お役に貴賤はござんせん~演劇人あるある~

さて、どんどん行っちゃいましょう、演劇人あるある第3弾です。今回も演劇人が言われてモヤっと来るワードとその理由を書いて行きます。3発目は別のネタで〆るつもりだったんですが、昨日のを書いててそういえば、と思い出したのでこれも書いておこうと思います。

今回は、「役者で出ます」に対する「どんな役ですか?(主役ですか、脇役ですか?)」です。

一般人(演劇人の対比として便宜上使う表現としてとらえてくださいね)の方は、次お芝居出ます、というと「どんな役ですか?」と聞きます。「あ、木の役とかですか(笑)」も出ます。

だから、木の役はな…。というのを昨日書いてて思い出したことです。木の役には木の役の役割が与えられており、その役割を全うしない限り芝居が成立しない、その重要な一ピースなのです。
言ったって木でしょ?って思いますよね。これ、仮に木が主役の話だったらどうでしょ?木だけど主役です。って言われたら。僕は見に行きます。だって面白そうだもの。木が主役の芝居。

以前「罪と罰」という芝居をした時、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフというお役を頂きました。
一般人に「罪と罰」やります!というと「オー凄いね!何の役!?」と聞かれ、役名を答えても「?」という顔をされます。そうですよね。タイトルは知っていても主人公の名前まで覚えていないですもんね。
「どんな役?」の問いにひねくれた僕は「老婆を斧で殴り殺す役です。」と答えます。
「何それ怖いね(笑)」が大体の反応ですね。ここに至っても主役に結び付きません。そうですよね、タイトルは知っていても読んでないですもん。

でもこれね、「主役です」っていうと、「おー、すごい!」とか「みにいくよ!」とかになるんです。
モヤっ。

勿論主役を振っていただくというのは大変な喜びですし、身の引き締まる思いがするものです。
でも、主役が偉いってわけじゃないんですよ。
登場回数や時間、台詞の数も多い方が偉いじゃないんです。
このことに僕自身が気付いたのは自分自身が脚本・演出をするようになってからです。

例えば、以前「orient express」という群像劇をやりました。タイトルロールともいえる主人公はもちろんエルキュール・ポワロです。2時間20分出っぱなし、しゃべりっぱなしの大変なお役でした。(書いたお前が他人事のように言うな、ですが。)
ですが、知っている人はわかると思いますが、このお話、登場人物全員が主役です。

群像劇における主役の設定は難しいものなのですが、その時の公演の真のヒロインは台詞が二言、後はずっと立って見ている、役名も「メイド」というお役でした。
女優さんには台詞のない中で気持ちをつくり、お客様に魅せる、というウルトラCをやってのけてもらいました。
どういうこと?と思いの方、再演を企画していますので、ぜひ見に来てください。

例えば、以前「花、匂うがごとく」という芝居をしました。明治・大正の遊郭を舞台にした一人の遊女の人生を描いたお芝居です。このお芝居、医者、男衆、楼主、正妻、遣り手、女将、女などなど、名前のないお役が沢山出ましたが、それぞれが明確に主人公である遊女の人生に影響を与えていきます。日常のさりげないお芝居の中でそれをやれる、本当に上手い役者さんにやっていただきました。

卑近な例が続きましたが、役者の仕事はその舞台の上でそのお役としての人生を全うすることにあります。
わかりやすい例でいえば「ハムレット」。主人公はもちろんハムレットで、後皆さん浮かぶのはヒロイン、オフィーリアくらいでしょうか?
じゃあそれ以外は脇役ですか?違うんです。
大シェイクスピアは、王クローディアスを演じる人間には、王クローディアスの人生と物語を、宰相ポローニアスにはその人生と物語を、その息子レアティーズには、その人生を、ちゃんと描いているのです。
それらのお役が全員の人生を全うした時、デンマークハムレット王朝の終幕という悲劇が浮かび上がるのです。

逆にいいます。一つでもピースが外れれば、それが成立しなくなりますし、せっかくのハムレットやオフィーリアも主役として立ちません。その意味で、役の上下も貴賤もなく、役者同士は舞台の上での対等のパートナーなんですよ。

では、「役者で出ます」に対して演劇人がうれしい返しは何か。
「どんな話なの?」です。演劇人は嬉々としてプレゼンするでしょう。そしてその次に初めて「(その中で)どんな役なの?」と聞いてあげてください。自分の役割を把握している役者は、自分の役とその見どころを魅力いっぱいに語ってくれるでしょう。

そしてよければ、試しに見に行ってあげてください。日常とは明らかに違う彼ら彼女らを見る事ができるはずですから。

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