一人暮らしとクロさんの思い出の話
「20歳の時、京都で一人暮らししてたんやで」
と言ったら息子に
「おかーさんに20歳の時ってあったんやな!」
と言って驚かれた。
お前はこの母がこの世に生まれたその時から40過ぎやと思ってたんか。
お母さんにも勿論20歳の時があった、そしてそれが20年前の、それも20世紀末の話だと気づいた今、目眩がしたが
学生時代は遠くなりにけり。
時をかけるお母さん。
そんな昔々は女子大生だった私が一人暮らしを始めたのは、大学2回生の終わりの春休み。
それまでは女子ばかり集めた古い学生寮のような所に住んでいたのを、3回生でキャンパスが変わることをキリに、狭くても暗くても何でも良いから一人だけの部屋が欲しいと一念発起した。
女子寮には、仲間もいたし、泥棒が来ようと痴漢が来ようと意外と女子だけでも数が居る分力強くて安心で、楽しくはあったが何しろ
二人ひと組の相部屋で、門限もあった。
学生生活是即ちアルバイトだった貧乏な私にはとてもありがたくなかった上
次学年から通学するキャンパスから結構遠かった。
あのど田舎と都市部に飛び地するという場所の双方にキャンパスを作って、学年割りで学生をゲルマン人よろしく大移動させるシステムは何とかならないものか。
母校の大学は1、2回生は京都とは名ばかりの京都の外れに学び、3、4回生になると京都ど真ん中洛中の中の洛中にキャンパスがお引越しになる。
尚、理系はその京の外れに4年間留め置かれ文系学部の我々を「裏切り者め...」と妬んでいたものだった。
なんかすまん。
故に私は、サークルとか飲み会とか、京都の桜とか紅葉とかには目もくれず昼夜土日祝日ひたすらホテルで料理を運び、観光が暇な時期はパンやケーキをスーパーに並べ、場合によっては倉庫の整理も偶にやって後期の終わり頃には40数万円を貯めた。
引越しや物件の契約に関して、全ての費用を自分で賄うと実家の親には約束していた為だ。
そして、後期試験が終わる頃、そのお金を握りしめて3回生から通学する駅のすぐそばにある不動産屋に飛び込み
「安い学生用物件紹介してください」
「学校から近いところで!」
「古くても全然良いです!」
そう不動産屋のおじさんに畳み掛けた。
おじさんは、一人で店にやって来た、化粧気もなく身なりもそう良くない見るからに金のなさそうな田舎者の女の子に
意外と親切だった。
京都の、特に『ホンマもんの洛中の京都の人は腹黒いし怖い』とはよくネタにされるところだがそれは
「なんかいけ好かん奴」
へのエスプリの効いた攻撃の仕方を千年の古都に長く居す人々が熟知しているというだけで、意外と親切な人は多い。
と思う。
「安いってなあ〜どのくらい?」
「この辺学生さん多いからなぁ」
「風呂はあった方がええよな〜女の子やし..」
おじさんは、あの見てたら一日中過ごせる楽しい物件間取りの詰まったファイルを何冊も持ってきて、頭を掻き掻きパラパラとめくり
「古くてもええの?」
「一階で、オートロックなんかは無いけど」
「でも大家さんが敷地に住んだはるから、安全と言えば安全やから」
「今見に行けるし、行こか」
そうして、京都の碁盤の目、縦の筋は烏丸と堀川の間、西陣の入り組んだ小路の中にある古い、まさに『ザ・京都の学生アパート』と言った風情の物件に連れて行ってくれた。
隣が寺というか庵で、大変に借景が京都だったのもまた。
おじさんがコピーしてくれた物件の間取りにある築年数を確認したら、私より遥かに年上だったことを覚えている。
そしておじさんの言った「大家さんが同敷地に居住」というのは若干間違いで「大家さんのお母さんとお姉さんが住んでいる」のが正解だった。
その大家さんのお母さんはあの頃でお幾つだったんだろうか、ウールや紬の普段着を品良く着こなした、今の白石加代子そっくりな庇髪のおばあさんで、内見に来た私の姿を見ると
「ちょっと狭いけど、静かやしええとこよ」
「学校は?ああ、あすこ?すぐ近くのとこ通ったはるんやね」
「ウチの息子と一緒の大学やわ〜うちの子この辺にいくつもアパート持っててねぇ」
私の事をあれやこれや聞き出しつつ、『ウチの息子推定50歳超』の事をちょっと自慢したりして、後ろで黒猫を抱いてニコニコしている娘さんと言っても、50歳近いお年だと思うけれど、この子はちょっと身体が弱くて、ずっと私と暮らしてんのんよと紹介してくれた。
なんだか横溝正史の世界のような気もしたし、そして内見させてもらった部屋は玄関とキッチンがほぼ一体化して、ベランダは無く、窓は通路に面しているし、昼なのに薄暗かったが
お風呂があって、押入れが元和室の京間の名残で広く
何より家賃が破格に安かった
当時の価格で3万9千円税込。
お隣の大家さんも、私は好きになれそうだった。
私は昔から横溝正史の金田一シリーズが大好きなのだ。
「ここに決めます」
即決。
敷金礼金を振り込んで手元に残ったお金は十数万になった。
◆
2年暮らした女子寮からダンボール4箱を格安運送屋さんに運んでもらい、横溝正史の館に引き移ったのは大学が春休みの3月末。
住んでいた女子寮は家具家電付き、といっても殆ど共同だったが、一応備え付けだったので、私の手持ちの荷物は衣類と布団と教科書、あとは書籍だけだった。
敷金礼金を支払って手元に残った十数万は、その後京都の寺町通の電気屋街で冷蔵庫テレビ炊飯器諸々を買ってもう幾らも残っていなかったが
春の盛りの洛中、狭くて薄暗くて、それでもバストイレ付きの我が家を手に入れた私は満足していた。
まあ、うっかり初日から米も醤油も食料品全般を買い忘れていて、味気なく食パンをかじる羽目になったが
一人暮らしの落とし穴。
そんな初日、私は荷物を解いて、布団を引いたまだ家電が届いていない何もない部屋で修学旅行の日のようなちょっとわくわくした気持ちで眠った
その深夜
部屋を何かが這うような、カサコソと動くような音..というか気配がした。
一人暮らしの部屋に。
やばい
横溝正史の館と思ってはいたが
まさか本当に本物の幽霊が住んでいるのか?
さては噂に聞く事故物件、故に格安やったんか?
騙された、これだから京の男はんは..
当時は邦画で和製ホラー全盛の時代。
部屋の隅を何かが這うような人ならぬ気配に『地デジ化以前の厚みのあるブラウン管テレビから髪の長い女がズルズル這い出してくる』そんな様が即思い起こされて私は戦慄した。
当時、私はまだ20歳の若い娘だったのだから忍び込まれてもっと困る怖いものがあった筈だが
頭にまず浮かんだのは幽霊だった
そして幽霊は暗闇の中
「ニャ〜...」
と啼いた。
にゃあ?
猫か。
なんで猫?
慌てて電気をつけた。
すると、部屋の隅に黒猫がこんにちはしていて、それは内見にこの部屋を初めて訪れた日に、大家さんのお姉さんに抱かれていた黒猫だった。
◆
クロさんは
私の部屋に不法侵入した黒猫は『クロさん』と言って、彼女は大家さんの実家の飼い猫ではないらしい
大家さんのお姉さんは動物が好きでノラだったクロさんをお家に引き入れて一緒に暮らしたいと言ったらしいが、弟である大家さんが
「アパートはペット禁止やのに、大家が同じ敷地で猫をかってんのんはちょっとアカンやろ」
と言って首を縦に振ってくれず、庭先で餌をあげているうちに居ついてしまったものらしい
そして、私の契約した部屋の以前の住人も、どうもクロさんを部屋に招いては可愛がっていたようで
クロさんはお風呂についた小窓から勝手に部屋に入ってきた。
閉めとけよと思うだろうが
空調換気が不十分な古いアパートは、そうしておかないと風呂場がカビるのだ。
クロさんは食事を大家さんの御宅の庭先で、休憩場所を私が数少ない友人のツテを頼って譲ってもらった古い折りたたみベッドの上で取ると決めたらしい。
というより、私が部屋でロクな物を食べていなかったので「コイツから貰う物など無い」と悟ったのだと思う。
私の食生活を支えていたのは当時アルバイトをしていたホテルの従業員食堂と、貧乏な学生を憐れんでコックさん達が恵んでくれる残り物だったので、私の部屋にはあまり食べものが無かった。
でも、そういえば私の大好きな出町ふたばの豆大福を悪戯に齧って逃げたことはあった。
あれは許し難い。
そしていつも、夜ふけにやってきて
「あー!このレポート間に合わん!」
とか
「明日の朝食のバイト行くとき起こしてくれへん?」
とか話しかける私をちょっと小馬鹿にしたように見つめて
朝が来るまでには外に出て行った。
毎日アルバイトばかりして、大学に友達も少なく、猫に見向きもされないような食べ物ばかり食べていた学生生活だったが
そして在籍していた大学は『旧帝大の国立を落ちました』みたいな人が山盛りいるタイプの学校で、3回生になっても『私立3教科に絞ってギリギリ大学に滑り込みました』という頭の私はなかなか周りに追いつけず、とくに語学では
「なんでそんな訳になるんや?」
教授に純粋に不思議そうに首を傾げられ、恥をかいてばかりいたが
たまに猫の遊びに来る、京都のど真ん中の小さな部屋での暮らしは結構楽しかった。
外見も中身も古すぎて、一度水道管がやられて天井から雨が降ってきた事もあったが
そしてその日はクロさんは待てど暮らせど来なかった。
裏切り者め。
猫なんてそんなもんか。
◆
私の学生生活と一人暮らしは、その後結構な年数続いて、あの部屋で作った思い出はたくさんある。
ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』略して『プロ倫』が、全然読み進められなくて泣いた事とか
デュルケムの『自殺論』を読んで難解さからこっちが死にたくなった事とか
浮いた話ひとつない、お金もない、哲学とか宗教とかドイツ語とか英語を足りない頭で半べそかきながら読み解いていて、華やかさのかけらもない思い出が。
そんな一人暮らしの数年間はいつもクロさんが
「この人間アホちゃう?」
みたいな顔で、人のベッドに陣取っていてくれた。
クロさんはその後、大家さんのお姉さんの粘り勝ちで見事、家猫となり、あまり遊びには来なくなってしまったが
41歳の今の私はそんなことばかり覚えている。
まあ、今も割とアホですけど。
20歳で、世の中の右も左も分からず、ホテルで皿を運び、スーパーでパンを並べて稼いだ有り金叩いて敷金礼金払って、何もない狭い狭い6畳キッチンバストイレ付き洗濯機共同を借りた日の事は今でも大切な思い出だ。
あの頃の私は若くて、お金がなくて、大学の同級生達より確実に頭は悪く、先のことも全然わからなかったが
「私は自分でお金を稼いで、自分で部屋を借りたんやで」
「アルバイトをして家賃も払ってるし」
という事実は、裕福な家庭の子女の多い大学の同級生達に対して逆に少し誇らしくて、なけなしの私の本当に小さな尊厳みたいなものを支えた。
私は若くて、この先なんでもとは言えなくても何者かにはなれるだろうと思っていたし。
超楽天家。
そして私には今、10歳をカシラに3人子どもがいるが
ウチの子ども達も、あの一人暮らしの日々をちょっと味わえる日が来たらいいのになと思っている。
あんな世間知らずで、向こう見ずで、危なっかしいことばかりの20歳はさぞかし親には肝が冷える事だろうが
願わくばその時は、良い不動産屋さんと大家さんに当たって欲しい。
あと部屋に猫がついていたら言うことなし。
サポートありがとうございます。頂いたサポートは今後の創作のために使わせていただきます。文学フリマに出るのが夢です!