宇野昌磨選手応援記【13】「表現とは何かを突き詰めていきたい」

私が宇野昌磨選手のファンになった頃、MAYさんという方のブログで『宇野昌磨の涙 彼が成し遂げたかったもの ~世界選手権2016~』という文章を読んだことがある。
私の心に響いて、宇野選手のスケート人生を見守る勇気を与えてくれた、その文章の一部を引用させてください。

「スケートリンクの自動ドアが開く前から
外でスケート靴をはいて
営業開始のその瞬間から練習ができるように。
それくらい、練習熱心な人でした。

まだ、その頃は練習中に
彼がトリプルジャンプで転倒してしまうころで
よく泣いていたのを覚えています。

ジャンプに向かう助走中に
彼に追い抜かされるときに
泣いている声が聞こえて
少し胸が痛くなりました。

その時、東北大震災の影響で
スケートリンクの照明も何段階か落としていて
薄暗くて。

このスケートリンクでの
まだコーチも来ていない時間の
こんなに根を詰めた練習が
彼に何をもたらすのだろう?

彼はどこまでいけるんだろう。

これだけ頑張る選手。
なんとか、うまくいってほしい。

跳べるようになってほしい。
いつか、世界へ行けますように」

ジャンプを跳べなかった少年が世界のトップ選手になるまでの道のりを、私が応援できたのはフィギュアスケートの右も左もわからなかった頃にこの文章に出会えたから。今も映像のように目に浮かぶこの一瞬を書き残してくださったことに感謝しています。

人が何かの世界で成功するために大切なのは才能よりも努力よりも、やり抜く力だと聞いたことがある。途中で眠らない兎みたいなトップアスリートが多い中で、宇野選手は自分のペースで高い山を登りきった亀のように、やり抜く力を持った人だと思う。

今回の世界選手権が始まる前、宇野選手は「この大会が自分にとって何かしらのターニングポイントになるかもしれない」と話していた。そして大会を終えた後、宇野選手は「トップになれたからこそ(次は)表現者として自分の魅力が何か、自信を持って言えるスケーターになりたい」と語っている。

高難易度ジャンプの習得が必要だった山に登りながらも、ずっと憧れていた表現の山への挑戦。それが自分の成長段階としての転換なのか、怪我の少ない個性的なフィギュアスケートへの提言を込めたものなのか、わからないけれど宇野選手がその山を自分のペースで登っていくのを私は応援したい。

応援記【7】で2019-2020シーズン以前のプログラムを振り返った頃は、宇野選手が「残りのスケート人生はもうそんなに長くない」と考えていた時期だったので、それまでの歩みが起承転だとしたら次は「結」の三年間になるかもしれないと覚悟していた。

宇野選手にとっては「ジャンプばかりになっていた」「もう一回見返したいとは思わない」という演技でも、私にとっては思い入れの深い、どれもそれぞれの輝きがあるプログラムなのでお気に入りは選べない。

【2020-2021】(22-23)
SP「Great Spirit」
FS「Dancing on my own」
EX「Oboe Concerto」

【2021-2022】(23-24)
SP「Oboe Concerto」
FS「BoléroⅣ~New Breath~」
EX「Earth Song/History」

【2022-2023】(24-25)
SP「Gravity」
FS「G線上のアリア/Mea tormenta, properate!」
EX「Padam, Padam」

2021年の世界選手権で四位になった時の、それでも幸せそうに滑っていたステップが印象に残っている。その後、ステファンコーチに「君が世界一になるために何が必要か」と問われて、宇野選手が「ジャンプ」と答えたのは、今のルールでは正解だった。
だけどその答えが正しかったと証明してくれたのは、宇野選手がジャンプに全集中してもプログラムが形になるように支えてくれていた、土台の表現力だったと思う。

先日、AERAの表紙の宇野選手を見た時、ふと芸術家の岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』が思い浮かんだ。改めて読み返すと宇野選手と似ているところがある気もする。

私は世界選手権の「Padam, Padam」が好きすぎて世界で一番見返している自信があるけれど、そこから感じるのはフランスのシャンソンの哀愁というよりも、何だか呪術のような、あの雰囲気や表情は宇野選手の中に毒がないとできないんじゃないかと思った。

岡本太郎さんが芸術表現で「絵の技術だけ、腕をみがけばいいという一般的な考え方には納得できず」「自分をぶっつけること、惰性的な精神風土と対決し、ノーと叫び、挑む」ことを決意したのはフランスのパリで生活していた二十五歳の時だったという。

宇野選手が表現とは何かを突き詰めた先に見せてくれる演技を楽しみにしているし、たとえその答えにたどり着かなかったとしても、そこへ向かう瞬間瞬間の宇野選手の生き方を見て感じることのすべてが表現者をめざす人を応援する醍醐味だと思っている。

宇野選手が大学を中退した時、記事に様々なコメントが付いていた。でも私はむしろ宇野選手の芸術家としての道がスタートしたような気がした。スケーターとしての表現力とはまた別の、お祖父さん譲りの芸術家の血が、宇野選手の中にはあると私は感じる。

宇野選手は大学ではなくてもスポーツ科学をトップレベルで実践している人だと思うし、私自身も中退していて比べるのは気が引けるけれど、常識の範囲内で生きることができなくなった者のこの爆発しそうな探究心を世間は知っているだろうか。

アスリートとしては破天荒なタイプの宇野選手だけど、芸術家としてはまだ優等生なくらいだと思っているので、自分の貫きたい言動をこれからも続けてほしい。
私は北京五輪のグリーンルームも全日本選手権での会見も、その場で伝える必要があった宇野選手の精一杯の優しさからの言動だと感じた。だけど、まったく反対に受け取る人がいてもそれでもいいと思う。

宇野選手の心根の優しさも毒も身近な人が理解してくれていたら充分で、私は地上に見せてくれている姿をずっと眺めていたい。
自然は美しいだけでなく厳しいものだから、倒れても抵抗しても好かれなくても、そこからしか生み出せないものだってきっとある。

この一年間、もっとファンに感謝を、ファンへの心配りを、という声を聞くことが度々あった。私はどちらも宇野選手から充分に感じているけれど、応援が力になっていると何度も目立つ場で強く主張することがアスリートには求められるんだろうか。
それよりも私は、ライバルと言われる選手や年下の選手への好意や感謝を宇野選手がよく公の場でストレートに示すことで、ファンが同じ気持ちで選手たちをリスペクトできるようになることほど、フィギュアスケートの世界で必要な心配りはないと感じる。

四年前の埼玉ワールドから、宇野選手はジャンプも表現も本当に成長したと思う。だけど一番大きな変化は、大切な人を想い、どんな結果でもみんな誰かにとっては「優勝」なんだと知ったことではないだろうか。人としてこれほど大事な成長を他に知らない。

私は『四月は君の嘘』という漫画が好きで、フィギュアスケートファンにはお馴染みのクラシックの名曲がたくさん登場するけれど、その四巻で、演奏家の仲間たちがピアノから離れていた主人公の心に「響け響け響け」と全力で奏でるシーンがある。

十代のシャイな少年だった頃も、心から信頼できる人が片手で収まるくらいだった時も、「次に進むために蓄えていたのか、いろいろ考えさせられたのか。いろんなことがあり、長らく止まっていました」という数年間にも、「響け響け響け」と身近な人たちの支えが、フランス大会の声援が、ライバルと言われる選手や後輩たちの姿が、宇野選手の心に響いた瞬間があったんだろう。

応援記の【4】で四年前の世界選手権について書いた時、私はその後の宇野選手に日本ではなくスイスというホームができてよかったと書いた記憶がある。だけどあの時の埼玉ワールドだってアウェーじゃなかった。すべての観客があの場で伝える必要があった精一杯の優しさを持っていただけだった。
その一年前、Bリーグの試合にゲストで呼ばれた時、宇野選手は「フィギュアにはホーム&アウェーがない」と教えてくれていたのに私が間違っていました。ごめんなさい。

私には何を見ても喜びも悲しみも感じない心が停止していた時期があった。けれど、宇野選手の演技が少しずつ響いて、心がまた動き始めるのを感じた経験がある。
だからすべての選手の渾身の演技から、響け響け響けと何か伝わってくるところが好きでフィギュアスケートを見てきた。

雪が解けて、春に咲く桜を見て美しいと思わない人がいないように、フィギュアスケートが好きでこんなにも美しいものを見せてもらっている人たちの心も美しいものだと信じている。ホームもアウェーもない、ただ自由な空の下で自然を愛するように、氷の上の競技と芸術を愛するファンでいたい。