わたしのおっぱい、アナタのおっぱい。
1970年ごろにウーマンリブ運動をしていた人たちが、女性の解放を主張して、メッセージの一環としてブラジャーを焼いた。ずいぶん古い話ですが、ご存じでしょうか?みんなでい広場に集まって気勢を上げ、焚火を起こして、そこに片端からブラジャーを放り込んだ。「こういうものが女性を社会的に束縛しているのはけしからん」というのが彼女たちの主張で、新聞記者はその写真を撮り、大きく報道した。
『村上ラヂオ 村上春樹 平成15年 新潮社』
世界のハルキ・ムラカミは、この文章を『ブラジャーが物理的な観点から見てどの程度に束縛的なのかもう一つよく実感できない』と続けている。
そうでしょうとも。
「その点は僕もよくわかります。大体あのワイヤーブラというものを日がな一日つけていたら胸が締め付けられて夕方には具合が悪くなる、一体何の為によせてあげないといけないんだろう」
と文章が続いてたら、それはそれで面白いというか文学者・ハルキムラカミの見識の深さに感心するけれど、氏はその類まれに非凡な文学の才能の他は極めて常識的かはもうひとつわからないが、とにかく私の父親と同世代のインテリジェンスな普通の男性で、普段は女性の服装をしているとはついぞ聞いた事が無いし、そんな人が女性の下着の付け心地については詳しく知る由もないだろう。
そして焼かれたブラジャーが当時の彼女達の中の何を象徴していたかは
「わからない」
と結ばれている。
これは平成13年にマガジンハウスの『anan』で連載されていたエッセイ。
結構なチャレンジだと思う。
若くて、多分美容とか、恋とか、今期流行りのワンピースとか、そういうきらきらしているものを両手に山盛り持ってもっとで素敵なものはないかしらと世界狭しと走り回る乙女が中心の読者層であるはずの雑誌の巻末の連載エッセイ枠に
『ブラジャーを焼く』。
◆
ブラジャーを焚火に放り込むイベントには流石に参加したことは無いが、ウーマンリブ運動の時代の終わりごろに生まれた私にもブラジャーについては多少思う所がある。
ブラジャーというか、中身のおっぱいについてだ。
女の子というものは、大体早い子で小学校3年生くらい、遅くとも中学生になる頃にはだんだんと大人の体になる。
それまでは男女そう変わらない手足、臀部、胸部が、それぞれに丸みを帯びて、胸もだんだんと膨らんでくると、自分の体が変わってくる事への戸惑いとともに、世間の目というか、私の体はこれでいいのかな、かっこ悪くない?太りすぎ?なのにおっぱい小さくない?という悩みが生まれてくる。
女性誌、ファッション誌で素敵に流行りの洋服を着こなすモデルは小鹿のようなすらりとした手足をしてるのに
一方でヤンマガとかヤンジャンとか、主に読者層を男性としている雑誌の表紙を飾るグラビアアイドルは桐箱に入って新宿高野に並ぶ高級メロンみたいな胸をしていて
あれ全部複合して自分の首の下に手に入れた場合、冷静に考えて多分人体の自然な構造としては不可能な筈、でも世間をTVとか雑誌とかという限定されて加工された窓からしか見る事の出来なかった田舎の思春期の女の子は結構真剣だった。
あの頃、まだ『情報』とかそれに付随して発生する『価値観』が結構一方通行だった時代
「私のおっぱい小さくない?」
もしくは
「大きさはともかく形が…」
と思い悩んだ女の子は多いのではないか、特に私がまだ若い『女の子』だった90年代、グラビアアイドルは巨乳が全盛で、対して貧乳という言葉はいつ生まれたものか、女の子の体は世間が眺めてジャッジしても良いものだという認識と、その行為自体が今よりずっと許容されていた時代だった。
おっぱいのサイズひとつでアレは良し、コレはダメ、無いなら寄せてあげたらいいじゃない。
体形と体重と、おっぱいの形、大きさ、そして無いなら矯正しろという謎の価値観に踊らされた女の子だった頃の私のおっぱいのイメージの漂流。
そして無いなら矯正する為のブラジャーは高い、美しいレースとか刺繍で飾られた、サテン素材で美しい造形のカップ付きブラジャーは若くてお金のない女の子の手に負える値段じゃないものも多かった。
『女の子』の時代、おっぱいは私の味方ではなかった。
本来、私の体の一部で普段は下着と洋服の奥に隠れているくせに。
あの1970年に焼かれた下着が何故『ブラジャー』でなくてはならなかったのかは
私には少しだけわかるような気がする。
◆
それでも、おっぱいの形大きさ美しさのジャッジメントから解放される日はやって来る。
これはすべての女性に起こる事ではないのだけれど。
出産。
その時初めておっぱいは本来の役割を果たす日を迎える。
授乳。
そしてそれは新しい世間のジャッジメントと価値観との闘いになる。
大体、妊娠期間に既におっぱいは変容を始める、まずはそれに妊婦は戸惑う、戸惑いませんでしたか、私はそうでしたが、妊娠がわかって嬉しいなあと思っていたらだんだんとおっぱいが何か痛い、張る、サイズが勝手にアップする。
でもこれヤンジャンの表紙の女の子のような『Hカップ爆乳!』やら『Fカップ美乳!』とかには全然ならない、ところでこの手のコピーは誰が考えているのやら、『爆乳』。怪我か、裂傷か、縫合しますか、お母さん心配よ。
その妊娠によって成る巨乳は、出産で完成形となるのだけれど、これは母乳製造の為のものなのだから、血管は浮き、形はやわらかい楕円形、とかそんな生易しいもんではない、鏡餅が胸にバーン!と張りついてるような造形をしていて、青年誌よりはゴールドジムの宣材写真のマッスルな大胸筋という塩梅、初めての妊娠、その後の出産の後の私個人の自分のおっぱいへの感想はひとこと
「つよそうだな」
だった。
強い戦闘モードのおっぱいには今度
「さあ、母乳を出せ、出せったら、出せ」
「母乳じゃないとダメなのよ!」
「なにぃ?ミルクだと?」
世間様からそういう価値観が大挙してやって来た。
そこまであからさまな形ではないにしても、ママになった元・女の子は乳児を抱えて外出すると、結構見ず知らずの人に聞かれるものだ
「母乳?」
アンタ、誰。
◆
そう言いながらも私は、我が子3人を母乳で育てた。
最後の3番めの娘は、諸事情あって途中でミルクに切り替わったが
経験者として、母乳育児は大変だった。
が割と母乳育児は楽しいこともあった。
母乳。
子どもを産んだら湯水のごとくバンバン出てくるのかと思いきや、これは個人差がかなりある世界ではあるのだけれど、私の初産婦時代の場合、体の中でどんどん母乳は作られているのに、何しろまだ一度も授乳をさせたことの無い乳頭は出口が固くて、吸てつ反応はあっても吸う力の弱い新生児には、吸わせても吸わせても母乳なんて全然出て来てくれない、出口を塞がれた母乳のためにおっぱいはカンカンに張ってしまってこれがまた痛いの何の。
しかし数か月の親子半裸の格闘の末、無事開通、そして順調に出て来てくれた母乳は
結構面白い。
だって自分の体で水芸が出来る日が来るとは思わなかったし
そして、赤子が自分の体液で育つという不思議。
ニンゲンが哺乳類であるという実感。
それで完全母乳で上の子2人は育てたけれど、そういう事を、その辺の人に
「母乳?」
ときかれて、はあ、まあそうですねと答えて
「まあ、エライわね」
と言われる時の違和感と、妙な居心地の悪さ。
エライのだろうか、これ、出産とか母乳とか、そういう個人の来し方、人生のこれまでの努力とは全然関係ないところにある身体のポテンシャルについて他人に手放しで褒められるのは変だなとずっと思っていた。
何より
「母乳でしょ?」
と聞かれるその時の、多分それは母乳の持つ栄養とか効能とかそういうもへの推奨を超えた
「お母さんなんだから母乳でしょ?」
という「母親かくあるべし」みたいな押し付けのようなものが『乳で我が子を育てる』という単なる哺乳類の生態に妙な不純物として付きまとう。
それに対して
「イヤ別にエライとかじゃないので…」
と思っていたし、実際、初産婦だった時には産道から息子がコンニチハして即、周囲からあまりにも母乳母乳母乳言われて、まだウンともスンとも出て来てくれないおっぱいをかかえて私は泣いた。
◆
『グラビアアイドルみたいなおっぱいだから魅力的。』
『母乳で赤ちゃんを育てているからエライ。』
というものの気持ちの悪さというか居心地の悪さというものの根っこは実は同じなのではないかと思っている。
これ個人的見解ですが。
「おっぱい、かくあるべし」
という、本来なら女の子のもしくは女性の体の一部、超個人的持ち物であるおっぱいを他人がその機能、形、その他をジャッジするという謎の現象。
「ねばならない」
という空気に暗に従わないといけない妙な理不尽。
いいじゃないのおっぱいなんて小さくても大きくても、小さいならすっきりとTシャツを着こなせばいいのだし、大きければデコルテラインが大きくカットされた洋服を魅力的に着ればいい。
そのどちらもとても素敵だ。
そしてヤンマガやヤンジャンの表紙の女の子は皆そこまできわどい水着じゃなくてもとても可愛い。
それはアナタの体、アナタの体をどう見せようが装おうがアナタの自由で、他人の、ましてや世間なんて実体があるんだかないんだかわからないものに振り回される必要はないんじゃないだろうか。
母乳もそう。
疾患や早産でどうしてもそれが必要な時以外に、涙を流しておっぱいを腫らせて絞らないといけないものでもない筈だ、出るなら出せばいいし、体験してみたいならしてみたらいい、出なくても今は衛生的で栄養のあるミルクがあるし、もちろんアレルギーや他の事情でミルク一択の場合もある、それだっていい、赤ちゃんがちゃんと育つことが一番だから。
それは他人がどうこう言うものではないのだ。
アナタのおっぱいはアナタのものだし、
私のおっぱいは私のもので、アナタのものじゃない。
◆
私は今、人生史上一番『おっぱい』という言葉を打ちまくっているけれどその理由は
「あ、私、乳児の育児をすることがもうないんだ」
という事に最近気が付いたからだ。
今、私の育児最終ランナーの末っ子は2歳半。
その子も卒乳して1年経った。その紆余曲折は今は横に置いておくとして。
もう『母乳を出さないと、母乳じゃないと』と己のおっぱいから母乳を焦って絞り出す必要もないし、あまり大きな声で言うのも何だけれど、私は今月42歳になる。
かわいい、かどうかは別にして、若いころの
「これはヒト並み以下のボリュームなのでは」
というおっぱいの悩みももう自分には付きまとわない。
若い女の子としてひと様の目を気にする時代から、母乳神話に踊らされた乳児のママの時代を経て
おっぱいは、私の元にやっと帰ってきた
そんな感慨があるのだ、今。
なんじゃそれと言われてもあるんだから仕方ない。
おかえり、長い旅だったね。
私の人生は、もう折り返しだ。
これから、病気でお別れしたりする日が来るかもしれないけれど、出来たらおばあちゃんになるまで仲良く暮らそう。
そんな気持ちになっている。
私には娘が2人いるけれど、そういう事を42歳になるもっと前に、10代の内に実感できる時代がこれから来るのなら嬉しい。
そう育てたい。
アナタのおっぱいはアナタのものだし。
私のおっぱいは私のものなんだから。
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