アドベントに生まれたひとびとの。

上空があまりにも曇天というか冬の鉛色であって、ついこの間まではまだ秋の延長戦のような穏やかな日差しのあったものが突然の寒気が遠く北の方角からやって来た昨日のそのあたり、冷気を多量に含んだ空気に肌が降れると突然にそして急速に肌のごく薄い部分の唇だとか指先の色が青いような赤黒いような、血色を失った色になってガタガタと震えだして、それが巡り巡って

『もともとまともなつくりじゃない心臓の負担になるんだよね』

ということらしい3歳と、肌の色にも心臓にも特に問題はおきないけれど、極端な寒がりで秋ごろからふわもこに着ぶくれている10歳をあまり外に出したいとは思わなくなるのが親心というもので、暖かなホットカーペットなどを敷いてそこに2人の娘を猫の子みたいにコロコロと転がしている平和なこの日曜、アドベントがやって来て、世界はクリスマスのカウントダウンに入るのでした。

アドベントという単語は「到来」を意味するラテン語であるところのAdventusから来た「キリストの到来」のことであって、いまから2000年と少し前に救い主が世界にお生まれになったその日を4週かけて皆で準備してお待ちしましょうという、それを信じる人々には大変に大切な1ヶ月。

しかし、それを喜びとする信仰にある以外の人々の、特に小さな子どものある家庭においてはこの期間というものは、Amazonやトイザらスを経由してのサンタ業務の最後の詰めであるとか、クリスマスケーキは作るか買うかの決断であるとか、スーパーのお菓子売り場にならぶとりどりに美しい緑と赤のチョコレートであるとかクッキーなんかのお菓子たちを巡って「買ってよう」「それはいまいりません」の攻防を繰り広げる季節というか。

そしてこれは大変な邪推であるのですが、多分クリスマスと言う季節を一番恐ろしく遠ざけたいものと思っているのは教会での牧会を生業とする牧師先生であるとか神父様ではないのかと、だってこの期間というのは礼拝も説教もそれはそれは特別なものになる上、教会によく併設されている幼稚園だとか保育園とかその手の施設はイベントだらけ、とにかく忙しいもの。私はかつての大学の同期が

「12月やばい超絶忙しい、俺はもう死ぬ、アドベントもクリスマスもはよ終わってくれ、神様、ひとつ頼みます」

と飲んだくれていたのを覚えているのです、彼の仕事、牧師なのですけれど。

そして私個人にはもうひとつ、このアドベントの季節というものには特別の意味がありまして、それはこのアドベントの期間に私の、前述の冷気と寒気にすこぶる弱い心臓にいろいろの問題のある3歳の娘の誕生日があって、今年はいよいよ4歳になるのです。

その日の前後にはどういう訳なのか、同じように心臓の病気を持って生まれたお友達の誕生日が、お友達①の次に娘、その次にお友達②とほんの数日を隔てて続いていて、ひとりは娘と同じ病院で同じ歳に生まれて暫くの間をNICUで共に過ごしていた女の子、もう1人は実際には会ったこともなくて、それでも彼の命が日々楽しい記憶を紡ぎながらとにかく長く長く続いてほしいとずっと願い続けている、娘とは2つ違いの男の子。

この神の子であるイエス・キリストの産まれた日を待つための4週の間に、これは私個人がそう思っていることなのだけれど

「これは一体世界に祝福されているのですかね、そういう意味合いで本気出して真面目におつくりになりましたか」

と神なる何かにお聞きしたくなるような、難解で普通とはかなり、相当に造りの異なる心臓を持つ子どもが3人、もうひとつ年を取るためにその日を待っているのです。

特にひとりの男の子の方は、もう何年も病院に入院して退院してまた入院いてという生活をしている子で、彼こそ、この度の誕生日を迎えると4歳になる娘が、この春に結構大がかりの手術をして、結局それが

「予測した中で、かなり良くない状況です」

術衣が普段着で住まいは集中治療部及び手術室、真摯で真面目で誠実すぎる執刀医からひとつの遠慮も忌憚もなく

「次の一手があるかどうか考えています」

ということはそれって後から考えると、あとほんの少しの色々が1mmずれたらあかんかったやつやろという状況にあって、その男の子もまたこの時、ほぼ死にかけであった娘のいる寒色に埋められたICUという場所からは遥かに遠く東の方向にあり、長く命の際の際、心臓の周辺を外科的に強引に作り変えた類の子は何がどうしてそうなのか忘れたけれど、胸に水が溜まってそれが抜いても抜いても出て来る、故に肺に直接差し込んだドレーンという管が永遠に抜けないし、その間はほぼ絶食状態であると、当然退院なんかは夢のまた夢であるという状況であって、それでも

「明けない夜はないし、離脱できない局面はないし、止まらない胸水はない、きっとそうなのだから頑張ろう」

そう言って、その男の子のママは私よりもきっと確実に絶対にずっとお若いのだけれど、この時期の私を大変に励ましてくれていた方達なのです。


『人と人とは結局基本的には分かり合えないものだ』

と言うのはそれが寂しくも世界の、森羅万象の真実であるよと私は思ってはいるのだけれどそれでも人はある時、それはきっと刹那的なものではあるのだけれど、互いが同じような世界線に立った時に、自分とよく似た遠くの誰かに手を振り、相手のその人も全く同じ気持ちで手を振り返してくれるという奇跡のような瞬間があるのだと、当時42歳の私は年若い彼女に教えてもらっていたのでした。

それでその時に、私達の子は今こんな大変なことに、いや大変のグレードをもしチャート化した時にはその男の子の方が格段に大変ではあったし今もそうなのだけれど、とにかくこんな状況ではあるのだけれど、あの3月にあって

「我が子の今年の12月のお誕生日をきっと生きて、そして自宅で迎えさせるのだ」

と誓った私たちの一見小さくささやかな、実は壮大な願いはいよいよ本日この時を持ちましてカウントダウンに入ったわけなのです。

この春の、私の娘が長い術後難渋の時期、あちらの男の子が長い長い入院中であった当時の掛け声は

「アドベントの期間に生まれた子は強い」

というもので、この何の根拠も科学的論証も無い謎の自信のようなものは、昨日この男の子がいよいよ誕生日を目指して退院し、自宅にお戻りになったという知らせをちらりと見て私の中では確信となったのでした。でもこの

『アドベント生まれ』

と言うのは、それだけ聞くとまるで神様に守られているひかりの子であるように思えるのだけれど、実際のところ私達のこの界隈の子ども達というのは、生まれたそのままの姿では長期生存どころか明日の命も危ないというところを現代医学という無茶振りで、それは場合によっては生命倫理の問題ですらある色々がすれすれで賛否両論の、結論としては神様への反逆であると言えるもので、そのような生存を無理やり勝ち取りながら1年1年誕生日を更新していくというのは、勿論普通の元気な健康な子どもにも誕生日はめでたく奇跡的なものであるのには変わりないのだけれど、やはり特別な感慨のあるものなのです。

そしてその生存が幸せなものであるか否かというのは、これもまた正しいことかどうかわからないのだけれど、特にまだ小さな今は親の、私達の手にかかっている部分がとても大きいと、これは私が個人的に思っている事ですが。

だからこそ私はアドベントのこの期間に入った今日この朝がとても嬉しいし、誕生日のお祝いのプレゼントの用意に余念がないし、娘にとっては生まれて初めての写真館できょうだい3人の写真だって取っちゃうし、何よりあの時のあの子が家に帰ってきてあの日の約束を共に叶える準備に入ることが出来たとことが嬉しいのです。

それが神様への反逆で、世の理への無茶振りだとしても

とにかく私はこのアドベントの朝がとても嬉しい。

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