伝道の書 http://tsukiyomiko.dreamlog.jp/archives/3048650.html 月詠見て候2016年09月07日 過去アーカイブより
In Deepさんのブログに印象深い記事(正確には過去記事の再掲)の一文があったので、ご紹介します^^
台風10号の上陸直前、日本中に出現し続けた「二重の虹」の向こうに
文中4年前の記事タイトル『虹という「地獄の門」の彼方に』の後、旧約聖書「伝道の書」第1章。
旧約聖書「伝道の書」1章2-11節
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。
先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。
この言葉の前に書かれているブログの記事内容も勿論、外すこと無くしっかりと読んで頂きたいのですが、上記の旧約聖書の言葉が何より連鎖する気象災害(その中に含まれる人災も)について熟考する為に重要な気がして、今回特別に掲載いたしました。
過去のプロテスタント系短大在籍時に購入した、日本聖書教会発行による旧約・新約聖書も手元に開いて、普段読むことのめったに無い聖書の内容を味わっています^^ゞ
聖書ではありませんが、同じく古代の叡智による含蓄深い文章として、参考にエメラルドタブレットの碑文の現代風和訳も、挙げておきます。
wiki
http://www.hermeticfellowship.org/Collectanea/Hermetica/TabulaSmaragdina.html
此れは真実にして偽りなく、確実にして極めて巧妙である。
“ひとつのもの”の調和を成す時、創り手の意志は創造物の上に顕わされ、顕わされた其れは、創り手の意志でもある。
万物が“ひとつのもの”から生まれるように、“ひとつのもの”は万物の和解でもある。
光がその父なら、闇はその母、其れらの織り成すおぼろな陰影が存在の意志であるなら、地を踏む両足は存在を証す。
その力は万物を揺るがす事も無い。
貴方は真紅の内に鮮緑を見よ、地を踏む両足の所以に、おぼろな陰影を見い出し、此れらの対比に注目せよ。
貴方が“ひとつのもの”へと上る時、其の意志を力とし、貴方の両足が地に降り立つ時、貴方は其の愚鈍さを力とする。
こうして両の岸辺を跨ぎ、二つの力を結ぶなら、その確かさ故に虚無をも飲み込むだろう。
其れを成すものこそ“只ひとつのもの”である。何故なら彼はおぼろな陰影の内に、貴方が地を踏む所以を見い出すからである。
こうして全ては創造された。
此の事により、示された驚くべき変容が起こるだろう。
(某ヘルメスコミュのてつろーさんによる訳より)
拙ブログ主が及びもつかぬ理知的な和訳、有難うございます。
☆もし上記の聖書や銘文に関連する書籍に出逢う機会があれば、読むことをお薦めします。
画像は、こちらよりお借りしましたm(_ _)m
上に書いた聖書の一文を読んだ後、見た夢と同様の風景です。
早速世のために(人との話題にする、ブログでの紹介等)動くことをかの神々より望まれている気がしました(少々大げさですが^^;)