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ソフトクリーム考。

「食べたいなら食べたらええやんけ」

と言われそうだし実際そうしたらいいやんと自分でも思うのだけれど、ソフトクリームをひとりでなかなか食べられない。

とりたてて高い物ではないし、ちょっと大きめのスーパーに行けばフードコートなんかでいくらでも売っているし、ファストフード店のメニューにだって結構ある。

我が家の近くにある「それってマニュアルですか?」と聞きたくなるほど店員さんが皆ばりばりの大阪弁で親切でしかしトイレの途轍もなく古いスーパーのフードコートの一角のラーメン店『スガキヤ』のソフトクリームになんて、今はもうママと2人でソフトクリームなんかまず食べに行ってはくれないだろう13歳の息子の幼児期にそれはもう大変にお世話になった。

そのお店は息子が小学生になった頃にその場所から消えてなってしまって、今よくよく思い返してみると、そもそもラーメンのお店であったはずの『スガキヤ』で私も子ども達もラーメンを食べた覚えがない。

小さな子どもが手元にある時期、その子がそれが嫌いではなくてアレルギーとかそういうものの問題がないのなら、親には出先で旅先でソフトクリームを食べる機会というものが結構巡ってくるもので、あれは普通のアイスクリームと違ってお家ではなかなか食べられないし、何しろ実は私の好物であるし、買い物の途中で

「あれたべたーい」

とお店の前で食品サンプルを指さす小さな子の手を、おもちゃ屋さんの前でするように「そんなん買わへん」なんて邪険に引っ張ったりはせずに

「うーん…じゃあまあ1こだけね、ご飯が食べられなくなるし」

その白いうずまきをひとつ買って半分こしたものだし、2歳5ヶ月差の兄と妹を2人連れている日には、それを2人で半分こさせるとそこには仁義なき竜虎の戦いが起こるものだから、お兄ちゃんにひとつ、お兄ちゃんの頭ひとつ分ちいさな妹はまるまるいっこは多すぎるのだし、ママに3分の1くださいとよく言い含めて、近所のお年よりが数名集まるぼんやりとした色調のフードコートの中、あんまり真剣に握りしめているもので、ソフトクリームが体温で溶けてきてぽたぽたと床や膝の上にしずくを垂らしてしまう子ども達に中腰で身構えながら少しずつスプーンでそれをすくっては子どもの口に運んでいた。

あの頃、上の息子が確か6つで下の娘が3つくらいだろうか。夏、2人にはよくクロックスの色違いを履かせていた。ブルーとチェリーピンクのそれぞれが揃って機嫌よくぶらぶらと揺れているのを見ると

「私ってお母さんなんやあ」

なんて今更、当たり前のことを思ったりした。

しかしスガキヤのソフトクリームとの蜜月は短く、その後あのスガキヤは古いけれど立地の良いスーパーの賃料が高すぎたせいなのかウチのようにソフトクリームしか注文しない客ばかりでそれほど儲からなかったのか閉店し、それなら少し向こうのマクドに行けばええかと思っていたら、あまり混雑した店舗で外食するのはやや心配だという時代がたちまちやって来て、買い食いの楽しみは『自粛』の名のもとに、我が家ではすっかりそのともしびを小さなものにしてしまった。と言うてもウチの外食なんてサイゼがスシローでマクド程度のものなのだけれど。

別にお喋りしないで、手も良く洗い、消毒もして、色々に気を配っていけば大丈夫なのかもしれないのだけれど、つい4年前に生まれたうちの末っ子というのがまた循環器系の基礎疾患のある子なもので。

「世界の全部が落ち着くまでお外でご飯をたべるのはねえ、君は万が一のことがあったら普通の子の100倍はやばいのだよ」

世界にソフトクリームというものが存在しているのを知らなければ、それを欲しがることもあるまい。そう思って我が家では子どもらに『世界にはあのうずまきの白くて冷たい食べ物は存在しないのですよ』とそう暗示をかけて過ごすことになってしまった。とりわけモノゴコロついた頃にはもうお外の人々はマスクをつけていることがあたりまえになった時代に生きている4歳はソフトクリームを知らない、それは少し寂しいけれど仕方がない。

そう思っていた4月のはじめ、桜の開花とちょうど時を同じくしたその頃、4歳のかかりつけである大学病院の中にあるコーヒーショップの前にソフトクリームの看板が、あの丁度3歳の子どもくらいの高さ大きさのソフトクリームの中に電球高LEDライトだかが入っていてほんのりと灯りのともるアレが「もともとここにおりましたが?」という顔で鎮座しているではないの。

そしてそれを見たうちの末っ子の4歳児が

「ママ!たいへん!アイス!」

と言うではないの。何がそんなに大変なんや、そして何なのその瞳の輝きは。目を閉じていても耳を塞いでいてもいくらもどこからか情報の入って来るこの時代、親が特に教えなくとも4歳にはあれがアイスクリームの一種であると、それを模した何かであると即、分かったのらしい。

「あれたべたーい」

まあそう言うよな。そして病院という場所は大変に恐ろしい事に「私、採血頑張りましたけど?」であるとか「相当いやな検査に泣かずに耐えましたが?」など、子どもにご褒美を買って与えるべき事由にいちいち満ちているのですよね。

それで買いました、ひとつ280円のそれを。大学病院であるこの子のかかりつけではそのコーヒーショップの吹き抜けの窓から高い大学棟の建物が見えるのだけれど、そこを歩く白衣のお兄さんお姉さんの姿を眺めながら、大事そうに小さなスプーンでそれを口に運んだ時4歳の喜んだことと言ったらもう。

どうして小さい子というのはとりわけ美味しい物を食べた時だとかとびきり嬉しい時、上下にぴょこぴょこ揺れるのだろう。人間がまだ小さい頃、人体には横揺れとか縦揺れとかの機能が付いているのかもしれない。しかしそんなに動いたらこぼすやろ。

「おいしいねえ」

そう言って喜ぶ4歳は、口の端からクリームをたらりとこぼすし、着ているのはこの春にちょっと奮発して買った姉の10歳とお揃いのオーシバルのバスクシャツだし。

「ちゃんと口にスプーンを運びなさい、それから前を向きなさい、ほらこぼしているから」

親の方はとても大変だった。

そのコーヒーショップは、縦横広大な病院の建物の中にひとつしかない。そのせいで昼ごろにはいつも相当に混雑する、その時はたまたま朝一番の受診だったから昼間の混雑を避けて食べられたのだけれど、いつもは大体午後の受診であるのだし、このソフトクリームは毎回食べられないよ、今回は特別だよ。

そんな事を私が4歳にコンコンと諭していたら、近くにいたおばあちゃまが、ひとこと

「カワイイわねえ、小さい頃はお店でもどこでもいつも一緒だけれど、大きくなったら、また違うのよねえ」

そんなことを仰る。

『今が一番良い時期よねえ』

というのは年配の方が小さな子を見てよく使う言葉だ。大きくなったら一緒にアイスを食べたりしないものよねえと。多分それはご自身のお子さんのことだろうか、昔々一緒にアイスを食べた子はもう大きくなって、もういいおじさんやおばさんになって、お母さんであるおばあちゃまとは一緒にソフトクリームなんか食べたりはしなくなったのだろう、それはうちの13歳もそうだし、私だって今72歳の母とは一緒にお茶くらいは飲むけれどソフトクリームは流石に食べないかもしれない。

しかしうちの4歳はこう言うのですよ。

「4さいはずうっとママとソフトクリームをたべてあげるね!」

えっ、それって何歳まで、10歳?13歳?そう聞いたら4歳は

「えっ、43さいデショ!」

それが至極当然な世界の約束ごとのように言うのだからおかしい。43歳というのはいま現在のお母さんの、私の年で、ということは私はその頃いくつだろう、あんまり考えたくないのだけれど傘寿を越えているのではないの。アンタその歳まで親に280円払わせる気なの。

そして43歳を迎えた娘というのは、多分なのだけれど、4歳の持つ疾患の中では結構「長生き」の部類の人間に入るのではないのかしらん。

そうなるのなら、なってくれるのなら、お母さんひとつ280円のソフトクリームくらいいつでも買ってあげるけどね。言うたからね、約束やで。

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