大日本帝国とは何だったのか―大日本帝国史識の結―

さて、足早に駆け抜けてきました、大日本帝国を振り返ってあれダメだったよねというためのシリーズ、大日本帝国史識シリーズ一応これで完結です。書ききれなかった部分の補足はちょいちょい上げようと思いますが、これまでのシリーズ全体の総括として、大日本帝国とは何だったのか、をもってシメさせていただきたいと思います。

司馬遼太郎「坂の上の雲」あとがきの一説に、このような一文があります。
「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう」

まさしく、明治開闢の大日本帝国は「近代国家」と言われる坂の上の雲を目指して走り抜け、その中で、日清、日露の戦いを行いました。そして第1次世界大戦を経た国際連盟常任理事国入りはその完成を意識させるものだったでしょう。

しかし、「序」で触れたとおり、日清は清朝末期においての北洋軍のみとの戦争、日露は局地戦の勝利をもって英米に頼んでねじ込んだ講和、第1次大戦に関してはヨーロッパ戦線の隙をついたものでした。
そして「壱」で触れたように、第1次大戦後、総力戦体制とファシズムのブームに便乗した大日本帝国は、「弐」「参」で触れた陸軍のもとに暴走。
日清後の対中外交は泥沼化し、泥沼の日中15年戦争、そして太平洋戦争開戦へと突入していきます。

「肆」「伍」で触れたとおり、第1次大戦の後、黄禍論等の問題をはらみながら、すでに世界は民族自決による戦争のない世界に向かっています。その決定的な一歩目は大日本帝国の日露勝利です。帝国主義の終焉期と言っていいでしょう。その大日本帝国が、帝国主義への執着を捨てられずに「アジア開放」を建前に侵略を行ったのも前述の通りです。

また、「陸」「漆」で触れたように、政党政治、民衆運動による民主化運動によって国内の人権は少しずつ整えられていきましたが、世界恐慌、軍部の台頭を期にファシズムがその全てを粉砕します。軍部の特権的位置、衆議院の抑制など、そもそも大日本帝国憲法に組み込まれていた安全装置が作動した、という見方もできるかもしれません。大日本帝国憲法が、法治国家ではなく人治国家に根差して立ち上げられた、というのも前述のとおりです。

そもそも、大日本帝国建設メンバーが目標とした「近代国家」「一等国」とは何だったのか。
これを考えるとき、もう一つの表現「文明国」という表現の方が妥当かもしれません。
この言葉も今の意味とは絶妙に違うと思っています。
現在における「文明国」は、法治と文民統制による民主国家という内実を立ったものですが、当時の文明国には大きく「未開国を文明化させる上位国家」という立ち位置が強くあったのではないかと思うのです。
この帝国植民地主義的「文明国」に最後まで縋り付いた大日本帝国は、太平洋戦争の敗北と極東国際軍事裁判をもって処刑されます。
この処刑の大義名分は、「侵略と戦争開始」でした。大日本帝国は、ナチスドイツとともに帝国植民地主義の理念とともに処断されたのです。

大日本帝国とは何だったのか。
資源も、国土も少ない小国家の拡大への夢の表れであり、時代遅れの拡大主義が淘汰されていったその過程であったのではないのか。

大日本帝国とは、「帝国主義の成れの果て」である、というのが本シリーズの結論です。

そしてそれに対する反省から生まれ「非戦平和国家」という新しい概念の国家モデルとして生まれたのが「日本国」という国家だ、という事も付け加えるべきだと思います。
無論、そのモデル通りには事が運ばなかったことは、前述した通りですが、少なくともモデルを軸に半世紀以上を生き抜いた国家として、「日本国」は誇るべきものであろう、と思うのです。

本シリーズをここまで書いてきて、そして読んでいただいた皆様に問いたいのは、何かに似ていませんか、という事です。

日本国は敗戦後の焦土から生まれ、東西冷戦期を経て、経済大国と呼ばれるようになりました。
巨大政党自由民主党は、内紛と分裂を繰り返し、対立していた旧社会党系が自民離脱組を加えた民主党との二大政党時代を経て、政権を手放し、戦後、学生運動期から活動を続ける右派団体、宗教団体に接近。強硬右派の政権として返り咲きます。
圧倒多数で議席を有し、その他の野党の意見を聞く必要のなくなった与党は、汚職の疑惑に蓋をし、野党の質疑に答えないという方法で議会を空洞化させ、国策に従え、と政策を推し進めていきます。

今、東京裁判において帝国主義が処刑されてから73年が経ちました。資本・共産対立の終焉後の、アメリカを世界のリーダーとした国際協調時代。この時代が9.11によって破壊され、世界を席巻しつつあるのは、力あるものが他を征し欲しいものを奪えばよい、という大変マッチョな考え方だと思います。
協調、ルールの抑圧の中で、それを望んだのは誰だったでしょう。大統領ドナルドトランプを誕生させたのは、ブレグジットを望んだのはいったい誰だったでしょう。

「その陸」でも触れた某市議のTwitterによる投稿を引用させていただきます。
“日本国憲法には「天皇奉戴」が明記されていることから、左翼・反天皇思想こそ、憲法に反しています。
日本人の感覚に「主権」という言葉は合わない、むしろ煩わしいように感じます。脈々と継承される立憲君主制を守るためにも、再度、帝国憲法の誕生に注目し、改憲に臨まれることを期待したいです。終“

日本国憲法にそんなもん明記されてねぇよ、立憲君主制じゃねえよ、などなど、
まず突っ込みどころ満載ですが、この市議が言うことが実現する、という事がどういうことかという事なのです。
前述の通り、大日本帝国憲法は「人治」の憲法です。
我々主権者たる国民が、主権者であることを放棄し、「文明国」の要件である「法治」「民主主義」を放棄し、70年も前に死んだムーブメント「帝国主義」に帰ろう、と言っているのです。

そしてもっと怖いのは、この考えに現在共鳴する人間が少なからず存在する、という事です。

僕個人の意見として、自らの頭で考え、正しいと思うことを行い、それを誰にも強制されない「日本国」という法治国家のシステムが好きです。
ですが、このシステムは主権者が自らの考えで行動を行う最低限度の知識と教養を持っていること、そして、悪い事や間違っていることを「悪い、間違っている」という良心を持っている事が前提として機能しています。

このシステムの危機に瀕し、今一度すべての人が良心に立ち返り、現状を見つめなおすことができるように、との祈りを述べて、本シリーズの結びとさせていただきます。

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