数小節が終わっちゃう前に

推しが卒業する。日常のようなラストであってほしいとも思うのに、ほんとうに何気なく過ぎてしまったら後悔する気がする。だから大切な思い出たちを丁寧に抱きとめて、ちゃんと閉じられるように、独りよがりな文章を書いている。だいぶ記憶に頼っているので、事実を捻じ曲げていたらごめんなさい。半目で読んでね。

2019年4月、大学に入学して間もない頃、とあるきっかけでこのMVに出会った。

一発で心を掴まれた。ポップな世界観とかわいい女の子たち、そしてさまざまな色が次々に飛び出す音楽。わたしは一瞬でクマリデパートの、というよりもシャダーイクンのとりこになってしまった。
機会があればライブに行ってみたいな、と思いつつ、当時のわたしは大手のメンズアイドルや、ツアーで地元札幌まで来てくれる歌い手のライブにしか行ったことがなかった。そんな地方のしがない学生には、東京で活動するライブアイドルに会う「機会」などやってくるはずもなく、何の進展もないまま時が流れていく。時折シャダーイクンのことを思い出しては、このMVを開いていた。

2020年、コロナという未知の脅威がやってきた。直接の影響を感じ始めたのは2月末。初めての大学生のロング春休み、ライブの延期に伴い行くはずだった旅行の中止、所属していた軽音楽部のライブも中止、3月はバイト先の極寒倉庫と自宅の往復で過ごしていた。そんな中、またわたしはいつものようにシャダーイクンのことを思い出し、クマリデパートを調べたのである。
この頃、コロナとぶつかるエンターテイメント業界は「配信」という選択肢を取っていた。クマリデパートも例外ではなく、むしろ積極的で、それは地方のしがない学生の目にも飛び込んできた。アーカイブを見たのか、リアルタイムで見たのかは覚えていないが、クマリデパートのライブを初めて見た。かわいくて楽しくて、そのとき完全に始まってしまった。
ホームページをくまなく見てメンバーを覚え、Twitterをフォローし、MVを見漁り、配信ライブがあれば欠かさず見る。4人全員がそれぞれ違う輝きを持っていて、全員違わずかわいすぎる。このときはこの子を見てしまう、はありつつも、推しがハッキリと決まらないままどんどんクマリデパートの魅力に心を掴まれていった。

そして、夏。クマリデパートは4人体制から6人体制になる。加入発表はされていて、新メンバーもSNSやブログの更新はしていたので、存在は知っていた。おそらく動く様子も何度か見ていたと思う。ただ、その頃のわたしは4人体制のクマリデパートがすきで、推しているとは到底言えないほどのお茶の間のファンだったにも関わらず、一丁前に変わってしまうことへの不安を持っていた。おこがましいにも程がある。
7月23日、わずかな涙の空気を残して4人体制ラストライブが幕を閉じた。同じ日の夜、6人体制お披露目ライブが行われる。わたしは少しのソワソワを抱えながら、スマートフォンのちいさな画面を必死に覗き込んでいた。

幕が開けて、わたしは一人のアイドルから目が離せなくなった。山乃メイさんと出会った。

147cmといううわさのちいさな女の子が、おおきすぎる輝きでわたしの視線を根こそぎうばっていく。全身を使ったパフォーマンスとしなやかな美しさ、圧倒的なリズムの正確性。ほとんど確信めいた「推しになるかもしれない」が心に降りてきた瞬間だった。
MCではさっきまで見ていたはずのおおきなアイドルはどこかへいなくなり、ふるえる子鹿のような様相をした紛れもない「ちいさな女の子」がいた。かと思えば、特技のモノマネを振られると声のボリュームが5倍になる。その度胸にも刺さるものがあった。
そしてライブは一度終演。ここで新メンバーの影ナレタイムになる。山乃メイさんはクマリデパートのオーディションで最終審査に残ったものの一度目は該当者なしで不合格、再びオーディションを受けて合格し、当時のマネージャーに「諦めない子がすき」と言われたとのこと。涙ながらに語られるそれに、気づけばわたしも泣いていた。

「推しになるかもしれない」は1ヶ月も経てば完全な言い切りができる状態までに上り詰め、ゆったりとしたペースながらもわたしは確実に逃げられなくなっていった。いよいよ我慢ができずチェキを買い、ファンアートを描き、リプライを送り、それはそれは楽しい新規ハイを過ごしていた。
そんな中の2020年12月、他の界隈の推しが大炎上をしてあらゆる仕事を降板、またさらに他の界隈の、ずっとずっとだいすきだったグループが活動を休止した。この時期は紛れもなくわたしのオタク人生のターニングポイントだったに違いない。特に、心の準備のなかった大炎上にはとことん傷つき、もう嫌だ、こんな気持ちになるのならオタクなどやめたい、と本気で思った。
しかしやめることはできなかった。なぜならデカ病みパラダイスのわたしの手を引いて日の光の当たる場所へ持ち上げてくれたのが、クマリデパート、そして山乃メイさんだったからだ。

そこからは加速度的にのめり込み、「機会があればライブに行ってみたいな」は気づけばずいぶんと前から「いつか絶対にライブに行くんだ」になっていた。それゆえにコロナに阻まれる現実にもどかしさを覚え、ライブに行けないのにファンを名乗る自分が申し訳なくなったりもした。距離も時間も資金も世界情勢も他人からすればすべて言い訳に見えるだろう、と勝手につくり上げた謎の他人の視線にちいさくなり、そのすべてを持っているファンをうらやみ、ちょっとした暗黒期だったと思う。今だから言えることである。
そしてついに2021年6月、ワンマンライブにて全国ツアー「限界無限大ツアー」の開催が発表される。全国の輪から漏れがちな北海道も確かにそこにあった。うれしくてうれしくてうれしかった。
前述の暗黒は「クマリデパートが札幌に来るならどこの会場かな」という妄想でやり過ごしていた。妄想が現実になった。(実際、予想通りのcube gardenであった。)実際に会えるまでの3ヶ月の高揚は今でもまぶしく思える。

そうして迎えたライブ当日。それまで女性ファンが大多数を占めている現場にばかりいたわたしにとっては未知数の世界で、グッズ購入から緊張しっぱなしだったように思う。開演までほんとうにほんとうにドキドキしていて、よく知るSEが流れた瞬間、それがひときわおおきくなった。足が震えた。
そして、クマリデパートは現れた。わたしの目の前に、致死量のきらきらを持ち込んで。
アイドルってすごい、かわいい、楽しい! と、初心者のような感想で心が埋め尽くされる。目の前に山乃メイさんがいるとき、わたしの世界の主人公は彼女になる。画面の向こうではなく同じ空間に、確かに、だいすきなアイドルがいた。

初めての対面の特典会、名乗った瞬間跳ねるように笑み、「来るってツイートしてくれてたから楽しみにしてた」と言ってくれた山乃メイさんは、ステージで見るよりもずいぶんと華奢でちいさくて、サイズ感のギャップにまた驚いてしまった。このときわたしは緊張のあまり「こんにちは」を2回発した。見事なまでに挙動不審である。
数年経った今でも、昼公演の「ピアノ」の「忘れないで」で推しから手を伸ばされる景色と、夜公演の「限界無限大ケン%」の「いっそ消えた嘘を掲げて」の力の込もった歌声を覚えている。特に後者は、昼公演の特典会で渡した手紙を読んでくれた山乃メイさんが、「そこが好きって書いてくれてたから2部でがんばった」と言うのだから、ドキドキして忘れられるものではない。今もそのパートの直前になると心がそわつくことは、ここにだけ書いておく。
それから4ヶ月後にはクマリデパートに出会ってから初めての遠征を果たした。数はそう多くないものの、数ヶ月に何度かのペースで通うようになっていく。

話は少し遡り、2021年3月。「渋谷LOFT9 アイドル俱楽部vol.21」という吉田尚記さん司会のトークイベントに山乃メイさんが出演した。ご時世もあり、無観客での開催。アイドルに無茶振りをしない、という信念のもと繰り広げられるトークは心地よく、当時はまだクマリデパート以外のライブアイドルに明るくなかったわたしでも心をゆるりと解きながら配信を見ることができた。
そのイベントの中で山乃メイさんは初出し情報を持ってきた。本人の意志だけでなく、当時のマネージャーの導きも大きいと思うが、無茶振りをしない、というコンセプトながら隙あらばアピールしていく抜かりなさを見て、わたしは手を叩き喜んだ。さて、その初出し情報とは「慶應義塾大学に通っています」であった。常々頭の回転の速さは感じていたが、それが学歴として可視化されてひっくり返った。そしてそれから約1ヶ月後、慶應義塾大学を卒業したことを発表する。山乃メイさんはほとんど秘密裏にアイドルと学業の両立を完結させていたのである。

かわいい。

同じ頃、ボイス付きチェキという通販チェキが発売された。その名の通り、ボイスメッセージが付属したチェキである。リクエストを送ると、それに沿った内容の音声データを入手できる。すごいシステムだ。わたしはそこで、大学の課題と作品制作の進捗を促してもらうボイスを手に入れた。それからというもの、度々山乃メイさんはわたしの学業を応援してくれるようになる。わたしが大学生活を乗り切れたのは、山乃メイさんのお陰と言っても過言ではない。
コロナ禍で課題の量が増え、「コツコツやる」がまったくできないわたしは定期的にキャパオーバーになっていた。そんな中、山乃メイさんが名門大学に通いながらアイドルのオーディションを受け、デビューしてからも悟られることなく学業をやりきった、という事実に何度も支えられてきた。潰れそうになるたび「これをメイちゃんはアイドルをしながらやっていたんだ」とその努力を感じ取り、わたしも山乃メイさんに胸を張って会える姿でいたい、と思った。頑張れないわたしで会いたくなかった。
わたしは小さい頃から器用さで何事も乗り切ってしまい、ここぞというときに踏ん張る力がなかった。わたしの中のおおきなコンプレックスである。でも、山乃メイさんに応援されながらなんとか乗り切った大学生活を振り返ると、「あれ? ここも、ここも、ここも! 努力できたんじゃない?」と思える場面がしばしばあった。いつの間にか努力できるようになっていた。

2022年、年末。数ヶ月ぶりのクマリデパートを楽しみに、山乃メイさんへの北海道土産を選ぶ浮かれっぷりで東京に足を運んだ。心の準備は完璧で、前日には明日行くねのリプライも送った。そんな風にして迎えた当日、会場に向かう道中、クマリデパートの公式Twitterから「イベント出演中止」のお知らせが出た。体調不良者が出てしまったようだ。有楽町駅で立ち尽くした。
会う約束をして、必ず会える保証のない社会であること。理解して覚悟しているつもりだった。それでもなくなってしまった1日は想像以上に重く、もう、会えないとダメだと思った。どうしても会いたかった。

年明け、学業を優先するために中断していた就職活動を再開した。学業の延長線上にある憧れの職が、ただの憧れではなく現実的な将来として、わたしの数メートル前に見えている。(これに関しては、「三好一成とわたし」に書いた通りである。)けれどわたしはその道の手前で曲がり、上京した。理由はさまざまだが、いちばんの決め手は山乃メイさんに会えなかったあの日である。憧れの職を目指して、ほんとうにたどり着けたら、それから数年はほぼ会えなくなることが確定する。その数年を待てる気がしなかったし、どうしても見逃したくなかった。選択の責任を推しに負わせたいわけではない。誰でもない、自分の意志で選んだ。ただ、けしてちいさくない選択をぐっと強く押すくらい、山乃メイさんが魅力的なアイドルであることは書き記しておきたい。2023年3月、ギリギリで就職が決まり、夜逃げのように上京した。今はほんとうに、心から、めっちゃベリー上京して良かったハピネスである。

夜逃げしてほんの数日後、「クマリデパートのおいでよ!日本武道館」が開催される。上京してすぐに、同じタイミングで上京した友人と遊びに来ていた後輩数人で、決起集会のような飲み会をした。ほろ酔いになりながらノリで武道館に誘ったところ、4人も来てくれることになった。当日、みんなが黄色い服や黄色いサイリウムで応援してくれて、あったかくてうれしかった。
クマリデパートがいつからか夢のステージとして名前をハッキリと口にするようになった武道館。いざそのステージが目の前に現れると、それはとてつもなくおおきく、広く、おそろしかったことと思う。本人たちの不安は想像に容易かった。いちファンのわたしですら、幕が開けるまでどんなライブになるのかとソワソワしていた。
杞憂だった。武道館公演は、それはもうとんでもなく楽しかった。クマリデパートはわたしにとって、いつの日も希望であり、光であり、幸福である。おおきなステージを余すことなく使って、空間のすべてにきらきらを放つクマリデパートは、その日も変わらずにごりのない存在でいてくれた。

特に印象的だったのが「宇宙の果てで恋をした」と「限界無限大ケン%」である。「宇宙の果てで恋をした」の光の演出は、客席の隅々まで広大な宇宙で呑み込んだようで、その中で静かな強さを持って歌い踊るクマリデパートがひたすらに美しかった。あの瞬間、自分があまりにもちっぽけだった。わたしはこの曲の山乃メイさんにとにかく釘付けになる。もはや意図して釘付けになりにいっている。表情のひとつひとつ、表現のひとつひとつをわたしの抱えられる最大限で拾いたい。武道館のときはたった数回しか見たことのなかったこの曲も、気づけば何度も見ることができている。見るたびに少しずつ味わいの変わるこの曲がとてもとても大切だった。山乃メイさんの表現力が詰まっている。

間奏の小田アヤネさんと山乃メイさんのダブルセンターは必見である。山乃メイさんは自身のダンスを「伸びる」、小田アヤネさんのダンスを「止める」と形容したことがある。クマリデパートのダンスの柱とも言える2人の、まるで真逆な身体の操り。それが揃うことでこんなにも美しい対比が生まれるのだと、息を呑んだ。「YESモチFEVER」の間奏然り、「Furniture Girl」の間奏然り、後のユニット曲「ねおぶくろかるちゅあしてぃ」然り、この2人の戦友のようなパフォーマンスがかっこよくてだいすきである。

ダブルアンコールの「限界無限大ケン%」では、それまでに蓄積された会場の熱が爆発するパフォーマンスで、自分の中の感情もあふれ出てくるようだった。パワフルでハッピーでカラフルな、クマリデパートらしいラスト。クマリデパートの曲ですきな曲はたくさんあるが、「すごい曲」なら真っ先にこの曲が浮かぶ。(ちなみに今なら最新曲の「ブルーサバイバー」も浮かぶ。)何がすごいのか、さまざまな観点からさまざなすごさがあると思うが、ひとつひとつを紐解かずとも有無を言わさずその場にあるすべてを巻き込んでしまうような、そんなパワーがこの曲にはある。大切なライブの大切な位置にある「限界無限大ケン%」はぶわっと何もかも攫ってしまう。とにかく、すごいのである。
そんなすごい曲の落ちサビ、山乃メイさんはまんなかで「Falling girl 税今10%」と歌う。どういうことだ。よくわからない。よくわからないけれど、日本武道館のおおきなステージのどまんなか、ラストを飾る曲のとっても重要なパートを推しメンが堂々と歌っている。こんなに誇らしいことはない。改めて、すてきなアイドルを応援できていることを幸せに思った。


さて、武道館公演の余韻も冷めやらぬまま、わたしは社会人としての生活を始める。まるで知らない業界の、到底向いているとは思えない業種。実家を出るのも初めてで、漠然とした不安を抱えながら生きるうちに、少しずつ心がざらざらとした手触りになっていった。
そんな中、クマリデパートのライブはいつでもあたたかい避難所だった。自分の至らなさに落ち込む日も、独りを強く感じてさみしい日も、何事もない日も、クマリデパートのライブに行けば笑顔で帰路につけた。立てなくなってしまったとき、隣にいて、わたしが立ち上がるまで待っていてくれた。全部投げ出してしまおうかと思ったときも「でももうちょっとだけやり過ごせば、メイちゃんに会えるんだ」という事実がわたしをその場に留まらせてくれた。いつの間にか1年が経ち、まだふとした瞬間に沈むことはあっても、あの心のざらざらは感じなくなっている。わたしは自分の足で、ここに立っている。
山乃メイさんを応援してきた日々で、けれども応援されていたのは確実にわたしのほうだった。紛れもなくわたしを強くしてくれたのは山乃メイさんなのである。

上京してからの1年、書ききれないほどのたくさんの思い出ができた。数ヶ月に1回だった会える回数が1ヶ月に何度も、に変わった。連日イベントに通ったり、一緒に遠征したり、仕事終わりにライブに行ったりと、それまでは不可能だった楽しみが増えた。
本音を言うと、最初は少しだけ自分の「すき」に自信がなかった。何度も会えるようになってしまえば、「もうこれ以上はいいや」と思うタイミングが来るのではないかと思っていた。実際はそんなことはなく、会えば会うほどまた会いたかった。こんなにも何かをすきでいられることが幸せだった。

2024年1月19日、仕事終わりにスマホを開くとXの通知が届いていた。クマリデパートの投稿に「第4期メンバー募集のお知らせ」の文字が見える。「なぜ!?」と思った。6人で続くと思っていた。詳しく見ようとXのアプリを立ち上げる。通知欄を開いて飛び込んできたのは、推しメンからの「だいすきなみんなへ」、そしてクマリデパートの「山乃メイ卒業についてのご報告」であった。青天の霹靂という言葉がこんなにもしっくりくる瞬間は、人生で初めてだったと思う。この6人で続くと、なぜだか疑っていなかった。
一人でその事実を表面的になぞり、先輩とともに職場を出る。先輩と別れたあとの、駅までの足取りも心持ちも何もかもが記憶から抜けている。むしろ何も考えていなかったのかもしれない。駅の改札に入り階段を降りたあたりで不意に「山乃メイ卒業」が輪郭を持ち、それをきっかけにジワジワと涙腺が緩み始める。たまらず早歩きで改札を出た。堰を切ったように、とあまりにベタな表現の似合う泣き方をしながら、一駅分をちいさな歩幅で歩いた。人通りの少なさだけが唯一の幸いだった。結局一駅分では涙は止まらず、もう諦めて電車でも目立たない程度に泣き、家に帰って開口一番、姉に「山乃メイ卒業するらしい」と言って、また泣いた。
深夜に目が覚めてまた眠り、次に目が覚めたときには涙が流れていた。ドラマか小説か漫画か、あるいは乙女ゲームのシナリオか、そんな失恋の描写みたいだな、とちょっと可笑しく思う。むしろ世の中のありふれたシーンはあくまで写実なのか、と感心すべきところだったかもしれない。何度目覚めても現実だった。
ふと思考に空白が生まれると「山乃メイ卒業」が過ぎる2ヶ月だった。それでもわたしは立っていて、クマリデパートのライブは変わらず楽しくて、メンバーもわたしも笑顔だった。あっという間に、たまに泣きながら、でも抱えきれないほどの楽しさを感じながら、気づけばすぐそこに卒業公演が迫っている。

山乃メイさんはこの2ヶ月、成長を止めることはなかった。ゆるやかに卒業に向かっていくのではなく、卒業のその瞬間まで日々理想のアイドルを更新していく。山乃メイが山乃メイというアイドルであることに誰よりも真摯で誠実で、だからこそだいすきなのだと強く感じる毎日である。それでも確かに、ひとつひとつはきれいに閉じていく。

正直な気持ちを言うならとてもとてもさみしい。わたしの人生において、山乃メイさんはすっかり重要な登場人物になってしまった。卒業をすっきり見送れるかと訊かれたら、それはあまりに無理な話である。
でも、山乃メイさんに出会ってから今まで、ひとつも後悔はない。わたしはわたしのできるすべてで山乃メイさんを見続けることができた。山乃メイというアイドルをずっとだいすきでいられたことが、わたしの人生の誇りのひとつになった。
今までたくさん背中を押してくれた大切なひとの背中を、今度はわたしが押したい。これもほんとうの気持ちである。自分のありたい姿に向かってとことん努力できる山乃メイさんをすきになったのだから。今度こそ、「応援」がしたい。
わたしの感情は今も言語化できない塊としてわたしの心の中にある。矛盾する何かも、まだ曖昧な何かも、きっとすべてがほんとうなのである。心の準備などできているはずもなく、これらの感情が輪郭を持ち始めるのはきっと卒業のあとなのだろうと思う。だからもう待つのみだ。最後の最後までアイドルでいてくれる山乃メイさんの、最後の最後までファンでいる。それだけができることだと思う。

正直、今自分が何を書いているのかよくわかなくなってきている。ので、書ききれない気持ちは胸にしまってこの文章もそろそろ閉じようと思う。少しは自分の気持ちをまっすぐ見つめられただろうか。ここまでこのポエマークソデカ感情隙自語こじらせ文章にお付き合いいただきほんとうにありがとうございます。猛者ですね。

わたしは「いちばんすき」ということを本人の見えるところであまり言わないようにしている。(ただし「世界一かわいい」は言う。)今この瞬間の真実であっても、それを口にしてしまえば未来の自分にとって重荷になってしまう気がするからだ。今の「いちばんすき」を未来まで引き継ぐ義務はないとわかっていても、なんとなく許せないここちがあるのだ。難儀なオタクである。
でも、敢えて言いたい。山乃メイさんが、いちばんだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いすき!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!もし今後わたしのいちばんが変わる瞬間が来ても、きっとこれは許される。永久欠番のようなものだ。わたしはこれを抱えて卒業公演に行く。
そこがどんなライブだろうと、やっぱりわたしは山乃メイさんに会いたいみたいだ。たくさんありがとう。最後まで、だいすきだよ。

おしまい。

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