一等国幻想―大日本帝国史識の序―

えっと、すみません。本当に世の中がひどいので。歴史に少しでも携わった人間として、書かなきゃいけないと思うのです。どれだけの人が読むのかはわかりません。
ですが、表現者として、発信者として、今の自分たちがどういう歴史のもとに成り立っているのかという事を発信なければならないと思うのです。基本的に僕はネトウヨが嫌いです。
そういう視点からの、明治建国の「大日本帝国」という国の事を書いていこうと思います。ですので、むしろネトウヨさんにこそ読んでほしい。大日本帝国がどういう国で、どう滅んでいったのか。
一回目は序としての、「一等国」についてです。

国に等級があるか。ありません、元来そんなもの。ですが、当時は武力的、経済的に優位にあった国を差してそう呼んでいました。

1860年代、世界を席巻していたのは、帝国主義というムーブメントです。植民地主義、とも言います。ヨーロッパ諸国は中東アジア、アフリカ、ラテンアメリカ等の違う文化圏に攻め入り自らの土地、植民地として支配していました。
その植民地戦争の典型的なものが、当時の中国王朝清朝とイギリスとの戦争であるアヘン戦争です。このアヘン戦争、大変ひどいやり口の戦争であったため、アジアの周辺諸国、特に日本は戦々恐々とします。その戦々恐々の中から、諸外国との付き合いをはじめ他国に並ぶために立ち上げられたのが、大日本帝国という国家である、と言って過言ではないかと思います。
立ち上げ当初の明治の元勲たちは、ヨーロッパを視察し、国家のスタイル、軍制、憲法を大急ぎで組み上げます。

その組み上げの最初の成果実験が、清朝との戦争である、日清戦争です。日清戦争は、清朝の有力者、李鴻章率いる中国近代軍北洋軍と、日本陸海軍の戦争でした。日李戦争、であったともいえます。
この戦争に勝利したことにより、日本はアジア文化圏の序列を覆した形になります。ですがそれは同時に、アジア文化圏の盟主であった中国清朝の失墜を意味します。「眠れる獅子は豚だった」と、ヨーロッパ諸国はアフリカをそうしたように、切り取り植民地化していくのです。

日本もその中に入り、朝鮮半島を植民地化、そして、中国北東部である国の利権と衝突します。ロシア帝国です。
ロシアもまた1600年代以降、皇帝を立てて「ヨーロッパ最強」を自負する国でしたが、クリミア戦争での大敗後、近代化後進国に追いやられていました。
このロシア帝国との戦争が日露戦争です。日本30万、ロシア50万の軍勢が衝突。そのうち日本は死者9万弱を数える被害を出しながら、英米両国のとりなしによって、辛勝の状態で講和を迎えるのです。

この辛勝が、日本は「一等国」になった、と国民を喜ばせることになります。もう一つ、アジア諸国にとって日露戦争は大きな意味を持ちました。黄色人種が白色人種に勝利した、という事実です。ここからアジアに民族自決の波が広がり、帝国主義そのものにひびが入り始めるのです。

その後、第一次大戦への参加、戦後景気、ブラックマンデーへとつながっていくわけですが、
帝国主義は国際連盟成立を契機に、否定的な価値観に代わっていきます。その中で、植民地獲得に躍起になった大日本帝国は世界から孤立していくのです。

ざっと概略をみて、大日本帝国は「一等国」だったでしょうか?
日清戦争は北洋軍との戦争、清朝全軍が万全であったわけではありませんでした。日露戦争に至っては、ロシア軍の3倍近い死者を出し、アメリカのとりなしでなんとか「勝ち」にしてもらったというのが実情で、その結果の賠償金も取れなかったのです。

確かに、英、米のパートナーとしての地位は築いたでしょう。ですが、その地位も国際連盟の成立による日英同盟の消失、満州権益をめぐってのアメリカとの対立の過程で霧消します。残ったのは「一等国」というプライドだけだったのではないでしょうか。

むしろ「一等国」というそのプライドが、後々、大日本帝国の暴走を生み出したのではないか、と思うのです。
今シリーズでは、世界史、日本史両面からこの暴走の要因となったセンテンスを掘り下げていこうと思います。次回その壱は、「総力戦、ファシズムというブーム」です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?