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9月は夏の終わり。

9月になり、夏が終わった。

ということにして欲しい。

例年通り恐ろしい程夏の太陽の日差しが強く、そうかと思えばもしや今年は冷夏でしたかと思う程突如として涼しく、ある時期には淀川が決壊するのかと思う位雨が降る。なんだかおかしな夏だった。そして急転する天候の中で日に日に増え続ける感染者と、別にいいのにそれに伴走するRSウイルス。うちの末っ子の3歳のお友達が何人もRSウイルスのせいで大変な目にあっていた。

戦々恐々とする事が本当に多かった今年の夏、流石に少し休みをください、それが駄目ならせめて暦だけでももう穏やかな秋が訪れたと言う事にして欲しい。


ただ、7月の末から始まった夏休み、それ自体は天保山ぐらい平坦で起伏のない退屈なものだった。子ども達に申し訳ないレベル、その標高4.53m。このご時世に基礎疾患児を抱えたウチは旅行もなし、実家が県境を跨ぐ距離にある事もあって帰省もなし。そして今回、世間の多くの人々がお休みだったお盆の期間、例年の夏には珍しく肌寒い雨が降り続き、夏への情念をベランダの直径90㎝のプールでしか燃やす事の出来なかった末っ子の3歳は「この大雨を何とかしろ」と言って私に詰め寄って来るし、この子の兄である12歳と姉である10歳は寄ると触ると喧嘩をするし、頼みの夫はずっと仕事で、行事も予定もなく、起伏のない平坦な夏休みとは言うものの、その点は台所のシンクに頭を打ち付けたくなる程度には大変だった。

そのお盆、迎え火に誘われて死者の魂が年に一度帰って来るらしい時期、毎年実家では普段からよく行き来している実家とはすぐ近所にある本家の広大な屋敷に父と母が出向き、妙に改まった挨拶をしてから持参した品物を渡して、それと同等のお値段の返礼品と交換する儀式があって、それは今年もちゃんと律儀に開催されたらしい。

とは言え今は身内と言えども、そう大勢で集まる事はできないし、地元に残った身内はお年寄りばかりの弊一族では、その儀式はここ2年程かなり簡略化され、玄関先での挨拶のみになっているらしいけれど、まだ人が大勢集まる事ができた少し前まではこの挨拶の後、身内が集って仏間と客間を全部開け放って作った広間で食事をしていた。

『夏の田園地帯、築100年の田舎屋に集う一族』

そんな風に書くと一体どこの横溝正史で犬神家かと思うかもしれないけれど、そこでは別に不穏な生暖かい風も吹かないし、湖に逆さに沈む遺体が出てきたりもしない、どちらかと言うと細田守監督の映画『サマーウォーズ』の作中で、親族一同が夏の田園を背にした広大な屋敷に集う、あんな感じ。あの映画を初めて見た時、当主を上座に勢揃いした一族が子どもも大人も皆でひとつの食卓を囲んで大皿の料理を取り分けている様子に何だか物凄く既視感があるなあと思っていたら、細田監督と私は同郷だった。

この熨斗紙付きのプレゼント交換は、夏の終わりまでに数回一族の間で、最近ではわざわざ宅配便も駆使して取り交わされ、結果、実家の納戸は水ようかんとか、サラダ油とか、浅草海苔とか、ビールとか、バウムクーヘンとかどらやきとかその手の

『田舎のおばあちゃん家に行くと必ず持たされて若干持て余す』

その類の食品がぎゅっと詰まる事になる。

実家のある地方の冠婚葬祭、加えて法事と季節行事への熱量は結構凄いものがある。引き出物、進物、配りもの、常に想像を超えた物が親戚筋すべてに配布される。そしてそれは、今、このご時世では自粛ムードだろうけど私が実家にいた時分は近所におすそ分けとして配布されていて、自宅の冷蔵庫には常に近所からの配りものの『何か』があるのが普通だった。あと祝い菓子でも何でもそのサイズが尋常じゃない、いつだったか生まれも育ちも現住所も関西の夫に

「結婚式があると、ひと抱えある巨大な鯛のかまぼこが引き出物についてきて、それを切り分けて近所に配り歩くので、結婚式シーズンはいつも冷蔵庫に必ず貰い物のかまぼこがあった」

巨大だし鯛だし初見だとびっくりヤツ。そういう実家ではごく普通の、日常の風景である話しをしたら

「かまぼこが鯛…?原料じゃなくて形が?」

その形状からしてあまり信じてもらえなかった。嘘じゃないもん、トトロいたもん。

そして量。昔々、まだ私が振袖を纏うことができた頃に出席した地元の友人の披露宴の引き出物なんか、ちょっとした引っ越し荷物かと疑いたくなる程多かった。でもそれはもう20年も前の事だから今は少し簡略化されたんじゃないかと思っていたけれど、実家の家族から伝え聞く感じでは今でも結構な量らしい。

現在、実家には父と母、それと私と3つ違いの姉、あとは完全に老年期に入ってすっかり気難しくなった今年12歳になる黒柴が居るだけで、それだとなかなかその手の到来物を消費するのは厳しい、それで

「余らせて悪くなる前に、そっちに送っていい?」

毎年夏の終わり頃、実家の母から連絡が来る。

文明堂のカステラ、これは東京のもの
海苔の佃煮、ラベルに香川県と書いてあった
味付けのり、有明産
地蔵盆ぽい駄菓子類、袋入りのやつ
ブドウと梨、これは長野県産

それと父が「そんなに作って一体誰が食べるのか」と家族から止められているにも関わらず毎年とんでもない作付面積で作り続けられている大量の夏野菜、そして「いい加減切ったら?」と私と姉がずっと言っているのに切られるどころか、実家が建築された当時からもう40年も枝を伸ばし続けている梅の木の梅で毎年作られる梅干しとその副産物のゆかり粉。そういう「田舎のおばあちゃん」からの一式が届く、少し前まで母は母で、私は娘だったはずなのに、今や母はおばあちゃんで、私はお母さんだ。

非常事態宣言の渦中、県境を越えて実家から来る事ができるのは荷物だけ、その間に人間の倍速で年を取る実家の黒柴はどんどん白い毛が増えて最近は寝てばかりの犬になった。子ども達はきなちゃんに会いたいと言う、でも元来臆病な性格でひどく車酔いする性質の黒柴のきなちゃんこと『きなこ』は実家から車で5時間もかかる我が家まで来ることはできない、だから会えない、そういう夏が2年目になる。

お陰で一番末の3歳の幼稚園の夏休みに渡された冊子の

『夏休みの楽しい思い出を書きましょう』

ほぼ親の宿題と思われる宿題のページが全然埋まらないまま、それは今日の現段階でまだ仕上がってない。楽しい思い出も何も、おばあちゃんから荷物が来ましたとか、普段から定期受診している病院に行って小児循環器医の先生が心エコーを取りましたとか、ベランダでプールをして遊びましたとか、それ位しか書く事が無いので真剣に困っている。今、ウチにやってくるのはこの3歳の訪問リハビリの先生と訪問の看護師さんだけだし。

人生史上、ここまで書く事が期日に間に合わないのは修士論文以来かもしれない。

今でこそ、大学の卒論やレポートはデータ入稿、メール提出が可能な大学が殆どらしいけれど、私が学生だった時代はまだ文書を印刷して指定の黒い表紙をつけて黒いとじ紐を蝶々結びにして学部事務室に提出するのが大原則だった。それがあの…2000年代のいつだったか忘れたけどその12月の期日に間に合わず、閉まる事務室の扉を目の前にそれを落として1年棒に振った事がある。すごい馬鹿。その時以上に書けない。

そしてこの仕上がらない宿題を抱えたまま、この緊急事態宣言下、肺炎罹患即入院の心臓疾患児の3歳は、状況がもう少し落ち着くまでひとまず幼稚園を自主休園する事になった。おばあちゃんの家に遊びに行くどころか、自転車に乗って数十分の幼稚園にも行けないとか。

その上、この自主休園を決断をして幼稚園に連絡した際に、困った事が判明した。幼稚園の看護師さんがお休みしているそうだ。

復帰は未定らしい。1学期の間は姫につかえる女官の如く優しく優雅にうちの横暴な3歳につきそってくれた看護師さんは大丈夫なんだろうか。そして常に酸素ボンベ(※1)に繋がれていて、かつバイタル(※2)のチェックが必要な所謂『医療的ケア児』の3歳は仮に自主休園期間が明けて登園できることになっても、そこに看護師さんがいないと幼稚園に通うことが出来ない、その時どうするか、それは大体

「看護師が不在の期間は保護者が保育時間に付き添う」

これが一般的だし、今のところそれ以外に方法はないと思う。この場合保護者は私。親子同伴通園は医療的ケア児の業界ではよくある事だ。

春、入院とリハビリの為にクラスのお友達より2ヶ月遅れで入園した1学期間、母子分離の訓練の為に最初の内だけ週3回それも3時間程度の時間を付き添いをしていただけでも結構大変だったのに、2学期になって保育時間一杯在園している時間全部を、それも週5でみっちり付き添いしていたら、最近少しずつ頂けるようになってきた仕事をどうしよう、寝ないとか?

あと寄る年波にもう勝てなくなったお年頃の私は、循環機能の不足と不備ですぐに息切れする癖に、瞬発的な身体能力だけは健康な子供以上に高い3歳の動きについていける気がしない。

『王子様はお姫様と末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし』

あのおとぎ話の大団円の結末は、本当に現実には無い、知ってたけど。

ここまで来るのに3年8ヶ月かけて手術で心臓と血管を切って繋いで肺循環を作り変え、リハビリをして運動機能も回復させて、行政にも幼稚園にも掛け合って保育環境を整えてきたものの、まだまだ山は高いなあと思う。エベレストとまでは言わないけど、K2程度には高い。あと今はちょっと状況が悪すぎる。

仕方ない、普通の人だって人生はトラブルシューティングの連続だし、誰かが悪いと言うよりは、全部ちょっとしたシステムの不具合と予想不可能なバグのせい。

9月は1ヶ月休園させる覚悟でいる。あの半分手つかずの宿題の提出期限も1ヶ月伸びるし。この話を実家の母にしたら、3歳の遊び相手に件の黒柴、きなこを派遣してあげようかと冗談で言ってきたけれど、そんなこと絶対実現不可能だと笑って断わった。見た目は美麗な黒柴の『きなこ』は、気難しくて繊細で3歳みたいに元気で遠慮のない子どもが実は嫌いだ。

例年なら8月に来ているあの「おばあちゃんの詰め合わせ」の100サイズの段ボールはこの9月も来てしまうような気がする、当然黒柴は入っていないだろうけど、孫が喜ぶ菓子類と果物が沢山入った箱の上にはきっと

「もうすこし世の中が落ち着いたらバァバが行くからね」

という手紙が入っている。

そんな訳で夏休み、3歳は上の12歳より10歳より、もっと長くかかりそう。

もういい、それも人生。3歳、お母さんと9月もお家で楽しく過ごそう。折り紙をして粘土でお団子を作ろう、そしてお母さんがパソコンの前に居る時、Deleteとbackspaceとお母さんが用途をよく分かってないキーは絶対押さないで。それだけは頼む。

注釈
※1酸素ボンベ…3歳は先天性心臓疾患児で、現在治療とチアノーゼ改善のために在宅酸素療法を実施しています。このご時世ですっかり有名になった酸素濃縮器を自宅に設置し、外出時はポータブルの酸素ボンベを使用。常にホースに繋がれている状態で、ボンベは重量があるため、幼児の今は帯同する大人が携帯しています。
※2バイタル…心臓の奇形に伴い肺循環を常人とは全く違う物に作り変えている3歳は、酸素飽和度が健常者よりも低く、平素から低酸素状態で生活しているので、あまり激しく動くと更に酸素飽和度が下がりチアノーゼを起こします、そのためパルスオキシメーターで酸素飽和度と脈拍の計測を実施して体調を常に観察する必要があります。

元気だし横暴だし怖いもの知らず、でも地味に大変、そして非常に可愛い、そういう3歳児です。最後の可愛いは主観です。

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