っています。いいじゃないですかこの殺伐とした世界にその程度の、小さく愛しく優しいことがひとつくらいあっても。

そしてついこの前、かの若いママが、特別児童扶養手当の申請を無事済ませたと聞いて私は嬉しい。我々は借りられるものを、他人の知恵も猫の手も何でも借りてこのひび割れた世界を生き抜かなくては。私が貰ったあの日の固定用テープは、今度は福祉手続き情報のもろもろになってあのママに手渡され、そしてまた次の誰かの手に、形を変えて手渡されてゆくのでしょう。

そうやって時間の流れる中に、社会とか福祉とか世の中の仕組みとかそういうものにはもうちょっと頑張っていただいて、私も含めてゾンビのような地縛霊のような親御さんが1人でも減ると、良いなと思うのです。

サポートありがとうございます。頂いたサポートは今後の創作のために使わせていただきます。文学フリマに出るのが夢です!