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人はいつか皆。

2回目のワクチンを打って来た。

1回目の時は接種後即は、副反応で発熱こそしなかったものの、接種して数時間経ってからタチの悪い地縛霊が憑依したんじゃないかと疑うような重くてだるい感覚が左肩から二の腕、ひじまでを貫通して、ちょっと腕をあげて洗濯物を取り込むのも大変だった。それで2回目の今回は、先人からは結構な高熱が出たとか酷い悪寒が全身を襲い、布団にくるまって夜明けまで震えていたとか何故か鼻水が滝のように出て止まらなかったとかとにかく色々な話を聞いたし、大型台風直撃級の厳戒態勢で挑むつもりで朝からとりあえずお菜を作っては愛用の野田琺瑯の白い容器にひたすら詰めていた

豚コマのカレー
ひじきの煮物入りに炒り煮
蒸し鶏と春雨のサラダ
カボチャのスープ
鶏手羽肉とゆで卵とジャガイモを甘辛く煮たの

メニューに全く脈絡がないのは、うちの3人の子ども達の食の好みがばらばらだからで、メニューを組み立てるのは毎回テトリスになる。冷蔵庫に頭を突っ込んでさあこれから何を作ろうかと考える時のテーマ曲はいつも『コロブチカ』。でもどんなに頑張ってもうちには「全人類が好きなはず」と私がかつて信じていたテッパンのカレーすら嫌いな子がいる、3番目の3歳の娘がそれ。対して1番上の息子は体とても細身で普段ならものすごく食が細いのに

「俺は1週間カレーでもぜんぜん、まったく問題ない」

そう言ってカレーだけはおかわりするカレーの王子様で、黙々とカレーを食む姿には前世インド人だった片鱗さえ感じさせる。真ん中の娘はプレーンなカレーよりはゴハンとカレーの真ん中に生卵を落とす派。そして全員サラダに使う系の野菜を毛嫌いしている。末の娘にいたっては緑色の食べ物を生まれてこの方食べた頃が無いと思うし、きのこ類も敵だと思っている。大根やニンジンの根菜類はかろうじて食べられる。

まあでもとりあえずこれだけ用意しておけば、日曜の昼前にワクチン接種をして、そのあと発熱して私が夕方から翌日キッチンに立てなくても3食分は大丈夫、そう書くと「旦那さんは?」と言われそうだし実際言われるけど、ウチの夫は料理ができない。しない、じゃなくてできない、苦手で不得手なことなので私はあまり問題にしていない。

人間にはどう頑張っても駄目なことはある。月で生身の人間が暮らせないように、私が誰かと他愛もない世間話をするだけなのに目が泳ぐように、人間も40を過ぎるとできない事はできない事としてある程度とあきらめて生きていく方が楽だし話も早い、

その代わり夫は、ちょっとその辺で妙に目が泳いで会話が上滑りし、帰宅後

「ああ私なんであんなこと言うてしもてんやろ…」

押し入れに籠って3時間、ひとり反省会を開催する私とは真逆の人種なので、最近だと息子の塾の面談は夫の役目で、真ん中の娘の習い事の付き添いなんかもそう。子どもを待っている間の他所の親御さんとの当たり障りのない立ち話が全然苦ではないそうだ。高等技術。そしてその真ん中の娘の習い事の予定が私のワクチン接種予定の時間に急に変わって、末の3歳の娘の身柄が宙に浮いた。息子は中間テスト前。年齢のはなれた3人の子の土日の予定は献立同様、最近ものすごくテトリス化している。

夏の一番暑い時期、待てど暮らせど近場の接種会場の対象年齢が引き下がらないので

「致し方なし、梅田で迷子になる所存」

もう腹をくくって自分にとっては西日本最大の鬼門、ダンジョン梅田を経由する必要のある遠くの大規模接種会場を予約しようとしていたら、その予約日直前になって近隣の「40歳以上の方の接種申し込み開始のお知らせ」が舞い込み、自宅近くの会場を予約することができた。予約日を日曜にしたのは予約当初、日曜日なら末の娘がパパと留守番できるはずだったから。

この3歳とのお出かけは今、生まれて初めて外の世界に飛び出した元気な仔犬をお散歩させるのにとてもよく似た状態になった。全然ふつうに歩かない、ぴょんぴょん飛び跳ね、たまにバランスを崩して蛇行しながら歩く。そして気になったモノには突進し、かと思えば興味を引くモノを見つけると突然静止して全然動かなくなる、次の動きが全く予測できない。ジェネリックおかんを自負するほど幼児の扱いに長けた息子にも流石に単独では子守を頼めない。仮に子守を頼んだとして、私が『いってきます』と玄関扉を閉めた瞬間に末の娘が2段ベッドによじ登り、妹を止めようとして息子もハシゴに登り、そこで妹が暴れて拒否、挙句2人してベッドから転落、救急搬送、地獄が見える。


結局、接種日の日曜パパは真ん中の娘の付き添いの担当をすることになった。息子と留守番をさせるのは嫌な予感しかしない。消去法的に私と一緒に接種会場に出かけることになった末の娘は、さあ家から出かけようという時、電動自転車の後ろのシートでご機嫌だった。最近は自力で座席によじ登って座るし、自転車の座席のベルトも自分で留められるようになった自転車。準備万端で早く行こうよと出発をせかす末の娘には一応、今からママは注射に行くんだけどいい子にできる?と聞いた

「デキルヨ」

ホント?ありがとうね

「コワイ?ダイジョブ?」

前もそんなに痛くなかったし大丈夫

「オウエンシテアゲル」

出来たら現場では静かにしてくれたら嬉しいな

「ナカナイデネ!」

ママ、43歳だから泣かない

娘は車や自転車に乗ると、嬉しさのあまりずっと喋り続ける。自転車を漕ぐ私はいちいち娘の発言のたびに背後を振り返る訳にはいかないので、前を向いてずっとその質問に答えることになって、お陰でいつも娘を乗せている時は自転車を漕ぎながら虚空に向って会話をしている。正面から来る人がたまに妙な顔をしている事があるのは気のせいじゃないと思う。

その虚空と話す女と3歳が家を出て約10分、たどり着いたワクチン接種会場は、オートメーションの工場のように機械的にかつスムーズに人間が流れゆく場所で、この落ち着き皆無、3分も黙っていられない娘を連れて行っても、会場に入って問診票と身分証を提出提示して本人確認、ここまでは何も問題が起きなかった。どこの運営が仕切っているのかは分からないけど極めてお見事だと思う。小さな子を連れてくる人はあまり見た事が無いけどこれなら迷子にならない。娘自身は親の私の手を振り払って1人でどこかに行ってしまうということはできない子だけど。

だって私達、私が担いだ酸素ボンベと娘のお顔についた透明チューブで繋がれているから。分娩室でへその緒をカットされて身ふたつになって3年9ヶ月、のはずが私と娘は未だ一本の線に結ばれていて、これがまた娘の動きが活発で制御不能な今すごく動きにくい。そのへんに引っかかるし互いの足に絡まるし。でも最近はこの娘が外出の際に必ずつけている医療用酸素が迷子紐の機能も果たすようになった。わんこの散歩感は否めないけれど、これはこれで少し便利な時もある。

そして会場到着数10分もしない内に、パテーションで区切られた小さな空間に呼ばれ

「ハイじゃあ2回目の接種ですね、利き腕は右ですか、それなら左に打ちますねー」

どこかの病院の勤務医らしい若い先生が手馴れた感じで確認している時、本来私の座るべき丸椅子にはちょこんと娘が座っていた。自分の採血や予防接種の時には力のかぎり大あばれする癖に「今日は自分じゃない」と知ってさえいればこの余裕。病院通いが日常の一部である娘は世界中の診察室の椅子を全部自分の席だと思っている。ハイ、どいてどいて。

2回目のワクチン接種は、太古の昔に経験した日本脳炎の接種時の痛みが少し似ている気がした。薬が入る時に少し痛みのあるあの感じ。私は娘の切開痕は術後でもちゃんと見られるのに自分を「今!刺してます」という現場は凝視していると貧血を起こしそうな気がするのでいつも平静を装って明後日の方向を見ている。その間数十秒、刺す時と抜く時に殆ど痛みはなし、お見事です。


ところでインターネットの世界で『ワクチン』とひとこと言うと、それがコロナワクチン以外の場合でも色々な人がやって来て賛否両論、色々なことを教えてくれる。私は子どもに定期も任意もすべて、体調の許す限り全部接種させていて、自分も必要なものは受ける方、インフルエンザとか。今回のワクチンにもあまり迷いはなかった。

ワクチンに反対の立場をとる人がいるのは知っているし、実際薬は用量用法を守らないと毒になるのも分かる。塩は取りすぎたら体を壊すし、醤油を一気飲みするのはダメ。うちの3歳が毎日服用している抗凝固剤なんか殺鼠剤にも使われている。その事実を知った時は流石に変な声が出た。でも「娘がネズミじゃなくて良かった」という感想と共に普通に使っている。私の主治医と薬剤師への信頼は厚い。でもワクチンに反対する人達の信念もまた強い。過去、子ども達の予防接種に行きましたとひとこと言ったら、そういう方面の方に注意というか心配をされたことがある。何故そんなものをお子さんに打つのですかと聞かれたこともある。今回コロナワクチンを無事2回打ちましたと言ったら、また同じ事を聞かれるかもしれない。

でも、その答えは凄く簡単で単純で、既に接種完了した40歳枠の私と夫とも、現在予約済みの12歳の息子とも、きっと遠からず接種できるだろう10歳の娘とも違い、なかなかワクチンの順番の回ってこないだろう小さな3歳の娘を守るためだ。もうそれだけ。

3歳の娘に、これまで心臓疾患の治療中、心停止も、肺炎による急変も、大きな手術の後に心不全が原因で、予想外にECMOの装着まで経験させてしまった私としては、うっかりコロナに罹患させてまた命の瀬戸際に立たせた挙句、人工呼吸器とECMOを装着するという事態になってしまうことを避けたい。

娘のように心臓に疾患がある子どもは重症化のリスクが普通の子よりずっと高い。一時期よくマスコミに取り上げられていたあのECMOと呼ばれる医療機器は、治療のためというよりは、心臓と肺両方の機能をもうその人自身の力では維持できなくなった場合に、循環機能が回復するまでの時間を稼ぐ為に使うもので、娘が2月から3月にかけてそれを使っていた間は元々弱っている体が更にひどく浮腫んで、肌の色は黄色くくすみ、溶血して尿は真っ赤、Spo2が下降するとたちまち赤黒くなる血液は目視できる状態になっているし、とにかく恐ろしかった、あの時、娘は運良く生還したけれど2回目は勘弁してほしい。

その、家族全員で守るべき娘に「ママ、ガンバッテ」という熱い声援を受け、無事ワクチンは終了。

接種後、15分間待機して、終了となるその間娘は

「ママナカナクテエライネェー」

いつも自分が言われている言葉をそのまま私に使い

「アイスカッテカエロウカ?」

誰のご褒美のつもりなんだか、サーティワンアイスクリームに寄ろうと誘い

「バンソコハガシチャダメヨ」

いつも看護師さんに言われている大切なきまりを私に教えてくれた。

ナイス完コピ。でも「取らないでね」といつも言われているのは採血の後に腕に巻かれる止血帯の方、惜しい。そしてこのやりとりがなんだか周りの人の笑いを誘っていたのが若干恥ずかしかった。15分の待機時間が終り、会議室のような広い空間を出る時、娘は接種終了後15分を静かに椅子に座って待つ人たちに手を振り

「マタネェ」

皆様ごきげんようとばかりに優雅にその会場を去った、姫か。

私は子どもを一番の理由にワクチン接種を決めた。別に意気込むことでも無いし、自分自身、子どもを3人も残して流石にまだ死ねないので罹患しない方に賭けたいし、ワクチンの仕組みはうんと易しく説明してもらわないとよく理解できない方のアタマだし、だから市井の名もないひとり、集団免疫を構成するための積み石の1つとして皆と同じようにしただけなんだけれど、あんまりこちらの事情をよく知らない人から色々言われるとやっぱり嫌な気持ちになるものなので、理由を書いてみた。誰が見るのかは知らない。ただ私は、あの日見たECMOに繋がれた娘の姿がもう一度目の前で再現されてしまうことが何より怖い。

ところで1回目の接種の後「死ぬぞ」と言ってきたあなた、あの言葉は色々と無知な私を心配してくれてのものだと思う事にしていますが大丈夫、今のところ私はまだ生きているし、それに人はいつか皆、必ず死にます。

でもその代わり人は、次の世代の子ども達に何か善いものをひとつ遺すことを赦されています。



そして接種して今日で4日目、あんなに警戒していた副反応は、軽い腕の痛みだけで、熱も出なければ鼻水も出ないまま。かつて、入院したことがあるのは3人の子のお産の時だけ、その時すらお産のあとすぐスタスタ歩いていた妙に丈夫というか痛みに鈍い自分の体に、ワクチンの副反応も殆ど感じなかったという妙な伝説を添えてしまって、末の娘が嫌いなカレーは結構余った。

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