総力戦、ファシズムというブーム―大日本帝国史識の壱―

さて、大日本帝国の歴史を考える第2弾です。ネタがネタだけに、一気に駆け抜けたいと思うのでガンガン行きます。今回は総力戦とファシズムについてです。

1914年7月に起こった第一次世界大戦において、兵士たちは「クリスマスまでには帰れるだろう」という目測で動いていました。
ところが実際この戦争は、5年を費やし7000万人の死者を出す結果となりました。
銃の話でも少し触れましたが、武器の進化によって戦争の形が変化してしまったためです。連射式の機関銃の登場は塹壕を掘り、相手の銃弾が切れるのを待つ「塹壕戦」と呼ばれる形に変化しました。
となれば、銃弾、人員、兵糧たる食料の輸送ルートの確保が重要になってくるわけです。この時代、鉄道の発達によって人員、物資輸送が大きく改善されています。鉄道の敷設はインフラ事業であると同時に軍事行為でもあった、という事になります。

ルートが確保されれば、問題は補給する本国の側になります。金属資源、人員、食料をかき集め、戦地に送り続ける必要が出てくるわけです。それに対して、国家が一丸となって戦争に注力し、国民は私有財産や人権の制限を受けてでも戦争の勝利に向けて邁進する。
これを国家総力戦と呼びます。

詳しくは別項で後述しますが、戦争という大量の費用がかかる事業に対して、戦勝国は敗戦国から賠償金を請求します。この賠償金が天文学的な額になり、ドイツは困窮を極める羽目になるのですが、これが総力戦体制の敗北の結果です。戦争は国家の存亡をかけた大きなギャンブルになった、と言えるかもしれません。

この総力戦体制の必要性を感じて、大日本帝国に持ち帰ったのは、陸軍三羽烏と呼ばれた永田鉄山、岡村寧次、小畑敏四郎の3人です。彼らの運動と右翼の運動が連動することにより、昭和前期の血なまぐさい動乱は幕を開けるのです。
総力戦体制下、全ては戦争のために、と定義されます。人の命すらも。上記3人から始まる統制経済体制を押しすすめる軍上層部によって、国民は「戦争のための生産性」で測られる存在に変質した、と言ってもいいかもしれません。

ヨーロッパにもう一度目を戻します。第一次大戦の途中からイタリアで、「結束」の意味を持つファッショの言葉を旗印にした運動が始まります。国家ファシスト党です。民族主義による団結を訴えたこの政党の政治理論が「ファシズム」なのです。

「ファシズム」をどう定義するか、というと本当に難しい話になるので、もう少し僕も勉強して書きますが、今回は狭義に、「民族主義による団結を押し出し、一党独裁による統制的国家運営を指向する思想」と定義します。

このファシズムが、ナショナリズムの高揚とともにドイツでも台頭します。国家社会主義ドイツ労働者党、耳慣れた言葉でいうところのナチス・ドイツです。彼の行った人類史に例を見ない行いは周知のところであろうと思います。
第一次敗戦後のドイツの困窮から彼らが生まれ、拡大主義のもと、ヨーロッパを席巻。第二次大戦の火ぶたを切って落とすのです。

大日本帝国におけるファシズムの体制は「大政翼賛会」の完成によって成立します。では、起こりはどこだったのか。僕個人は上記政党の案のできるずっと以前、天皇機関説事件である、捉えています。
天皇機関説は、天皇を国の一機関として認識する、というもの。これが天皇を神聖視する軍部から反発を受け退けられ、軍部からの国体明徴声明によって、天皇を掲げた「民族主義による団結を押し出す思想」が始まったのだと考えます。

では、この大日本帝国ファシズムの推進者はだれでしょうか。昭和天皇でしょうか?彼の方自身が積極的にファシズムを推し進めたとは思えません。翼賛会を成立させた近衛文麿でしょうか?対米戦争の火ぶたを切った東条英機でしょうか?
この二人にも、イタリア、ドイツ両国指導者の(良くも悪くもの意味の)カリスマ性はありません。
東京裁判の各被告の意見から見てもわかるとおり、自分たちがその責任者ではない、と思っていたのではないか、と思うのです。
大日本帝国を滅ぼしたのは、独裁者=責任者なきファシズムの暴走であり、その責任意識の無さなのではないのかと思うのです。

さて、総力戦体制とファシズム、この二つに共通する点があります。基本的人権の抑制です。生存権、財産私有権、ファシズム体制下では思想信条、宗教等内心の自由まで制限されます。
この二つによって全世界を席巻した人権侵害は、第二次世界大戦後にまでも尾を引くのです。
もう一つ共通する点、誰も幸せになれない、という事です。国民の血と財産を搾り取ってまで出した出費は、結局相手側から回収できません。それほど天文学的な数字になるためです。実際、第一次世界大戦後のヨーロッパは総じて貧乏になりました。直接的な戦闘と被害を被らなかった日米が台頭するのはそのためです。
台頭し、史上最大の領地まで広がった大日本帝国も、地下資源の乏しさからその領地の維持すらできなくなります。第二次大戦の後、全くのゼロからスタートせざるを得なくなるのです。
その他のファシズムにおいても戦争運営に行き詰った指導者は、投獄、または自決に追いやられていきました。
そして、大日本帝国式ファシズムがもたらした植民地への「精神動員」、これが現在でも外交上の問題として爪痕を残しています。わざわざよその土地に行ってメンタリティを破壊した、大変残念な行為をしたわけです。

この事態に対する反省が、日本国の現行憲法の中に入っていることを、忘れてはならないと思うのです。

次のその弐は、大日本帝国の暴走を引き起こした軍部について。軍人のコンプレックスと臥薪嘗胆です。

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