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システムとシステムの隙間の子の来年の話。

「システムとシステムの隙間に入った子どもは救えないんですか」
「日本の総理大臣なんだから、日本に生まれてきた子どもは全員助けなきゃ。子どもは生まれてくるだけで凄いことなんですから」
「決められたシステムの中でやるしかないんだ。最大多数の最大幸福、より多い人の幸福を目指す、それが政治というものだ」

2015年に朝日放送で放映されたテレビドラマ『民王』その劇中の台詞。

日本がじわじわとウイルスの脅威に侵食され、とうとう政府から各種学校に休校要請がなされた頃、当初春休みを含め1カ月の休校になるだろうと言われた状況下で夫が言った。

「Netflix入ろうぜ」

子ども達を自宅にほぼ軟禁状態するにはこの手のツールをひとつかふたつ導入したらどうかなという夫の深謀遠慮に

誰より私が喜んだ。

これまでしまじろうとペネロペちゃんと妖怪ウォッチばかり見ていた幾年月、おかあさんもたまには映画とかドラマがみたいものだと思っていた今日このごろ。

それまで全然知らないかったけれど、どこの手の配信サービスはすごい。

出来たらもっと早く言ってほしかった。

だって初期設定とか検索履歴で「アナタ、コレ好きだとおもうよ!」というタイトルをドンドン紹介してくれるんだもの、オマエは私の友達か。

それでおススメされた『民王』

テレビドラマ原作をこれで行けば大体大丈夫・、鉄板作家池井戸潤と、若手演技派そして美麗で整いすぎの顔面・菅田将暉と、とりあえず仕事を選ばない、一国の宰相から人外まで・遠藤憲一、絶妙なそこはかとなさ高橋一生、それら諸々、あと金田明夫とか草刈正雄とか西田敏行とか「え?大河でも撮るの」みたいなメンツを放り込んで攪拌して醸して固めて面白くない訳があるだろうか。

面白かった。

それで冒頭のこの台詞は、第五話に出てくる資金難で閉校するフリースクールをめぐっての親子のやり取りで出てきた会話の一部で。

これを見た時

「え?なにウチの子の事言ってる?」

と思った。

ウチの末っ子の娘②はフリースクールにはいっていない、だってまだ2歳だし、でも児童発達支援施設に行っている。

と言っても週1日か2日そして今はお休み中。

児童発達支援施設というのは、未就園でかつ障害のある子の保育施設で

娘②がその施設利用について検討し申請し契約したのは生後6カ月の頃だけれど本格利用し始めたのは1歳6カ月ごろ。

その『本格利用』までの1年何やってたんどうしてたんと言うとそれはほぼ慣らしだ。

と言うと大抵のひとは思うだろう。

「え?慣らし期間、長ない?」

でもそれには色々な理由がある。

コトはそう一筋縄ではいかなかった。

だって普通の子じゃないし。

一般にはよく障害児デイとか、対象が学童以上の子なら放課後デイ、放デイとかそういう名前で呼ばれるその施設。一口に子どもの『障害』といっても、それは肢体的なものとか知的なものとか聴覚だったり視覚だったり多岐に渡るけれど、ウチの娘②はその中の分類では心機能障害というか先天疾患児、24時間酸素吸入を必要とする医療的ケア児で

この娘②が生まれて手術して自宅に戻った生後4カ月の時、そのころ時間毎にミルクを鼻から通した細いチューブで流し込んでは、それが上手くいかず胃から吐き戻す

「ねえねえ、生きる気ある?あります?」

とげんなりしながら問いただしたくような乳児だった彼女は

初回の手術で右肺動脈と大動脈にとりあえずの循環を作る為に入れた『人工血管4mm』が執刀してくださった小児心臓外科のドクターをして

「今は少し太いかもしれないけど中長期的な事を鑑みれば」

そんな事を言われていて、何々?太いって何どういう事?と思っていたらその4mmの繰り出す肺血流量がまだ当時6㎏の娘②にはまだちょっと多すぎるという事で。

過剰に肺に流れ込むその血流のせいで、泣けば息苦しいし、ミルクが胃に流れて来ても苦しいし、だから泣くとより苦しいし、で苦しいから更に泣いて終いには顔色が赤銅色になるしで、扱いにくいどころの騒ぎじゃないやん?夜も眠れないやん?昼は抱き続けないと泣くやん?生活立ち行かないやん?

私はこの娘②の他に、上に小学生2人を抱えて結構窮地に立たされた。

何よりこの命自体のつくりの脆い子どもを1人で支え続ける事の荷の重さ。

尚、この人工血管の太さについては3.5mmか4mmかで手術直前まで小児循環器医の主治医と、小児心臓外科医の執刀医間で太さが決まらず、その時の私は思ったものだった。

「なんでもいいからはよ決めてください…」

結果4mmのゴアテックスの人口血管で『とりあえず』の肺血流の通り道を作っただけの、心臓が右に折れ曲がってあるべき心室が無くて、ついでに心房も一つにまとめてしまっている母親の私が聞いても何それよく生きてますね、これ本気で家で育てるんですかマジですかという状態で生きている娘②は、医療的ケア児という概念自体を数か月前まで見たことも聞いたことも無かった私には荷が重かった、ついでに経管栄養児、それも無理。

実際娘②が帰宅して1カ月は記憶があまりない。

それで、数か月遅れの地域乳児訪問に来た地域の担当保健師さんに

「この子を1日中母親1人で面倒見るのは無理です、助けてください」

涙目で訴えた。

『藁をもつかむ』という姿を体現していたと思うその時の私は。

しかし、保健師さんの解答はこうだった。

「お母さん、大変でしょうけど、娘②ちゃんはレスパイトケア入院の対象ではないし、お母さんは就労していらっしゃらない上にこの状態では保育園という訳にも…」

預け先は無いと言う。

え?じゃあ日本中のこの手の医療的ケア児とか障害児とかそういう子の親御さんは就園とか就学まで自宅で、家族で息切れしながら、ケアして投薬して通院させて偶に入院させてる訳ですか本気ですか無茶じゃないすか無理じゃないすか。

嘘やん。

それでその話を、当時自宅に週1回1時間、娘②の経管栄養、あの例の鼻からミルク入れるアレのチューブの入れ替えと、バイタルのチェック、経口での食事のリハビリの練習の為に来てくれていた訪問看護師さんにしょんぼりしながら話した、そうしたらその看護師さんは

「娘②ちゃんは確かにレスパイトケア入院の対象ではないだろうし、保育園は感染症とかを貰ってくる事を考えたら特に今は主治医からも勧められないだろうけど」

「障害児発達支援施設…障害児デイという選択肢ならあると思うよ」

保健師さんそういう事は教えてくれなかったの?と言いながら。

「ウチにも訪問看護師ステーションに併設して児童デイがあるし」

という事を教えてくれた。マジですか。その耳より情報に私は身を乗り出したがその次に

「でも、今ウチはちょっと一杯なんやわ…」

と付け加えられた、マジですか…。

それでも『児童発達支援施設』というものを初めて知った私は、娘②のケアとケアの合間の時間、娘②を左手に抱えたまま市内いくつかの「障害児デイ」とか「児童デイ」とか銘打ってある施設に虱つぶしに電話をして

「ウチの子、心臓疾患児、生後3カ月でオペ、現在シャント循環、経管栄養児、SpO
2は70~75、運動発達に若干の遅れのある生後5ヶ月児を預かっていただけませんか」

勿論まだ状態の安定していない病児、週5で8時間とかそんな大それた事は望まないから、週1回3時間とかでいいんです、少しだけ眠る時間とかご飯を食べる時間を頂けないですか。

そう訴えた。

その各施設の回答は

「ちょっとウチでは今難しいです」
「申し訳ないんですが、今一杯です」
「ウチは看護師常駐してないんですよ、発達障害の子がメインの施設で」
「ウチはどちらかというと動けない、重心の子ばかりで動けるお子さんとなると逆に…」

大体がそれだったけれど、中の一軒の施設の電話に出たひとが

「ウチでは今お預かりするのは難しいんですが、相談支援専門員と相談はしていただけますがどうしますか?」

何それおいしいの食べられるの知りませんが。

電話に出てくれた方こそが『相談支援専門員』そのひとだと言う。

「相談支援専門員は娘さんのようなお子さんの福祉支援のコーディネーターです、施設のご利用自体は今枠的に難しいんですが、ご相談いただく事はできますよ、お年寄りの関係の相談のケアマネージャーさんていらっしゃるじゃないですか、その障害のあるお子さん版というか」

「通所者受給者証はお持ちですか。まだない?それならその申請についてもご一緒に進められますよ」

ほう。世の中にはそんなものが。

元来私は猜疑心の強い人間で、聞いた事のない職種のひとが聞いたことのないサービスを聞いた事のない制度を申請するとなると普通の普段なら

「またお電話します…」

と警戒心一杯に一旦話を切るのだが、この娘②に振り回されて数か月、意識が混濁まではいかないがぼんやりしていた私はいつのまにかそうですかそうですねおねがいしますと依頼したらしい。

「それでは、来週の水曜日にご自宅に伺いますね!」

「え?ハイ?ハイ…」

何かよくわからないまま相談支援専門員さんという謎の人がウチにやって来る事になった。

『法外な利用料金を吹っ掛けるやばいひとだったらどうしよう』

電話を切った後に思ったが、もう後の祭りだ。

水曜日の午前中にやって来た支援コーディネーターさんが、ひとに壺売る系のやばそうなタイプだったらどうしようと思いながら招き入れたが、そのひとは、私が抱いた娘②を一目見て

「イヤー!可愛い~!抱っこできるかなあ?」

突然の来訪者に警戒している娘②をひょいと抱き上げて

「心疾患とはお聞きしてたけど、ウン、結構体重ありますねえ!え?6㎏あるの?立派よぉ~!」

でも、運動発達っていうんですか?アレが遅れてて、保健師さんに寝返りできないのを指摘されてるんですという私の心配ごとに

「寝返りできない?そぉんなの平気平気!開胸手術してるタイプの子は、寝返りしないままお座りまでいく子もいますよ!」

当時スーパー人見知り期で母親意外の人間が寄るだけでもう駄目という状態の娘②を素早く抱き上げ、体重、顔色、多分反射を確認した相談員さんは元看護師で保健師だと言う。

その面差しとかそのハキハキした話し方とかが女優の高畑淳子にちょっと似ていた。

いるいるこういう看護師さん、師長さんとか主任さんとかで。

それで、一応探してみたもののこの子をお願いする施設が今のところ見つけられない事、このままだと娘②に手がかかりすぎて上の子の学校参観や通院が難しい事。

ウチの子は疾患や障害と言っても本当に重度で大変なご家庭からすると全然楽な方だろうし、もう少し頑張れるかもしれないんですけどね…とそういう事を説明した時にコーディネーターさんの、もう淳子さんでいいや、淳子さんの表情が変わった。

「お母さん!疾患児を自宅で医療的ケア付きで育てるなんて、そりゃあ大変な事ですよ?」

「お母さんが大変って思ったら大変でいいんです!よそのご家庭と比べる必要はありません!」

「まずは必要書類を申請して、その間に色々なところに掛け合いましょう」

淳子さんは、娘②を私に手渡すと、カバンから手帳とか書類とか書類とか書類を兎に角山盛り出してきて、気合一杯にこう言った。

「娘②ちゃんのように、医療的ケアが必要で、かつ自力で活動できるタイプの子は、隙間の子なんですよね、病態が安定するまでの居場所が本当に少ないの。でも娘②ちゃんが楽しくお友達と過ごせるところを見つけましょうね!」

その頼りになりすぎる一言の中の『隙間の子』という言葉が印象に残った。

なんかすみっコぐらしみたい。

そして淳子さんはの勿論法外な利用料金とか相談料金を吹っ掛けるような事はしなかった。

相談支援専門員は、きちんとした公的な資格で、淳子さんのようなひとの助けを借りるのは娘②が利用できる福祉のサービスのひとつだったからだ。

何それ知らなかったんですけど。

それから1カ月位は結構慌ただしく過ぎた。

あの日『通所者受給者証』という施設の利用のための保険証のようなものを申請し、その後、市役所の障害福祉課で面談、それから施設の選定。

毎回思うのだけれど、福祉とか医療とか保育とかその手の申請書類というのはどうしてああも

住所、氏名、生年月日、電話番号、同居家族、そしてその全員の生年月日、職業、あとマイナンバーカードの番号全部を書き入れてあとは捺印捺印捺印の嵐なんだろうか。

私は今41歳だけれどこの手の書類書きが本気で苦手だ。

いつか絶対腱鞘炎になる。

だって書いている最中は自分で自分の名前を間違えるし、何なら夫と息子の名前を取り違えたし、でも淳子さんが娘②を抱きながら

「ハイ!お母さん、今後この手の手続き書類一杯書かないとだから!ホラホラ頑張って!」

という嬉しくない励まし方で励ましてくれてどうにかすべてを書ききった。

そう、障害とか疾患とかを持った子の親になるという事はその後、毎年毎回必要に応じて、障害福祉年金各種諸々大量の書類を書いては捺印するという人生が待っているという事なのだ。

これ意外と辛い。

そして施設については

「お母さん、重心の子がメインの施設の子なんですけど、以前電話されているところ」

「訪問看護ステーションが併設されてるところだから看護師さんも勿論常駐していて、医療的ケアは問題ないし、娘②ちゃんの事を詳しくお話ししたらお引き受けくださるそうですよ」

流石だ、淳子。

重心、重度心身障害の子たちに日常を楽しく過ごしてもらう為のその施設はウチのすぐ近所で、小さい施設だけれど、OT(作業療法士)さんも常駐していていいところですよという事だった。

自分がまだ『障害児』の母になって日が浅い私はそういう施設は行ったことも無ければ見たことも無くて、大体人見知りの娘②が慣らしでも泣かないかな、なじめるのかなという事が心配で、なにより

「重心みたいにケアが大変で入浴ひとつとっても大仕事の子の為の施設に、将来的には限りなく普通の子に近づける予定の『隙間の子』の娘をお願いするのは正しいのかなあ」

と思って結構最後まで躊躇した。

勿論健常児の為の保育施設には預かってもらえるはずもない状態なのだけれど。

障害児の母になったのだからもう少し覚悟というか楽して育てようみたいな姿勢でいるのは何かに申し訳ないような。

何に申し訳ないのかと聞かれたらよくわからないんだけれど、世間?世の中?

そういう私の中の微妙な感情を漏らしたら淳子さんはもう一度こう言った。

「お母さんが大変って思ったら大変でいいんです!よそのご家庭と比べる必要はありません!」

その後、夏休みに入る少し前に見学の予定を組んで訪ねた障害児発達支援施設で、マザーが大半を占める看護師さん達に娘②は大人気だった。

看護師さんというのは、というか、小児関連の施設の看護師さんはどうしてあんなに乳児が好きなのだろうか。

「あー!可愛い!顔色はちょっと悪いかなあ」
「でも体重はあるよね、いいわ!身体が大きい!」
「泣くとダメなのね、あ、そうかチアノーゼ系の子だもんねえ、大丈夫でちゅよ~」

そして施設見学の為に通してもらった、子ども達の過ごすスペースでは

大体の子は側臥位とか仰臥位とか、あと座位を固定する為の椅子とかに座っていたけれど、皆楽しそうに過ごしていた。

発語はないのだけれど「楽しそう」なのはわかるものだ雰囲気というか。

子どもが子ども同士いると何か盛り上がるのは健常児も障害児も同じこと。

ここに決めよう。というかここしかないと言うか。

隙間の子は、生後7カ月の直前に週に1回、3時間の預かり先を決めた。

が、ここから、慣らしの母子同伴通所から3時間単独で預けられるまで

1年かかった。

だって泣くので、そして泣くとチアノーゼを起こすので。

そしてちょっと馴れた頃に検査入院があり、手術があり、長期に施設がお休みになる。

あと風邪とか通院がかぶってもお休み、だからちょっと慣れてきてもすぐに

「アラ、ここどこだっけ?ママは?」

と忘れてしまって、母子分離はなかなか進まなかった。

結局、娘②が私と施設の入り口で

「バイバーイ」

を出来るようになったのは1歳6カ月になってからで、その時の娘②は経管栄養を卒業して、酸素吸入に医療的ケア内容を切り替えていた。

そして今、娘②はこの1年をかけてやっと単独で預ける事が出来るようになった施設を今

絶賛お休み中。

理由は例のウイルスだ。

娘②は心臓疾患、肺循環が常人と全く異なる、肺炎は普通の一般的なものでも命取りだ、ましてや新型とかダメ絶対、主治医からはもはや外に出すなとすら言われた。

それでこのお休み期間、娘②は長く学校がお休みだった兄と姉と過ごすことで。

なぜか飛躍的に出来る事を増やした。

会話ができるし、走るし、両足で跳ねるし、2段ベッドに登る、やめろ何しとんねん。

今2歳6カ月、一般の幼児からすると多少遅めのこの発達も、疾患児であることを鑑みればここまで追いつくなんて予想もしていなかった

というかもっと大人しくて、虚弱に穏やかに育つものかと思っていた。

そうなると、もうそろそろ重心の子が沢山いる施設は利用が難しい。

だってあんな暴走特急みたいな幼児を今あの施設に放ったら、いつかお友達に躓いて踏んで怪我させてしまう、危険が危ない。

それなら来年度はどうしようか、私はずっと考えていた。

この娘②にはまだ手術も入院も予定がしっかり詰まっているが、もしかしたらこのパンデミックの所為で本来年明けの予定の手術がずれ込んで、来年度の春はまだ入院しているかもしれない

けれども、私はこの隙間の子を来年の春、幼稚園というかこども園にお願いしようと思っている。それも今度は重心ではなくてぷりぷりの健常児だらけの集団に放り込むつもりでいるのだ。それも2号児として。

両極端がすぎやしないか自分。

でもこの娘②、医療的ケア児で一応障害児ではあっても普通に動けるから、障害児の子達の幼稚園である療育施設に入れない。

健常児の保育施設にも、障害児の保育施設にもぴったりとそぐわない隙間の子。

だからまた、アホ程書類を書き、医療的な所見とか意見書とか、障害者手帳とか、そのころまだ酸素を背負っているだろうからその使用方法、機械の手配あとなんだっけ、兎に角色々な事を手配しなくてはいけない。

淳子さんにも相談の電話をしなくては

そして病院の医療コーディネーターさんに連絡、そして、主治医に意見書の依頼。

「決められたシステムの中でやるしかないんだ。最大多数の最大幸福、より多い人の幸福を目指す、それが政治というものだ」

システムとか政治とかはそういうものなんだろうが、娘②は確実に成長していくし、娘②みたいな子は毎年どんどん生まれてそして育つ。

いいことだ。

これまでなら助からなかった子が生まれて、そして育っているのだから。

余談だけれど、この娘②は次の心臓の手術で

「心臓のどこに下大動脈から繋いだ人工血管を通すか、娘②ちゃんの場合心臓の傾きが激しいので術式の決定は難航しています。何がベストなのかなかなか決められないんです。過去の論文を読んで類似症例から直前に確定します」

「娘②ちゃんの手術が無事終わればその症例は僕が書き留めて、また次の類似症例を持った子の術式のヒントになるんです」

そう言われている。

疾患児とか障害児の生きる道みたいなものは先人が切り開いていってくれているものなのだ。

多分それ以外の事も。

隙間の子は今度は、普通の子の、健常児の世界で隙間の子をやる。

そうやってシステムとシステムの隙間みたいなものを広げていけば来年とか再来年とかもっと先に生まれてくる娘②の仲間の子ども達に何かいい事があるかもしれない。

その為に苦手な書類書きと相談折衝交渉に出ていくのだよこの母は。

そして何より、今この背後で

「ヨーチエンノボーチ!」

姉のお下がりの幼稚園の制帽をウッキウキでかぶっている娘②がいるのだから。

「入れないんだよ」

なんて言ったら、その後が恐ろしい。


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