アニメ版の事〜スナックバス江を観てのクソデカ感情を吐き出したい〜
上記、スナックバス江アニメ版、12話まで無事見終えました。
褒め言葉として酷かった。褒め言葉として。酷かった。(大事なことなので2回言う)
下ネタオンパレードをやりきった高橋李依さんに本当にリスペクト。
振り切っていた。振り切っていたですよ。
推しの子、触ってないんでオイラ高橋さん初見かな、と思っていたんですが、
ダイの大冒険出てたんですね。フローラで。(SE.グウン)←好感度が跳ね上がる音
何より森田。最後まで森田。
それ笑っていいのか、と言うギリギリ、むしろギリギリアウトを常に攻めてくる森田。
昔、鴻上尚史さんが言っていた、「笑いは自分の中にある毒を吐き出すものだ」と言う様な言葉があって、
何というのか、人は森田を嗤う時、同時に己の中の森田を嗤っているのだ、と思うのですね。
己の中に森田味を持っていない人からすれば、森田というのは本当にただグロテスクで醜悪な何かに見えているのだろう、と思うのです。
つまり森田を笑えるあなたの中には、
あの日の森田っぽい自分がそこに立っていてなんにも言わずにこっちを見ているんやで。
というか、TLでも流れていたアニオリの扱いに関して。
異世界カルテットや、水曜どうでしょうとのコラボなど、原作とは違う“監督ならでは”のオリジナルが多分に盛り込まれていました。
声優の結婚いじりなんかもそうでしたね。
それに対して、「目の前に高橋李依がいるからって高橋李依ファンに森田をするなんて!森田は雨宮天が好きなはずだ!」
みたいな意見もあったり。
というかそれも、あなたの中の森田があの日の夢にあなたを縛り付けて、遠くを見るような目であなたを睨みつけて、なんにも言わずにじっと見つめているん(以下略)
ホン書く人の意見からすると。
原作のテイストを映像化する、という段にあたり、原作の一番大事にしなければならない核はどこか、というのが、それこそお仕事の核で。
僕が思うにバス江の核って、“メタであること”なんですよね。
フォビドゥン渋川氏は、漫画としてのメタを使いこなす作家さんなのですが、
では、映像としてのメタとは?ということなわけで。
そして、客層はその時間帯のアニメを追いかけているアニメファン層である、と考えれば今回のアニオリ、“アニメならではのいいメタ”だったと吉田は思います。
そして、監督もインタビューで言っていましたが、バス江のもう一つの核って、やっぱり、スナックであること。
キャバでも、ガールズバーでも、はたまたオーセンティックなショットバーでもなく、スナック。
おじさんたちがダラダラ飲んでる感じのスナック。
最初違和感だったCパートが、回を経るごとにどんどん味わい深くなるんですね。
お気に入りはタツ兄とバス江ママのロンリーチャップリン。
何より最後12話が喝采なのもまた…(笑)
なにより重要なのは、原作への愛ですよね。愛。アイ。
アニメ版スナックバス江は、原作への愛に満ちていた、と吉田は感じましたよ。
(トミノとかシンカイとかは、業界的に酷だったと思うので、そこ求めるのはマジで酷。)
アニメならではメタを追求しつつ、観客をちゃんとスナックに連れていきつつ、
フォビドゥン味も、森田味も殺さず、
12話まで走りきった制作陣。
アフタートークも含め、目一杯楽しませてもらいました。
なにより、ワンシチュエーションコメディを演劇的にやりきったキャスト陣皆さんに心からのスタンディングオベーションを送り、一応文章を締めようかと。
P.S. えっと、2期、やりますよね?
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