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12月の空に駆ける。

ここ数日の間に、悲しい事と大変なことが沢山起きた。

まず、末娘の入院があった事。と言うより今まさに入院していてここは病院で、背後で眠る末娘は昨日、年明けの大きな手術の為の下準備、2度目の『経カテーテルコイル塞栓術』に挑むはずが、実際穿刺してみたら塞いでおく筈の血管がそれを塞ぐと頸椎や肺、とにかく本来必要である血管の流れと機能を阻害してしまう状態であると判明し

「何もしないで終わりました」

という結果だけを持って、ものの数時間でカテーテル室から戻された。

「これはこれでしょうがない、あの血管は触れないし、その先に派生した細かい血管はオペの時にある程度つぶれるし、そこは外科になんとかしてもらう」

主治医が、今回この2回目のコイル塞栓をオーダーした外科に再度仕事を投げ返すという形で終了してしまったこの状況に私は少し困惑している。この子の親の私は一体この事実を深刻に受け止めたらいいのかそうでもないのか、緊張して今後を迎えるべきなのか、弛緩した状態で年越しをしてもかまわないのか。

そして当の本人は、麻酔と造影剤を使用した日はいつもこうなのだけれど、吐き気と発熱で1日中何も食べられず、というより本人に食べる気はあるが食べると全部吐いてしまうので食事をストップして、医師が暴れたりしないようにと処方した鎮静のためのミダゾラムをものともせず覚醒し、その間ずうっとこう叫んでいた。

「ハナセ!オナカスイタ!」

今後の事はもうこの娘の屈強さとこの意思堅強な気性を信じるしかない。普段はこの大あばれする娘に逆に元気づけられて、何がどういう結果になろうと然程落ち込まずに病棟のナースと「強いですよねえ」「ねー」と言う会話をして和やかに退院に向かうのだけれど今回は入院の初めからその途中、今でも元気になれないというか少し沈痛な気分のままだ。

娘のお友達が亡くなったから。

それも2人。

と言っても私も娘もその2人に実際に会ったことが無いし本当の名前も知らないし、何処に住んでいるのかも細かい事はよく知らない。

ただ、その子が生まれる時にとんでもなく大変な病気を背負っていて、その体をどうにか病院以外の場所で生活できるように、家族の待つ自宅に帰る事が出来るようにと信じられない回数の手術と、長い長い入院生活に耐えていた事はよく知っている。

世界には、ウチの娘も含めて、ちょっとした神様の手違いで、出生後に循環の保てない心臓や、呼吸が出来ない程狭窄した気管や、食事の出来ない状態の食道や消化器官、他にも幾つもの先天性疾患を持って生まれてくる子ども達がいる。

そう言う子どもの人生の始まりは少し過酷だ、子どもによっては生まれて数日後どころか、数時間後に手術を受け、その後は長い入院生活とその間を縫うようにまた手術を繰り返し、命を維持するための複雑な医療機器を体に付属させて生活する。

その子のママとパパは「赤ちゃんが生まれたらああいう事も、こういう事もしよう」そんな風に考えていた楽しい計画を一旦すべて粉砕して『とにかく生きていたら、生きてさえいてくれたら』そんな想いのもと必死で我が子の治療に伴走する事になる。そして時間の経過とともに、これはどうしても卑屈になってしまう事を許して欲しいのだけれど、健康で健常な普通の身体機能の子どもを複雑な気持ちで見つめるようになる。

ああ、あの子とウチの子は全然違う。

そうやって、先天性の疾患や障害や、特殊な医療機器を携えていないと暮らせない子どもを持ったママやパパは何となく、同じような子どもを持つママやパパと遠くでつながるようになる。『遠くで』というのは、それぞれが何万人にひとりという疾患の子ども達、近所に同じような子がいくらでもいると言う状況にないからだ。私達の出会う場所は大体何かのSNSの中。

同じ気持ちと状況とを共有できる相手というのは、場合によっては主治医よりも自分の味方だ。長い長い手術の終わりを待つ時の気持ち、期待した治療の成果を得られなかった時の落胆、緊急入院後の処置室の前で我が子を待つしかない時のあの所在の無い時間、全てを事細かに説明しなくてもわかってもらえる人達。

その未知の友人の子ども達が少しずつ成長していく姿と治療の過程を無事に通過していく様子は何よりも嬉しい。その子の手術の日はオペ室入室の一報が入った瞬間から出てくる十数時間後までその子の事を心に留め置く。

『必ず無事に戻って来て』

そういう沢山の人の祈りがスマホの画面の中に見えないけれども連なって見えるし、その子のママかパパからの

「無事終了しました」

オペ終了の知らせを見た瞬間、タイムラインからは沢山の人達の拍手の音がする。よく頑張ったね、術後も必ずうまく行きますように、ICUから出る時まで祈っています。

だからこそ、私はこの12月に天国に行ってしまった2人の子の命とその子のママとパパの気持ちをどう捉えたらいいのかよくわからない。

命は平等に人に与えられ、いつか平等に消えゆく、そういう理で世界は出来ている。でも生まれてから散々病院のベッドの上に留め置いておいて、それで1歳とか2歳で早々にお迎えに来るのは、ちょっとひどくないですか神様。

あんなに頑張って我が子の治療に付き添ったママとパパが、我が子に少しでも楽しい思い出を、出来る限りの愛情を、そういう気持ちで寄り添いつづけた時間の密度や質量というものを運命はあまり考慮してはくれないらしい。でも、それだってちょっと理不尽じゃないですか神様。

そうして、今日またひとり、天国にお友達が帰る。

あの子のおうちの地方は今日は晴れの予報だ、将来はかなりの男前になるよねと皆が思っていたあの大きな瞳のやんちゃな彼が元気に駆け上がる空が少しでも暖かな冬の青空である事を夜明け前の今、祈っている。

あの子を見送る時、沢山の人があの子とあの子のママとパパの為に祈るだろう。手術の日と同じように。愛しい誰かとの離別の哀しみは、そう簡単に消えゆく事が無い、人生の中でも指折りに厄介なものだけれど、皆が見えない場所で手をつなぐ、その瞬間だけは哀しみが少しだけ緩和することを祈っている。

一昨日、この子の訃報が届いた時、何をどうしたらいいのかどう捉えて良いのかわからないまま私の頭には、まずこの一文が思い浮かんだ。

なればこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのごとく、絶え間なく過去へと押し戻されながらも
(F・スコット・フィッツジェラルド)

残されたものは前に進もう。

あの子は、最後まであんなに頑張っていたのだから。

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