【旅のしおり】17、石川ウォーク

ドラクエウォーク47都道府県おみやげ制覇の旅、今回はこの旅のしおりを始めるきっかけになった石川県。最近地震が多いけど大丈夫だったかな…。今は活動期らしく全国どこも気をつけて対策と覚悟が必要だと思う。

私は旅行と避難袋兼用のリュックに宇野昌磨選手とmizunoさんのコラボ用品や必要なものを詰めて、いつでもどこへでも行けるようにしている。そして悔いのないように家族と接して、自分の本当にしたいことをする。

宇野選手は今、スケートが「やりがいをもって、僕がやりたいことだと心から思ってやれている」と話してくれて嬉しかった。
私にとっては以前、書くことがそうだったと思い出せたのは宇野選手のおかげで、これからは私もやりがいをもって、自分の書きたいものだと心から思って書きたい。

ただ、noteは宇野選手の応援のために始めたからどうしても宇野選手のことばかり考えてしまうし、ここで何を書くにしても宇野選手のファンとして書くことになるのはもう少し気をつけないといけないなと思った。

ひとつ前の文章『「This Is Me」とピッコロ大魔王を生み出したもの』は、今の私が残したいものとして考えて考えて書いたけれど、いろいろと反省もあってnoteに公開で文章を書くのは無期限休止することにした。

なので前回半年ぶりに再開した旅のしおりだけど、これが最後かも。前回書いた通り私は途中でやめることに慣れている。でもそんな時は必ず意味があって、次へと進む力に変えられることを知っているから大丈夫。

今は『ONE PIECE』のシャボンディ諸島で、力の無さを痛感した麦わらの一味がそれぞれ飛ばされた先で2年間がむしゃらに修行したみたいに、どこかで自分のインプットに専念してもっと成長したいという気持ち!

【石川(2泊3日)の旅】

[1日目]
金沢駅着
おみやげスポット①金沢駅
金沢ウォーク

[2日目]
金沢駅→輪島マリンタウン
(北鉄奥能登バス約2時間10分)
おみやげスポット②千里浜渚ドライブウェイ
途中バス車内からおみやげ入手可?
輪島ウォーク

[3日目]
おみやげスポット③輪島朝市
輪島マリンタウン→金沢駅(バス)
金沢駅→能美根上駅(約25分+バス約10分)
おみやげスポット④
松井秀喜ベースボールミュージアム

能美根上駅発

金沢の街は、高校生の時に志望大学のひとつを見に行って歩いたことがある。受験は結局地元にしたけれど、兼六園もあって歴史文化豊かな金沢で暮らしてみたかったな。

【石川県の名産品】

①のどぐろ
ちょうど22日のBS-TBS『美しい日本に出会う旅』「冬に咲く美の都・金沢~極上のどぐろ鮨と兼六園の雪吊り」を見たので、のどぐろのお寿司が食べたくてたまらない!

②輪島塗
朝ドラ『まれ』の舞台だった輪島。漆器は英語で「Japan」と呼ばれる日本を代表する伝統工芸品なので、無地のものはもちろんだけど、金箔貼りや金粉を散らした蒔絵の輪島塗の漆器をいつか家宝にしよう。

③石川さんグッズ
宇野選手が石川さんの人形をちょこんと手に持っている写真を見た日から、私の最も気になるゆるキャラ石川さん。ネイサン・チェン選手にちょっと似ていて可愛い。

【金沢SOIの思い出】

石川と言えば、3年前のスターズオンアイス金沢公演のことを思い出す。埼玉での世界選手権の直後に、宇野選手を応援したくて急遽一日だけ観に行くことにした。

私はスノーボードで痛めてから腰がよくないので、寒いリンクで硬い椅子に2時間座っているのは難しかったりする。この時は青春18切符を使って日帰りで移動したのもあって、その後三日くらい動けなかった。

(全選手の演技とグループナンバーが楽しみな前提で)アイスショーでの宇野選手の出番はコラボがないと5分くらいだったりするんだけど、それでも埼玉ワールドの後で、あぁ宇野選手が滑ってる…、生きてる…、それだけで心が満たされる瞬間もあるのがフィギュアスケートの不思議な魅力だと思う。

のちのオーボエ衣装で冬を滑る宇野選手は、(私のイメージだけど)自分で自分を癒しているように見えた。スケートで傷つくことがあっても、スケートで自分を癒すこともできる、そんな手段を持っているということが何もない私には少し羨ましくもあった。

(その後の国別対抗戦で、なぜSPを「冬」に戻したのか、「天国への階段」のがよかったという意見が結構あったけど、あの時期の宇野選手が自分に合っている冬を心地よく滑れたのなら、提案された宇野選手のお母さんは偉大だなぁ、のちにオーボエを勧められたのも天才だなぁ、と割と本気で思っている)

この時のSOI金沢のエピソードで一番印象に残っているのが、石川で食べたいものを聞かれた宇野選手が、食に興味がないのでわかりませんというような答えをした後、社交辞令も言えない…的な批判が多かったこと。

私は自分が愛想笑いで苦し紛れのお世辞を言って後から自己嫌悪に陥るタイプなので、知らないことには知らないと答えられる宇野選手に強く惹かれたけれど、有名人は物知りや優等生を求められて大変だなと思った。

私が宇野選手の年の頃なんてスノーボードでいろんな県に行ったけど、秋の働き始めは緊張で食堂のご飯がほとんど食べられなくて、春先には漫画みたいに山盛りのご飯を食べていたことや、カップラーメンの日もあれば、鍋をみんなで作ったり、山を下りて居酒屋で飲んで騒いで何かを食べた記憶だけで、その県の美味しいものなんて知らなかった。

批判があったとしても、宇野選手はそのままでも自分のタイミングで変わるも自由でいてほしいけれど、私はこの時に日本全国をもっと知りたいと思った。今に繋がるターニングポイントだった金沢SOIに感謝している。

この数年間は、自粛生活の中で、多くの人のターニングポイントになるはずの機会や運命的な出会いが消えてしまったと思う。

宇野選手もターニングポイントになりそうな試合が多く中止になった。もっと早く復活を印象付けられたかもしれない2020年モントリオール世界選手権、一年前の感謝を込めて滑りたかったであろう2020年フランス大会、スケート人生でおそらく最も絶好調だった2021年大阪グランプリファイナル…。

それでも宇野選手は、試合に対して引退後に感じるような気持ちを現役のうちに知ることができたという話をしていた。どんなマイナスなことにも見方を変えればプラスの面があると教えてもらったし、何事も悲観的に考える自分の癖を直していこうと思った。

当時のSOI金沢を振り返ると、多く感じた批判は数人の意見だったかもしれない。ひとつのツイートが主語を大きくしてファン全体の印象として語られることがよくあるけれど、私自身が誰よりも大きくスケート全体の印象として語ってきてしまった気がする。

この、頭の中で増殖する現象について最近よく考えている。家でもずっと撮られて大変…という感想を見た時は、一日数分の動画の数十秒の登場があるかないかなのに、ずっと?と想像してみたら微笑ましかった。
(私も一日に数分、姪っ子の動画を撮るけどそれでも貯まると容量も編集も大変だから、撮った分ほとんど使うくらいの比重で、分担もできて楽しめるなら理想だなぁ)

私は宇野選手がEmmaちゃんたちと過ごす姿を少しでも見せてもらえて嬉しい。
ひとつ前の文章でも引用させていただいた、末次由紀さんのnote『そこまで思ってないなら、なにも言うな』の中に、こんな一節があった。「きついことも辛いこともたくさんあるであろう芸能界。過剰すぎるスポットライトとジャッジを浴びる彼らは、一歳の子供を前にしたらホッとした顔をする。一歳の子供はジャッジしてこないからだ」
宇野選手にとっても物心ついてから初めて、Emmaちゃんたちは自分をジャッジしてこない存在だったんじゃないかな。

こういった感じで、何事も勝手に深く想像してしまいがちな私は、少しずつ自分のことも宇野選手のこともなるべく大きく捉えず小さくして見るようにした。実績とか批判とかは10年後どうなっているか、という見方を今に持ってくる、そうすると心はいつも穏やかにありのままでいられる気がする。

そんなふうに私が180度変われたのは間違いなく宇野選手の影響だと思う。誰にとっても宇野選手はそんな存在だど神格化するつもりは決してないけど、その人についてなら四六時中考えられる、溢れるように表現できる、そんな自分にとってのミューズみたいな存在って本当にいるんだなぁと思った。

ただ、私がいくら宇野選手のことを書けたとしても、いろんな人に読んでもらえたとしても、それは自分の力ではなく宇野選手の存在に頼っているし、迷惑をかけてしまう可能性もある。しばらく応援とは切り離して、他に心から書きたいものを探したい。

現在放送中の朝ドラ『ちむどんどん』の中にこんなセリフがあった。
「あなたはいつでも、どこでも、どうなっても歌うことをやめてはいけません。どんな歌でもいい。あなたがその時、歌いたい歌でいい。あなたは、歌い続ける。聴く人がたったひとりでも。聴いているのが森と虫たちだけだったとしても。それがあなたの人生」

私もそんな気持ちで書いていたい。そして、そんな雰囲気を感じる宇野選手のスケートに惹かれてしまうのだと思う。だからか満員の会場での演技以上に、誰もいないリンクでの練習動画が何より好きだったりする。

試合やアイスショーで本番のプログラムを見せてくれるだけでいいという意見も理解できるけれど、その数十秒の練習動画は私の宝物なので…。誰かの意見が届くということは、誰かの宝物が消えることかもしれない。

すべてのものは誰かの宝物だからそっと置いておいて、自分の宝物を見つけにいく。それでも充分だけど、私も愛するだけじゃなくて何かを磨いて創り出す人になりたい。

私は以前、ドラマの脚本家を目指していたことがある。けれどSNS全盛の時代に、むしろなれなくてよかったと思う。どんな業界でも過剰な批判はその世界で頑張っている人を萎縮させ、目指す人を減少させ、結局は今より衰退させてしまうのではないかな。

私が書くことで何を残したいかはこれからも考え続けよう。スケート選手が一年を通してプログラムを完成させるように、私も毎日を過ごしたい。今はただ宇野選手の「僕は成長し続けるプログラムに挑戦しながら、昨日の自分をずっと追い越して練習していきたい」という言葉を、深く心に刻んでいる。

最近、書くことに関する目標とは別に、趣味としてドラクエと手芸を合わせたYouTubeチャンネルを作りたいっていう突拍子もないことを思い描いていて、今その計画立てをするのが楽しい。(私は計画を立てるのが好きで実行するのは三日坊主なんだけど、四日目にまた計画立てができる幸せがある)

配信の知識も技術もないから2年くらい勉強してからになるけれど、新しいゲームを始めてレベル上げをする前のワクワクした気持ちみたいに、ちむどんどんしてきた!
(私にゲーム配信の楽しさを教えてくれて、自分でもドラクエタクトの実況をやりたいと思うくらいの生き甲斐を与えてくれたので、スケーター宇野選手はもちろんだけど、私はゲーマー昌磨くんの永久にファンです)

そして、何より私は歩くことが好きだから、宇野選手とmizunoさんのコラボスニーカーで、コラボウェアを着て、コラボバックパックを背負って、コラボキャップをかぶって、コラボ水筒やコラボ防寒グッズを詰めて、コラントッテさんの限定モデルの中で気分のカラーを身につけて、日本中、世界中を旅する日を夢見て、今日も歩き続けよう。

(旅のしおりは最後だと思うと長くなってしまった…。読んでくださった方、本当にありがとうございました。応援記の完結編はずっと先に必ず書きに戻ってきたいな!)