『津久井やまゆり園事件』の絶望と憤りと、質問の答え。


※この序章としての記事は上記。未読の方はよろしければこちらを。

1・140字のつぶやきから始まった事

『津久井やまゆり園事件』から丁度3年目を迎えた2019年7月26日、私のツイッターのフォロワーの中の特に重度心身障害の子のママ達の何人かがこの事件について呟いていた。

「あの事件を忘れないで」

当時、心臓疾患児の末娘、ここでは便宜上と娘②と呼ぶが、その娘②が当初の予定から遅れる事1年、2度目の心臓手術を受け無事帰宅、体調も安定して、やっと生活も安定してきた。そんな頃だった。

私は、重度心臓疾患を持って生まれた娘②の母親になって1年半、もう自覚的に自分を『障害児の母』だと思っていて、その末席のその末に連なる一人として賛同のつもりでこんなツイートをしたのだった。

そしてその約3か月後、この時つぶやいた140字についてこのツイッターのアカウントにDMが届いた

「あなたにあのツイートの事でお話を伺いたい」

それは聞けば誰でも知っている新聞社からのもので、とても市井の一主婦が気軽にお請けできるような類ものではなく、すっかり恐れ入った私は即時お断りし、それでも一度発してしまった自らの言葉に何か答えられる事はないのかと長考して、考えすぎて料理中玉ねぎと共に親指をざっくりいった挙句、返信のつもりでこの記事の上に貼り付いているnoteに

これは何だろう私信だろうか、

私個人の心情の吐露だろうか、

そんなものを書いて公開した。

それはその時、それを読んだ方から受けた質問だ

「あなたがここに書いた絶望とは何ですか、そして憤りとは何ですか」

私は答えに詰まった。

それは、一体何だろう。


2・『19歳女性』

私は『津久井やまゆり園事件』を恐ろしいと思っていたし、今も恐ろしいと思っている。

それはこの事件の被告個人の残虐性と、事件自体のあらましと、そして何より世間で論じられたこの論題についてだ。

『障害者は必要か』

そんな事が議論に上がる事自体が。

そして、その大きな論題にふんわりと覆われて、これまでこの事件の具体的な姿は報道ではあまり見えてこなかったように思う。

まるで霞がかかったように。

特に私のように先天疾患児がいる為に自宅に閉じこもりがちで、接する情報媒体が限られているような人間には。

それは、この事件の被害にあった方、特に被害にあって亡くなられた入居者の方が『匿名』によって報道されていた事が大きいのかもしれない。

勿論、犠牲者個人の尊厳やそして残されたご家族の心情を考慮すれば当然の配慮だと思う。

それでも昨年の10月にこの私信めいた文章をしたためた時、改めてこの事件のあらましを検索していくつかの新聞記事、ニュース映像を見たその時から、それはずっと気になっていた事だった。

この時、亡くなられた甲でもなく乙でもない、あの日あの時に理不尽な理由により殺されて、その前日まで確かに生きていた人達は一体どんな人達だったのだろう。

そして何よりその犠牲者の中に

『19歳女性』

19歳のまだ成人していない女性がいる。

その事が私の頭からずっと離れなかった。


3・『家の娘は甲でも乙でもなく美帆です』

人命の重量は年齢ではない。

当然だ。

ただ、私個人にとって19歳、成人の直前という年齢はとても特別だった。

それはこの年齢が『春秋に富む』という表現にピタリと一致する人生の春のような美しい季節だという事よりも何よりも、

『障害のある我が子を何としても成人まで生かす事』

それが今の私自身の人生の最大の目標になっているからに他ならない。

我が家の末娘の心臓疾患を持って産まれた娘②、今現在2歳、その子を何とか命を落とさせずに大人にすることが。

19歳という事は、それをあと一歩、その直前で奪われたのだ。

命を。

この『19歳女性』のお母さんの胸中は私にはとても想像することすらできない。

それを想いながら迎えた初公判の2020年1月8日、この『19歳女性』の名前が突然明かされた。

ご家族の、彼女のお母さんが公表に踏み切ったのだ。

『家の娘は甲でも乙でもなく美帆です』

名前と共に、美帆さんの写真も公開された。それはとても可愛いらしい笑顔の―ここでは彼女のまだあどけなさの残るその笑顔から美帆さんを『女の子』と表現したいが―女の子だった。

彼女の名前は『美帆さん』。

甲でも乙でもない。

4・陳述という名前の叫びのようなもの

判決公判のあった先日の2月17日。この美帆さんのお母さんは遺族の一人として被告に対して心情の陳述をしている。

私はこの美帆さんのお母さんの慟哭と痛哭と嘆きに貫かれた陳述の全文を、とても平静な気持ちで読むことが出来なかった。

このお母さんは多分文筆家ではない、その陳述書の全文は、文章の技巧などそういうテクニカルなものはそこには無いかもしれないが、簡潔で、丁寧な文体で書かれていて

それでも、それは人の心の淵のギリギリの所まで書き手の、美帆さんのお母さん自身の痛哭、憤怒、悲嘆、そんなものが渦巻く胸中を切開して、その中を読み手の私に見せつけてくるようなそんな鮮烈な文章だった。

私が41年生きてきて読んだことが無いようなもの。

それは当事者だけが語り得る言葉。

そして何より、私があの時答えられなかった

「あなたがここに書いた絶望とは何ですか、そして憤りとは何についてですか」

その答えがそこにはあった。

明確にとても簡潔に。

私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命より大切な人を失ったのだから       

自分の命を賭して育ててきた娘を大きな区切りである成人のその一歩手前で『殺人』というこれ以上無い位に理不尽で暴力的な形で奪われる。

絶望と嘆きと憤怒。

少なくとも『障害児の母』の末席に連なる一人である私は、それを、そのことを難しい言葉で飾ったり婉曲して表現したりする必要はないのだと思い知らされた。

そしてこの陳述の全文を読んだ後

あの日、答えられなかった質問をしてきたあの人に私の見つけた答えを伝えたい。

そう思った。

届かなくても。

それを次の項目に記しておきたい。


5・貴方への答え

以前、私の綴った記事の一文、それは大変に拙いものでしたが

この出来事について、私たちをもっと絶望させてほしいと思います。
「私たちの住む世の中で、かつてこんな酷い事が起きてしまった」
そして、その事についてもっと憤らせてほしいと思います。
「こんな酷い事は許されないのだ」
そうしてあの「凄惨で、可哀相な事件」を、その絶望と怒りで上書きして忘れない事が私の子や他の障害のある子どもたちを助ける事に繋がっていくと、私は思っています。

これについて、それは一体具体的にはどういう事ですか?そしてあなたの思う世界のあるべき姿とは何ですか?と貴方に聞かれたその時、私は明確にそれをお答えすることができませんでした。

貴方の言う『絶望』と『憤り』とは具体的には何の事なのか。

そのことを。

あの19人もの人たちが亡くなった凄惨で悲惨な事件、歪んだ『正義』と被告の表現をそのまま引用することも憚られる動機によって引き起こされたこの事件、これを上書きできるほどの強い憤りと絶望を貴方はどこに求めますかというこの問いを。

それは

『障害者は必要か』

そんな極論的議論が今、この世界に存在する事なのか、それとも

『障害者と共生することが可能か』

そんな、突き詰めたら障害のある人がこの世界から住む場所を奪われてしまうような論題がある事なのか

私は、娘を通院させ服薬させ、そして偶に入院させながらこの事をずっと考えていました。

この質問にどうお答えするべきなのかを。

しかしその質問に、つい先日、美帆さんのお母さんが答えてくれました。

それはとても率直で強い言葉

『絶望』を一言で

私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命より大切な人を失ったのだから

次いで『憤り』を一文で

他人が勝手に奪っていい命など1つもないということを伝えます。
あなたはそんなこともわからないで生きてきたのですか。ご両親から教えてもらえなかったのですか。周りの誰からもおしえてもらえなかったのですか。何て、かわいそうな人なんでしょう。何て、不幸な境遇にいたのでしょう。本当にかわいそうな人。

そしてこの強い一文はこう引き取られていました。

私には娘がいて、とても幸せでした

ご存じの通り私にも娘が2人います。1人はとても健康な娘、今8歳の子です。もう1人は重い心臓疾患を持っている2歳の娘。この子は知的にも肢体的にも今のところ障害はありませんが、今は在宅酸素療法と言って酸素吸入をした状態で暮らしているので一見して何か障害のある子だと分かる見た目をしています。

そして、大人になる迄命をつなぐ為には、いくつかの条件を整え、あと一度大きな手術を乗り越えなくてはいけません。

それで、酸素吸入の器具を装着して街を歩かせたりすると、やはり「アラ可哀相ねえ」と言われることも少なくありません。

病気や障害は、一般には不幸に分類される物なのでしょう、でも、私これをあまり不幸なことだとは思っていません。

いえ、そう思わなくなりました。

勿論健康な体に生まれついた方が娘には痛い思いも嫌な思いもさせずに済んだので、それに越したことはないのですが

この2年の間、私は自分の殆どすべてを賭してこの娘を育てて来ました。

そうやって必死になってこの娘の命を守って育てていけばいくほど、不思議な事に私は『障害児を産んだ不幸』のようなものからはどんどん遠ざかって、我が子が生き永らえていつか大人になる日が来る事が現実に近づいている事にとても幸せを感じるようになりました。

そして、いつか立派に娘を成人させたら次は―娘のような心臓をもって生まれた、娘と同じ手術を受けた子で、老人になれた人はまだ居ないのですが-娘をおばあちゃんにしてあげたいと思うようになりました。

その為に私は100歳まで生きようと思っています。

割と本気です。

たった2年、育てているだけでもそう思い至るのです。

それを美帆さんのお母さんは19年の間、障害のある我が子の育て方を手探りで積み上げて、途方もない努力を重ね、突然、暴力的に残虐に奪われた。

この世にこれ以上の絶望は無いと、私は思います。

それが私の伝えたかった絶望であり憤りの姿です。

そしてもう一つ、その憤りと絶望で上書きされた記憶の作る世界が『どんな世の中であるべきか』。

その答えもとても難しいものだと思います。

社会学の中や社会福祉の中で語られる障害のある人たちの人生、そして共生社会のセオリーや理想はともかくとしてこれは私個人の、本当に稚拙な希望のようなものですが

この美帆さんのお母さんの憤りと嘆きが至極当然のこととして世の中に受け取られる事。

普通のより養育に困難のある我が子を必死で育て、働き、そして将来を安心して過ごせる場所を見つけてあげられた筈のこのお母さんの嘆き、ご自身のお子さんをお育てになって亡くなられたその日まで、どんな事が大変で、どんな事に苦労なさったのか、どんな事がつらかったか、楽しかった思い出は何か、どんなところを愛していたのか、それをどんな人に対しても真っ直ぐに前を見て語る事が出来る。

そんな世の中であって欲しいと思います。

そして、その言葉を受け取る側も、このお母さんの、ご遺族の言葉を、我が子を『凄惨な殺人事件で亡くした』という人生の大きな絶望の中にある人の言葉として、障害者をめぐる議論の中で歪曲も矮小もされずに、真っ直ぐに受け取る事ができる世の中であってほしい。

そう思います。

そう言葉にしてお伝えしたいと思います。

ところで、この娘ですが、美帆さんのお母さんの意見陳述の行われた翌日、2月18日に毎回手術で執刀を担当してくれている小児心臓外科医の先生から

「検査の結果、現状を鑑みて3度目の手術に概ね問題ありません」

という所見を貰いました。

娘の最後の手術は来年の年明けになる予定です。

やまゆり園のあの出来事の後に生まれた『障害児』の娘はこのまま上手くいけば大人になり、私はその娘と一緒にやまゆり園のその後の世界を生きていくことになります。

それは一体どういう事なのか、それを、これからこの娘と生きて、一緒に考えていきたいと思っています。

お返事が遅くなりましたこと

お詫びいたします。


6・タイムラインの幽霊

ところで話は変わるが、私のツイッターのタイムラインには可愛い幽霊が出る。

大丈夫、私は正気だ。

幽霊というと何か寂しい感じがするからやはり改めたいが、どう表現したら良いだろう。

私が娘②を産んでこの方、SNSの世界で、大体がツイッターの中で知り合った先天疾患や障害を持つ子ども達は、今現在一番大きい子で10代前半、小さな子ではまだ新生児、皆、鋭意治療の半ばにあって、今日を明日に繋げていくために懸命に生きている。

しかし、中には治療の途中、手術の後、そして緊急入院の果てに

天国に旅立ってしまう子がいる。

その悲しみの中、その子の親御さんはその事実をそっと私たちに教えてくれて、それを記憶に留める事が出来る。

その後、その子の大体は今のところはその天国に行った子どものママが

『今とても悲しい』
『何を見てもあの子を思い出す』
『去年の今頃はこうだったのに』
『手術の後はこんな風で可愛かった』

そうつぶやいてくれる事で、私たちはもう一度、あの天国に行った筈の子に自分のタイムラインの中で再会する。

毎日、毎日。

むしろ、それが私にはSNSの中で会った事しかないあの子たちが、病気の身体を脱ぎ捨てて、クラウドの中に入り込んで自由にあちらこちらを闊歩しているように思えるのだ。

勿論、生きてる方が良い、肉体とともに命が生きて、そして大きく成長していくことをその子のママは切に切に願っていたのだから。

ただ、肉体が無くなってしまったそのあと、その子の事を皆が忘れてしまうと、その子は2度死ぬことになる。

これは私のとても博識な年上の友人が教えてくれた事だ。

亡くなった人の事は時折ちゃんと思い出して、そして覚えておかないと、と。

タイムラインに偶に現れる、今はもう身体の無い子どもたちはその事をいつも教えてくれている。

だから今回美帆さんの事を書いた。

断りもなく。

この文章、別に文筆家でもない平凡で凡庸な市井の主婦が2歳児に「退屈です」とコアラのぬいぐるみでぶん殴られながら綴った文章の中に美帆さんがいてくれたら

そしてそれがクラウドの海の中をどれくらい拡散されていくものかはわからないが、その中を自由に泳いで色々な場所に出かけて行ってくれたら

あの子はこの世界にまだ生きていくのかもしれない。

そして私の娘②のような子たちの暮らす世界を少しだけ明るく照らしてくれるかもしれない。

ほんの少しそう思ったのだ。


あの子の名前は美帆さん。

甲でも乙でもない、19歳の女の子。

その事を私は、忘れないでいたいと思う。


『相模原障害者殺傷事件』は2020年3月16日 判決公判の日を迎える。

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