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『ずうっとずっとだいすきだよ』を伝えること、それとウチの娘②のこと

ある朝、目を覚ますと、エルフが死んでいた。夜の間に死んだんだ。
僕たちは、エルフを庭に埋めた。みんな泣いて肩を抱き合った。
兄さんや妹も、エルフが大好きだった。でも、好きって言ってやらなかった。
僕だって、悲しくてたまらなかったけど、いくらか気持ちが楽だった。
だって毎晩エルフに、「ずうっと大好きだよ。」 って言ってやっていたからね。
『ずうっと ずっとだいすきだよ』 ハンスウィルヘルム著 久山太一訳

まずは、この春小学1年生になるお子様をお持ちのお父様、お母様、お子様の無事のご成長と、人生の新しい門出を心からお祝い申し上げます。

そして、ピカピカの1年生たちに本格的な授業が始まり、日々の宿題の中に『こくごのきょうかしょのおんどく』がやってきたその時

覚悟しろ。

光村図書を最大派閥としてありがたくも全小学生に配布される国語の教科書。

アイツらは親を本気出して泣かせに来る。

そして音読中の我が子が

「ママ!どうしたの!?」

本気で狼狽してしまう。

そう、例えばその筆頭、貴方は覚えているだろうか『ちいちゃんのかげおくり』を。

小学3年生の下の教科書掲載作品。太平洋戦争の最中、お父さんは出征し、ある夏の空襲の夜、お母ちゃんと、お兄ちゃんとはぐれたちいちゃんは、しらないおじさんに連れられて焼夷弾の火の手から命からがら逃げ、そして翌朝すっかり焼け落ちたかつてのおうちの前で、お母ちゃんとお兄ちゃんをひとりでずっずっと待ち続け、そして、最後

「夏のはじめのある朝、こうして、小さな女の子の命が、空にきえました」

ダイレクトがすぎやしないか光村。

これを大きな声で元気に音読していた昔々9歳の頃の自分はただ文字の羅列を追っていただけだったが、母となり、そのちいちゃんの年齢を通過してきた我が子を目の前にして、子どもが読むそのたどたどしい物語の終盤、ハイ、一旦中断、何命消しちゃってんの?小さい子死んでるやないの、命の大切さ学ばせるのに表現露骨過剰じゃない?もっと婉曲表現を、そして行間を、想像力の翼が無駄に頑強にできている上、乳児幼児児童のそれぞれの成長過程をつぶさに見てきてしまった今のこの私はそれをとても平静に聞く事ができない。

その、親泣かせ掲載作品セレクトの急先鋒、それがこの冒頭の

『ずうっとずっとだいすきだよ』

小学校1年生光村図書 『こくご 一 上』に掲載されているこの物語を、私は息子が小学生になるまで知らなかった。太古、私が小学生1年生だった時分にはこの作品の教科書掲載は無かったと思う。

この件に関しては、国語の教科書は配布されたその瞬間にすべてくまなく索引まで読み通し、先生の「お名前を直ぐに書きましょう」という訓戒を一切聞かず、名無しのまま教科書を使用、次いで担任教師に怒られるという事を毎年敢行していた私が言うのだから多分間違いない。

そしてこの性格はそのまま息子と娘①に遺伝した。

困る。

それで、小学1年生だった息子が「ママ!おんどくします」と言ったその時、さし絵に描かれている、ちょっと太ったダックスフントを思わせる愛嬌のあるワンちゃんの、これがエルフなのだけれど、エルフの姿を見て私は心から油断していた。

これはきっと『僕』とちょっと太っちょのワンコ・エルフの可愛いおはなしなのだろうと。

そう思って聞き始めたのだが。

エルフは僕と一緒に大きくなり、花壇をいたずらしてママに怒られ、でも犬なので僕より先に年を取り、段々と太ってきて、階段が上れなくなり、それでも僕と一緒の部屋で眠って

最後

『ずうっと、ずっとだいすきだよ』

僕のこの言葉を何度も何度も聞いて天国に行ってしまうのだ。

愛するものには何を置いてもまず『だいすきだよ』そのことを言葉にして伝えよ、何度でも。

これは小学1年生の子どもだけに伝えていることばだろうか。

きっとこれは、そのこどもの声を通して物語に出会う親に、大人にも伝えているのだろうと思う。

その大切なことを。

そのセンテンスを繰り返してこの物語は終わる。

そして聞き手の親は泣く。

🐕

小さい生き物、猫でも犬でもハムスターでもイグアナでもなんでも、小さくて、大切に守ってやらないと生きていけないそしてそれゆえに愛しい生き物と暮らした事のある人にこの『ずうっとずっとだいすきだよ』は美しくも哀しくも重たい。

今、現在進行形でその可愛い相棒と暮らす人にも、過去天国へ見送った事がある人にも。

私は11歳から一緒に暮らし、大学進学以後実家を離れてからは帰省時に会う事を何より楽しみにしていた今は亡き愛犬、小太郎と29歳で今生のお別れをしたが、母から連絡を貰ったその日、その時、出張で大阪駅に居た私はホームの端で携帯を握りしめたまま号泣し、知らないおじいちゃんに「姉ちゃん大丈夫か」と心配され、これ食えと春日井の黒飴をもらった。

かの地ではおばちゃん意外の生き物もカバンに飴を仕込んで生きているのだ。

18歳まで生きたのだから犬業界では相当長生きの部類、晩年は目も弱り、足腰も立たなくなり、実家の母と看護師の姉に本気全力の看護と介護を受けていたのだから幸せな生涯だったとは思うが、あの大阪駅で小太郎の訃報を聞いた時、私は

「犬、なんでもっと長生きしない」

それを思った。

三十路を手前に何を言っているのか私よ、小さき生き物のいのちは儚いのだ。

そして次に

「もっと沢山帰って、一緒に遊んでやればよかった」

11歳の春、どうしても犬と暮らしたい、犬はいいぞマイマザーと、普段は仲の悪い3人兄弟が団結結託して母に迫りついには陥落、母の友人宅から譲り受けた可愛い小太郎、マテもお手も出来ないアホの子の白い犬、その子に「ずうっとずっとだいすきだよ」を伝える事を大幅に欠いた自分の態度言動を激しく後悔した。

いのちの短いものにはいつもそれを伝えるべきだった。

そして今、私の傍らにある小さきいのちは子ども、特にまだ2歳の末っ子だ。

🐕

子どもは犬じゃないだろうと言われればそうなのだが、この2歳の末っ子次女、通称娘②のいのちは意外と弱く儚い…のだろうか、この娘②は昨日、1カ月前に買ったばかりのソファの肘おきをへし折った。

お母さんもう泣きたい。

その悲しみは横に置いておくとして、何しろ先天心疾患児、大学病院に足しげく通い、その日々の移動は酸素ボンベとご一緒に、3人の子持ちとなり、食べ盛りを迎える息子をカシラに母の私も子どもみんなの明日のご飯の為に働きに出たいところが

「感染症、風邪、胃腸炎、とりわけ肺炎は即命の危険に繋がるから絶対避けて欲しい、集団保育は出来れば最後の手術が終わるまで待て」

往年のイケメン主治医からそう言われて早2年、そして手術の予定は3歳以降、そうでなくとも酸素必携の医療的ケア児、都道府県で呼び名は違えど一般に『療育園』という名で呼ばれる未就学で障害のある子のリハビリなどを行う公的な施設の通所範疇からは外れるが、かと言って普通の保育園にもこども園にも今のところ受け入れ先が無い娘②は普段大体家にいる、そして家具と家電を破壊する。

やめて、お母さんのライフは0よ。

故にそうそう自宅に置いてもおけない、とは言え感染症罹患ダメゼッタイな子どもを激込みのスーパーや、銀行、ドラッグストア、普段の普通の生活を送るために不可欠な場所に帯同するのもどうなのか、考えて調べてそして関係各所に相談した結果、娘②は今週に2回の3時間程度、児童発達支援施設、通称児童デイサービス、聞きなれない人には、障害や先天疾患、それに由来する医療的ケアのある子どもを一時的に預かる保育園や学童保育のようなものと思ってくれたら良いのだけれど、それに行っている。

自宅の破壊破損はともかく、いや購入して1カ月の家具を破壊されるのは困るんやけどお母さん、私はこの娘②に友達が欲しかった、医療機器を携えた見た目が少々特殊、そして動けて歩けても走ると即チアノーゼを起こし、その場にしゃがみ込む、多分今もこの先もあまり走れないという身体機能的な事情を抱えた娘②には、家の外の社会と初めて接するその時、同じような事情を抱える子が傍にいて欲しい、自分だけが特別な身体で生きているのではなくて、外の世界には色々な子がいるのだと肌感覚で知っていて欲しいと思ったのだ。

というかお母さんが超非社交的すぎて巷で友達を見つけてあげられへんねや、ごめん。

それで探しました施設、見つけました施設。

医療的ケア児で、しかし自力で動く事が可能で、でも体調には全方向から万全の注意が必要。そんな子どもの施設はその一時預かり『児童発達支援施設』の中でも激戦区で、私はこれを探すのにかなり往生したものだが、ひとつだけ、本来なら重度心身障害の子ども達が対象の施設の管理者の『大阪のオカン』を絵にかいて凧にして空に飛ばした位元気な看護師さんが

「わかりました。ウチで受け入れます」
「動くのね?泣くのね?機能的根治はまだなのね?でも何とかするわ!」

と返事をくれた、訪問看護ステーション、それはかつて戦場の病棟・ケアユニット・救急で慣らした猛者のオカンナースの集う場所。

頼もしいやらありがたいやら。

それでも最初のウチの通所は母子同伴で、だってこの娘②、気の強さが女王級、例えば入院中、主治医の指示で恐々聴診器を近づけてくる研修医など裏拳で成敗するそんな居丈高が過ぎる横暴横柄暴力娘のくせに、私と離れるとこの世の終わりか位に泣き叫ぶ、そして泣き叫ぶと真っ青になってチアノーゼを起こす。

母子分離が命がけ。

それで、結構長い間、この娘②が施設を『ここは安心で楽しい場所』と理解してくれるまで、親子2人一緒に通所していた。

『児童発達支援施設』そこにいたのは

自力で座位が取れないので横にコロコロ転がりながらも移動する子
気管切開しているので時間毎に痰の吸引のいる子。
車いすで爆走する子。
人工呼吸器をつけている子
眼の不自由な子
経鼻栄養の子
胃ろうの子
その色々を複合した子

訪問看護ステーションを同じ建物内に有するこの施設は兎に角受け入れの幅が広くて、私は娘②と通所中に色々な子と出会った。

勿論それぞれの子の細かい事は知らない、わかるのはその色々な事情と疾患と医療機器をとを携える子ども達が身体条件としては脆弱な中にもどこか逞しく、そして超絶可愛いという事位だ。

そして、面白いのは

「あ、君、大学病院のPICU(※小児用のICU)でお隣だったよね」
「病院の外来の待合室で会った事あるよね」
「アナタ主治医が同じなのでは…」

という子が結構多いということ、兎に角この業界は狭い。

専門医とその専門医のいる病院、それは地域にひとつだけの花。

お陰で児童発達支援施設とは蓋を開ければ皆同じNICU卒業生の集まりだったりする。

その中でも、娘②が生後4カ月の時、術後のPICUのお隣で、その後2回目の手術の際のPICU入院の際も隣のベッド、娘②は術後アレが嫌だこれが嫌だこのCVCカテーテルをはずせ今すぐなどと吠えまくるのでさぞかしなんだこの煩い女子はと思っていたと思うが、その何故かご縁の深い男児のTちゃんは娘②の大好きなお友達だ。

そして私も大好きだ、だって何しろ可愛いのだ。

🐕

Tちゃんは、娘②より1つ年上の男の子。

彼は気管切開をしているので今は声を発する事が出来ない、そして呼吸器をつけ、自力で動く事があまりできないので、施設内を酸素ボンベを引きずりながらウロウロする娘②と手を取って遊ぶという事はないが。

笑顔がもう、素晴らしいんだ彼は。

思えば入院中の病棟でも彼は相当な人気者で、Tちゃんが入院のその時、山盛り医療機器が入用な彼の為に入院の居室はいつもPICUの一番端のベッド、そこに状態が悪くてしんどい時には表情も硬いがだんだんと快方に向かった彼の笑顔の周りにはいつも

「Tちゃん、笑うの~」
「ヤダ可愛い」
「今のは私に笑ったのよね!」
「イヤ私やろ~」

ナースで人だかりができる、オイみんな仕事はどうした。

某カリスマホスト・ローランド氏は「俺が本気出したら火星人でも口説ける」と宣ったらしいが、このTちゃんはそれを更に上回る、声など一言も発生していないのにその笑顔一発でPICU中のナースも付き添い母も彼の虜、既婚未婚は問わず、体調不良でもこの華、この人気、よって体調万全で在室する児童発達支援での彼はもっとすごい、娘②もTちゃんを

「あ!この前入院中、一緒やった子やんな!」

とは思ってないだろうが、Tちゃんの通所日と自分の通所日が被ったその日は、Tちゃんが仰臥位でタブレットを見たり、看護師さんに抱かれて座位を取っているその傍らに陣取って、タンバリンをリンシャンし、回らない舌で謎の歌を歌って捧げているというのだから、そんな事、娘②を溺愛している実の兄にもしていないというのに、娘②のTちゃんへの愛がアツいというか重い、すまんTちゃん静かにゆっくり過ごそうと思って施設にやって来て、鼻息の荒い2歳児が隣に片時も離れず

「え、この子入院中によく会う超うるさいヤツやん」

とか思っていたら、ここに母が陳謝いたします。

でも、その大好きな大好きなTちゃんと一緒に居る事で、運動発達、特に粗大運動は遅れ、ついでに言葉も少々ゆっくりな娘②は言葉を2つ覚えた。

Tちゃんは声を発することはできないが、その周囲の看護師さん保育士さんが施設の中でいつも言っている言葉を聞き覚えて彼に対して使うようになったのだ。

それが

「マタネ~」

「ダイスキ」

🐕

障害や疾患のある施設にあって

「マタネ」

は少し一般のそれとは微妙に違う、少々重たい意味を持つ。

それは、その「マタネ」を交わしてその日別れたその子との次が無いかもしれないから。

実際、基礎疾患のある子は感染症その他元々の疾患由来の身体のトラブルで体調を崩してはしょっちゅう入院して、先週は元気に来ていたはずのあの子が今週は病院で長く顔を見られないという事は結構な頻度で起こる。

このTちゃんも、先週は元気で施設に来て、気の毒にも娘②にまとわりつかれていると思ったら、今週は循環器外来で出向いた大学病院で、呼吸器、吸引器その他お出かけセットを満載したバギーに乗せたTちゃんを連れたママに偶然出会い

「今日、このまま入院~」

と言われてそのまま2カ月も3カ月も会えない日が続いたりする。

そしてその間は特に顔見知り程度のTちゃんのママとラインの交換をしている訳でもなければ、個人情報故に施設の看護師さんや保育士さんに

「Tちゃん、どうなりました?退院しました?」

など聞ける筈もなく、今週は居るかな、来週はどうかなとひたすら彼が戻ってくるのを待つことになる。

そんな障害の程度が重く、そして何よりちょっとした事で体調を崩しやすいTちゃんにもしかまさか万が一もう会う事が出来なくなったらどうしよう、そんなことあるだろうかと思ったある日のいつもの曜日いつもの時間に施設のドアを開けると

「あ、娘②ちゃん!今日Tちゃん来てるよ!」

と看護師さんに言われた時の娘②と私の喜びを貴方にも。

娘②はそれこそ、3kg近くある酸素ボンベをずるずる引きずって彼の元にはせ参じこう言う

「ダイスキ~」
「マタネ~」

オイ、今来たのにもう帰ってどうする。と思うがどうもこの娘、この愛のことばと次もまた必ず会おうねという約束のことばをセットで覚えてしまっているらしい。

でもそれでいいような気がする。

年若くして、それなのに次の約束が絶対ではないちいさいさん達は、大好きを伝えてすぐ次も会おうねと約束しないと、間伐入れずに。

愛するものには何を置いてもまず『だいすきだよ』そのことを言葉にして伝えよ、何度でも。

それをこの2歳児は、小学1年生のあの『ずうっとずっとだいすきだよ』の履修以前に既に感覚的に会得しているのだ親の欲目80%位かもしれないけれど。

2歳の記憶はその後消えずに脳内に残ってくれるものなのだろうか。

3歳になって最後の大きな手術を終え、普通の子に近い生活を送るその日が来ても出来たら覚えていて欲しい。

この先、また娘②には色々なお友達との出会いがあるだろうし、もしかしたらお別れもあるだろう、だからこの言葉をきちんと伝えられるその感覚を覚えていて欲しい。

この『超非社交的な』お母さんにはちょっと無理な人生だったので。

「ずうっとずっとだいすきだよ」

そのことを。

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