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いつかのオニゴッコの日に。

「オーチエンデ、オニゴッコスル!」

我が家の8歳と2歳7ヶ月の2人の娘の内、下の子の方、ここでは娘②と呼ぶけれど、その娘②が日曜日の昼下がりにこんな事を言いだした時、私は愕然とまではいかないけれど、ちょっと驚いた。

元ネタは多分、先日、プレ保育に参加している幼稚園で年長さんが園庭でオニゴッコらしき追いかけっこをしていたあの風景だと思う。

確かにあの時、娘②はあの光景を凝視していた。

これが例えば、普通に健康な2~3歳児が来るべき幼稚園生活を夢見て「あたし、幼稚園でみんなとオニゴッコがしたいの」と言っているのなら何ともほほえましい話なのだけれど、うちの娘②の場合それはそう簡単な話ではなくて、何しろこの娘②というのが先天性の心臓疾患児で現在3度目の手術の自宅待機中、そして現段階で

心機能障害で身体障害者手帳1級
24時間在宅酸素療法
NYAH心機能分類Ⅱ・運動制限あり

という内臓の機能障害者属性の子どもで、普通の子どもの通う幼稚園もしくは保育園に受け入れしてもらう事自体が私と娘②の母子にとっては結構な挑戦になるからだ。

目下今月、提出する事前入園申し込みをどうかいくぐるかに深謀遠慮を張り巡らせている最中で「たのしい幼稚園」「ほほえましい新入園」という印象からははるか遠く、これはもう母にとってはちいさな戦争、今が私と娘②の桶狭間。

とは言え

「健康、とまではいかなくともいずれ予定の全ての手術を終えれば、服薬と定期通院をしながら普通に近い生活を送る事が出来ますよ」

という可能性を出生の最初から主治医に宣言してもらっている娘②は、今のところは特別支援学校などに入学する範疇でもないという、何かとても微妙な立ち位置の子どもで、そういう境界線上にあるような状態を親である私は、ある時には『健常寄り』ある時には『障害寄り』と思いながら

「ちょっと特別な子ども」

と思って育ててきたので、まさか当の本人が自分の事を

「私は普通の子ども」

と思っているとは夢にも思っていなかった。

でも、そもそも2歳7ヶ月児の考える「普通」とは何なのだろう。

娘②や同じような疾患を抱えているお友達の生育環境は少し特殊だ、生まれてから数か月、あるいは1年を超える入院期間、そして退院した後は自宅で医療的ケアを実施しながら定期通院、たまに緊急入院、定期の治療と検査の為に入院をし、手術が入ればまた1ヶ月単位の長期入院。

そして元々の疾患や障害所以の発達の遅れと共にどうしても生じてくる、経験不足からの運動や言語の発達の遅れ。

それを抱えた娘②の初めての集団生活の場は、普通の保育園ではなくて、障害のある子どもの預かりと発達支援を実施する「障害児発達支援施設」だったので、娘②にとって初めての集団生活で得たお友達というのは自分と同じように何かしら医療機器を傍らに携えて、動きや生活に制限のある子ども達だったから私はてっきりこの子は

『世界はこういう子どもが沢山いて、私はこちらの方の仲間よ』

と思っていると考えていたが、それは大きな間違いだったらしい。

というよりそんな分類は、親であり大人である私の勝手な考えであって、2歳児の彼女にとっては自分の世界に接するすべてのお友達、それは障害の有無、医療機器の使用の別なく、元々通っていた障害児発達支援のお教室のお友達も、最近始まった幼稚園のプレ保育のクラスのお友達も、何の別も、分け隔てもなく『私のお友達』なのであってそのそれぞれの子ども達の特性と相違について考えている筈もない、だって2歳だし。

という事を今日

「オーチエンデ、オニゴッコスル!」

その一言で気づかされた。

なんという盲点。

この母が、市の障害福祉課の職員さんと

「疾患と障害についての意見書?誰の?どこの?また主治医の?」

だの

「看護師さんが居ないとなると、私が毎日一緒に登園するんですかそれはちょっと…」

とか、そういう手続き上、制度上の事に頭を悩ませて折衝ばかりしているその隣で、この娘②はこの世のすべてはみんな同じ『お友達』そして、自分もその全部のお友達と同じ事ができる筈、幼稚園で見たあの憧れのオニゴッコを幼稚園のお友達と園庭を走り回って「鬼さんこちら」をする事ができると思っていたらしい。

ごめんな、それ実は違うねん。

娘②は走る事も跳ねる事も出来る。

が、すぐにはあはあと息が上がってしまうし、運動すると顔色がどんどん悪くなるので、親の方の心臓が心不全というか、相当肝が冷える。

何より、今も、3度目の手術後、心臓が機能的に根治を果たした後も数ヶ月は外出時「酸素ボンベ」必携であると主治医から言われているので、外出時も外付けのHDD、別に記録も記憶もしないけれど肺循環を補助する機器を常に携帯する必要があって、それは幼児が携帯するには重すぎるし、かと言って保護者や保育者がそれを横で携帯して「オニゴッコ」などの伴走すると、もうまさに

「暴れん坊仔犬の初散歩」

状態になって、伴走者が動きにくい事山の如しというか、実際幼児は、特にウチの娘②はしょっちゅう意外な程俊敏に予測不可能な動きをしては、母親の私を

「初めての長良川、私は鵜匠、見習いの」

という状態にさせてくれて、もうすでに不惑を超えて動きが結構に緩慢な私は尻もちをついて叫ぶ事になるし、こけた拍子に酸素ボンベのホースがピンと張って、カニュラというそれを鼻につけている娘②は実の母から「鼻フック」を食らう羽目になる。

私の遺伝子を半分持っているにしては鼻すじが通っている娘②の鼻がベイブ的にいつか上を向き始めたらそれは多分私の所為だと思う。

そんな訳で、娘②が幼稚園に入園してお友達と「オニゴッコ」をするという事は、今、私が考える上では相当実施困難な課題であると言える、と思う。

だいたいこの間だって娘②の酸素ボンベを持って一緒に滑り台を滑ったら、滑り台に尻がはまってしまって往生した。医療機器携帯で子どもの遊びに付き添うのは本当に大変なのだ、できたらここでは私の尻のサイズについては言及しないで欲しい。

でもやるのだ、と娘②は言う。

娘②の今想像している幼稚園の『オニゴッコ』は一体どんなものなんだろう、そこにはプレ保育でいつも一緒になる、可愛いみつあみの子や、多分春生まれなのだろう、もうしっかりとお母さんとも先生とも会話が出来て「先生おはよ」のお歌も一言一句間違えずに歌えるあの子も、すぐに教室から逃げてしまうあの子も、そして障害児のデイサービスでいつも一緒になるバギーに乗ったお友達も、ハンドサインでやり取りしているあのお友達もみんないるのだろうか。

今、娘②の世界に障害と健常の別は無い、多分。

そして自分はその境界にあって、酸素ボンベを親か先生に持たせつつ、オニゴッコもプールで泳ぐ事もなんでもできるんでしょうと思っていると、思う。

それはそれで美しい話ではあるのだけれど、でもそれ実はそうでもないんだよねという事をいつどういう形で知るのだろう。

引導はやはり私が渡すのだろうか。

幸運な事に、私は健康で健常な体をひと揃い持って生まれて今日これまでを暮らして来たので、我が子とは言えども、この先娘②が歩む道のりがよくわからない。

子どもなんて、多少病気があろうが、健康だろうが、産み落としたその瞬間から、母親とは別人格だろうと言えばそうなのだけれど、私は心臓に重度の疾患を持っていた経歴は無いし、医療機器必携の暮らしをしたことも無い。

だから我が子とは言え、身体的に共感性を持ってこの子を育てる事ができない。

私は手術台に上がった事もないし、切開の後のキズが痛い事も、心不全の苦しさも全然、わからない。

この先、ああこの子はこんな風に世界と自分を捉えているんだと気づいて驚く事は沢山起きるのだろう。

それは驚きと共に、いつか親子の感覚と生活に齟齬を産み親子喧嘩の元になるのかもしれないし、同時に私にとって全く別の世界に開いた小さな扉でもある。

娘②の接する世界がどんなものかどんな風景なのか、私にはその本当のところは分からないし、追体験する事も難しい、この娘②の人生の伴走をするにあたって私が出来る事は、想像することと、あとは傾聴すること位だろうか。

娘②のように心臓やそのほかの内臓に所謂『障害』を抱えて生きるひとは、集団生活に、学校に、ついに社会に船出したその時、何を考えたのだろう、色々な事に挑戦しようと思いましたか、諦めた事はどのくらいありますか、そしてお母さんに何をしてほしいと思いましたか、何をしてほしくありませんでしたか。

娘②を普通の幼稚園に入園させる事をひとつのゴールと思っていた私は、娘から思わぬ宿題を今日、貰ってしまった。

それは、この先の娘②の世界の広がりの中で出来る事と出来ない事、その境界の景色を一緒に眺めること。

出来る事があるなら一緒に挑戦すること。

出来ないときは、それをどう伝えてあげたらいいのか考えること。

ひとまず私は、来るべきオニゴッコの日、娘②の伴走をして、そして時には担いで走るために、足と腰と上腕二頭筋を鍛えようと思います。

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