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『おねえさん』の称号

『うたのおねえさん』という名誉の称号がある。

『うたのおねえさん』とはNHK教育、Eテレの幼児番組『おかあさんといっしょ』で歌のパートを担う女性のことである。

しかし同時にそれはある年齢層の女性であるとか職業とかそういうものを指す言葉ではなくて、queenとかprincessとか正三位とか、それに近い名誉の称号であると私は思うのですけれどあなたはどうですか。

『うたのおねえさん』は、まだ世界にうつくしい音の幾つもあることを知らない小さな子ども達に、生まれて初めての音楽を届ける魔法を授けられたものに贈られる王冠で、それを一度でも授与されたものは終生

『うたのおねえさん』

と、そう呼ばれるのです。初代うたのおねえさんは現在83歳の真理ヨシコおばあちゃま、しかしおばあちゃまで83歳でもその人は『うたのおねえさん』。

だってそれは名誉の称号なのだから。

そして現在、それの最も新しい称号を持つ『あつこおねえさん』がこの春に卒業することが決まったそう。『おかあさんといっしょ』には足を向けて寝られない程お世話になっている私としてはとても感慨深いというか、寂しいと言うか、いろいろの感情が去来して涙を禁じ得ないというか、その昔同居していたいちいち感情の起伏の激しい祖母が、春の卒業シーズンに己とは全然関係ないヨソの子の卒業式をテレビ見て

「もう涙がでるわ…」

と言っていたのを

「いや、よその知らん子やんけ」

と大層不思議に思ったものだけれど、今ならわかる。もうそんな感じ。今日も朝な夕なにテレビ画面に映し出されるおねえさんの春の陽だまりのような笑顔を見ては

『あつこ、6年間ありがとう、あたらしい場所でもきっと幸せにおなり』

そんなことを考えてしまう。というのも私は今から6年前、前任のたくみおねえさんから後任のあつこおねえさんの交代をリアルタイムで見ていたのです。何しろ現在12歳と10歳と4歳、それぞれにやや年の離れた3人兄姉を育てるこの12年間、『おかあさんといっしょ』をもう見なくなったねえという瞬間が訪れることがなかったもので。

あれは真ん中の娘が年中さんになった春、遠くまでよく通る明るい声で元気に新任の『うたのおねえさん』としての挨拶をするあつこおねえさんは桜の精のように可憐で、初々しくて可愛らしい、まさに春を告げる歌姫であったことでした。

しかし最初にテレビ画面にあつこおねえさんが映し出されたその日は、さすがのあつこおねえさんも前任のたくみおねえさんに比べるとやはりどうしてもぎこちない笑顔に固い表情で

「ああとても緊張しているのだろうなあ」

朝、口をあけてテレビに見入っている子ども達の背後で、着替えろ歯を磨けトイレはどうしたと言いながら横目でテレビを見ている私にもそれがよくわかった。あの時はまだ4歳だった真ん中の娘に

「靴下は自分で履きなさいね」

と言いながらブラウスの一番上のボタンを留めてやりつつ「がんばれ、大丈夫よ、しっかり」と新任の歌姫に心で声援を送っていた。

(オマエは一体あつこの何だ)

そんな突っ込み待ちの様相でいたのは私だけではない筈で、あの日あの時、あつこおねえさんの初日の挨拶をリアルタイムに見守ったママとパパたちは皆

新しいお姉さん緊張してたな

なんかスゴイかわいい

頑張れ、だいじょうぶよ

だいすけおにいさんフォローして!

などという文言をTwitterのタイムラインにポチポチと打ち込んでは、あつこに届くわけでもないけれどもさらさらと流し、それはまるで山奥の寂れた寒村に100年ぶりの花嫁がきたのかと思うほどの歓迎ぶり、誰も「前のたくみおねえさんのほうが良かった」など言わないのが私のタイムラインのすてきなところ。

(大丈夫よ、皆あなたの事が大好きよ、うちの子のことをこれからどうぞよろしくね、素敵な歌を届けてね)

私もこの時、この大きな瞳のおねえさんが我が家には最後のうたのおねえさんになるのだろうという感慨があった。もうあと2年もすれば今ブラウスの一番上のボタンの留められなくてしょんぼりしている娘も小学生になって、ウチではもうこの枠の番組は見なくなってしまうのだろうな。

そう思っていたのが6年前。

そして今、うちにはまだ現役で『おかあさんといっしょ』を見て喜ぶ4歳児がある。


それが2017年産の末っ子の4歳で、あつこおねえさん着任の日には影も形もなかったものが現在4歳。この娘は生まれる前からこのEテレの歌姫に音楽を授けられてきた子どもだ。テレビにあつこおねえさんが歌うのを見つけると4歳のまだうまいく回らない舌で嬉しそうに一緒に歌う。

大体4歳は、毎度毎度手術後のICUにさえ持ち込んでいたのだから。お世話になるにも程がある、そういう子なのです。

4歳はこれまで3度、色々と欠損というか問題のある心臓を何とかするのに結構大仰な手術を受けているのだけれど、心臓の手術と言うものはその多くが一度心臓を止めて行うという人類最高純度の無茶振りであるもので、それはかなり体に負担を強いる、それで術後はICU(集中治療室)に収容されて担当の外科医が

「ん、もう戻っていいよ」

と言うまでは病棟に帰れませんというものなのだけれど、ICUという場所は生きるか死ぬかの命の瀬戸際を取り扱う部署なもので、小児病棟のようにパステルカラーの壁紙も可愛らしくデフォルメされた動物のイラストもアンパンマンも、ファンシーでほんわかとした要素がビタ1文存在しない。

そもそもそこは子どもの来るところではないからだ。

小児科にはPICUと言って子ども用の集中治療室があり、ガチの本物の集中治療部に放り込まれる子などよほど重篤な状態の子か、取り扱い厳重注意の脳外科とかか心臓外科なんかの子であって、娘の病院の小児科にあってそれは、超少数派になる。

それで丁度去年の今頃にあった手術の後も、ICUでシリンジポンプの山とか人工呼吸器とかペースメーカーとか吸引器、それから人工透析器にECMO、あの時は色々と状況と状態が相当に悪くて、娘の周囲は医療機器見本市みたいになってしまっていた。そしてそれだととにかくピーピーピーとあらゆる器械のアラーム音と動作音が部屋中に響き渡り、その空間をより一層無機質なものに演出してくれるもので、私は躍起になって自分の面会している間は

ぱんぱかぱんぱんぱーん しゅっぱつだ ぼくらの未来へぼうけんだ

というフレーズで始まるこの頃の娘の一番好きな歌を、担当看護師が狂うほどリピートして聞かせていた。娘を取り囲む医療機器が大量で巨大すぎるが故の個室入院だったからこそできた技です、はい。

何しろその場所では珍しい小児科からの子である上に、術後はひどく難渋、冗談抜きで死にかけてICUに長期逗留することになった、現場には珍しい幼児だったもので、看護師さんも娘が半覚醒している時間にはよくDVDを流してせっせとそれを聞かせてくれれた。

ある日なんか、面会時間丁度に娘のいるICUの個室に飛び込んだら術衣の小児心臓外科医と一緒にあつこが歌をうたっていた。もといDVDを先生が流してくれていた。この人はそこの大学病院では唯一無二の小児心臓外科医で普段は超絶忙しい、家に帰れない程忙しい、おかあさんといっしょのDVDをおとうさんみたいな顔で担当患児とみている暇などないはずなのに。

「先生、なにしてはりますの」

「歌を聴かせてあげると、娘ちゃんの数値がやや上向く気がするなあ」

というのがこの時の医師の所見で、ホンマかなあと思って見ていたら確かに下降気味だった血圧が上がったりする。この時娘は麻酔を解いても、鎮静を減らしてもちっとも起きてくれないという状態が続いていたのだけれど、あつこの歌声はその深い眠りの底にある幼児を、ぼんやりと弱まっていた命の火を、揺り起こして強くしてくれていたのかもしれない。

その辺はどの医者に聞いても多分良くわからないだろうけれど。

とにかく娘はこの時、あつこおねえさんと、もうひとりのうたのおにいさん、ゆういちろうおにいさんの歌声と一緒に治療の山を越え、谷を越え、とうとう退院するというその日には

「寝たきりの時間が長かったし、自力歩行は退院後のリハビリで頑張ろう」

という医師とリハビリチームの大方の予想と予定を大きく裏切り、よたよたと覚束ない足取りながらも自力歩行で退院をした。この時の娘の背後に私がエアで流したのはやっぱり、あつこおねえさんの歌声

ぱんぱかぱんぱんぱーん しゅっぱつだ ぼくらの未来へぼうけんだ
ぱんぱかぱんぱんぱーん たのしみだ わくわくすることまってるぞ

病院の外に出ても待っていたのは、この先も、それこそ生涯思うに任せない身体とか、コロナとかそういうものだったのだけれど、アホみたいにリピートし続けたあの曲の、あつこおねえさんの歌声は今もこの子のテーマ曲だ。

ホラあの、リングにボクサーが上がる時の入場曲のようなものなのです。何せ娘はその身体の脆弱さに反して精神面だけはヘビー級であるもので。

そうやって沢山応援してもらったものだから、あつこおねえさんの歌声がこの次の春から、毎朝毎夕に聞く事が出来なくなるのは、親の私としても途轍もなく寂しい。

DVDがあるじゃないのとかApple musicに音源があるよとかそういう問題ではないのだ。

ひとつの時代が終わるのだから。

私にとっては子が3人になって、そのうちの1人は重い病気で、最初の内は普通に食事ができないし、次は酸素がないと駄目だとか言われるし、なんだか年中行事みたいにオペ室とICUに放り込まれるしとにかく育児の一番大変な苦しい冬の時代を共に過ごし、そこにひとときの春を運んできてくれた人なのだから。

6年間なんて、ひとりの子どもが生まれて小学生になる、そういう時間だ。本当に長い間ずっと子ども達に歌を届けてくれたおねえさん、美しい音楽と共に育った子どもたちはこの先も美しい音楽を求めることができる、その一番最初を作るというのは、本当に尊い仕事だと思うのです。

永遠の「うたのおねえさん」の称号は与えられてしかるべきでしょう。

そして、あの妙なテンションのプリンセス・ミミィが見られなくなると思うと、それもまた、寂しい。



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