YouTube上で成田悠輔さんを観察した記録3

成田悠輔さんの観察記録3回目。聞いただけだと絶対忘れちゃうから書き残しておきたいけど、引用がどこまで許されるかわからないのでnoteにまとめるのはラストにしよう。
(問題があればすべて下書きに戻します)

2回目に引き続き日経テレ東大学と、さらに他のチャンネルから、私が関心のある分野についての成田さんの発言をまとめさせてもらって、そこから学びを得た後はしっかり自分のやるべきことに取り組みたい。

『日経テレ東大学』羽田圭介さんと文学雑談

[前編2022年9月25日]

(成田悠輔流 小説の楽しみ方)
「知識とか考え方とか言葉を学ぶんじゃなくて、経験そのものとか世界の動き方みたいなものをミニチュアでシミュレーションするみたいなタイプの情報ってのがあると思うんですよ。それをやってるのが小説とか映画とか漫画とかなんだと思うんですよね。で、そっちのほうを読んでるほうが単純に知識が得られますとか、頭が良くなりますってタイプの本よりも全然自分としては心地がいいなって感じがするっていうぐらいの話ですかね」
「逆に知識とかハードな事実とかエビデンスとかを求めていくんだったら、普通に市場に流通しているような情報よりも全然なんか学術論文とか科学論文とかデータそのものとかを見たほうが早いっていう感じが自分の中にはちょっとありますね」

「言葉を使った経験の伝達みたいなのっていうのが、情報とかキーワードとかキャッチフレーズみたいなのを伝えるっていうのと、同じ言葉っていうメディアを使ってやってるんだけども、全然違うことを行ってるんだと思うんですよね。で、その前者の一見効率が悪いほうっていうのがたぶん人間がやってきたコミュニケーションとか表現のスタイルの中で一番古いものの一つだと思うんですよ。たぶん言葉で物語を紡ぐっていうことと、それから絵を描くっていうこの二つは少なくとも数千年、下手すると一万年単位の歴史を持ってるものじゃないですか。これだけはずっといろいろ産業も変わって技術も変わっているにも関わらず、地道に人類が細々とやり続けてきた活動のいくつかのうちの一つなんだと思うんですよね。で面白いなと思うのはそれがたぶんずっーとマイナーなものであり続けてきたと思うんですよ」
「だからなんかすごい細く長く綿々と続いている人類の行いの一つなのかなと思って、そういう意味ですごく興味がある感じですね」

(言葉の持つ力と可能性)
「映像とか画像で掴んでくるものって、本当に強烈じゃないですか。で言葉単体だと基本的に勝てないんだと思うんですよね。アテンションを取るとか中毒状態を作り出すっていう意味で言うと。だからたぶんアニメとかあるいはドラマとか映画とかがやってる表現みたいなのがなんか料理全体を作るみたいなものだとすると、たぶん小説とか言葉だけで戦ってるのってひたすら出汁の部分だけにフォーカスしてるみたいな感じに近いのかなと。だから汁物だけ延々と実験し続けてるみたいな偏りがあるんですけど、偏りがあるから、そこの部分についての解像度とか、その一杯のお椀について延々と反芻するみたいなよくわからない経験はしやすくなるのかなっていう気はしますね」

なるほど、私は料理の中でよくスープだけを作ってしまうし辰巳芳子さんみたいにいつか極めたいと思っていたんだけど、表現の中で言葉だけを使うのと似ているのかな。

[後編2022年10月2日]

(言葉で表すことの唯一性)
「普遍的な可能性もいくつかあるかなって気もするんですよね。一個は作られたフィクションってすごい情報量が、ある意味で低くて余白が大きいじゃないですか。で、その余白が持っているある種のメタバース性っていうか世界性みたいなのがあってそこに人を没入させる力がすごい強いなと思うんですよ。っていうのは例えば画像とか動画とかだとそこで記述されている情報量が普通の言葉よりも全然多くて、逆に言うともう確定されちゃっていると思うんですよ。だけど小説で、例えば「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」みたいな描写とかってあると、それだけのものすごく少ない文字数でなんか動きを持った空間がぶわっと立ち上がるみたいな感じがあるじゃないですか。で、しかもその立ち上がり方が人によってそれぞれちょっと違う、だけど共通したものを持っているみたいな、なんかすごく不思議な没入感を作り出す能力を持っているものなんだと思うんですよね。だからある意味で言葉って貧しいが故に究極のメタバースっぽい感じもあるのかなと昔から感じているんですけど」

「たぶん文脈とか文化を共有していて、かつ能力値っていうか情報処理能力が高い人たちの間では言葉ベースの情報の共有も早いし、たぶん感情とか雰囲気の共有も早いってことだと思うんですよね。だからそれはチャットベースで仕事を進めたほうがある種の人たちにとっては圧倒的に対面の会議より早いのとちょっと関係しているのかなと思います」

(評論文化が根付かないワケ)
「昔から言葉を使った、文章を使った批評とか評論みたいなものを築き上げてきた人たちっているじゃないですか。それから今現在進行形で生まれてる、もうちょっと普通の軽薄な文芸YouTuberっぽい感じの人とか小説紹介TickTokerみたいな人たちで跳ねてる人たちがいるじゃないですか。この二つを上手い形で融合したようなものは作れないのかなっていうのはちょっと興味ありますよね。だから単に紹介するキャッチーな形で、スーっと入ってくる形で要約するっていうのを越えたような批評とか、どういう意味でその作品が面白いのかとか、そこに何が隠れているのかを伝えてくれるような動画とか音声を経由したような新世代型の文芸評論家みたいなのがいるのかなっていう」

「(文芸評論家が)全般に生まれにくくなっている一つの理由は、単純に貧しくなってるからっていうのもあるのかなと思っていて、要は結構ここらへんのものってもう不要不急の極致みたいなものじゃないですか。だから結構余裕余剰がないと維持できないものだと思うんですよね。昔で言えばやっぱ出版社みたいなものが結構いろんな意味での無駄を提供してたと思っていて、直接にマーケットで成立しないようなタイプのものも支えられる余力があったんだろうと思うんですよね。それが最近だとかなりそれぞれの人が自活しなくちゃいけないっていう感じになってきて、そうするとすごく深く読み解くみたいな、ものすごい時間コストがかかるようなタイプのものっていうのがやってる余裕がある人っていうのがほとんどいなくなってるってことなのかもしれないなと思いますね」

(番組Pの「岡田斗司夫さんみたいにメタファーを面白く解説してくれる人がどんどん増えるといいな」という話から繋がって)
「だから岡田さんたちみたいな、バブル期にそういう余裕があっていろんな筋力を作ることができた人たちと、それ以降の目の前の生活のためにちゃんと稼がないといけない人たちの間で大きなギャップができちゃってるのかもしれないなと思いますね」

「はい、それでは今日は羽田圭介さんをお招きして、言葉とは何か、文学とは何かというとても楽しい議論からスタートしましたが、プロデューサーの悪意により結論は岡田斗司夫が必要(笑)というような結論にたどり着いてしまいました。またこの文学、アート、そして創造・芸術シリーズっていうのをやっていきたいと思います。羽田さん今日はありがとうございました」

この回が日経テレ東大学で一番好きだったかも。これからもこのシリーズをたくさん見たかった。最近の私は自己啓発本ばかり読みがちだったのを反省して、もっと小説を読んでいろんな筋力のある人になろう。

『with』【成田悠輔×林真理子】

[2023年5月12日]

この動画は成田さんの言葉を一部ここに引用させていただく以外にも大切な内容がたくさんあって、ゲストの林真理子さんのお話がとてもよかったのでぜひ観てほしいです。

「今の若い人たち辛いっちゃ辛いと思うんですよね。何かこの見通しがない感じとか頑張っていけばちゃんと報われるのかわかんない感じがすごいじゃないですか。だからこれだけ未来に向かって世の中どうなるか、自分がどうなるかの見通しがどんよりしていると、とりあえず今半径5mくらいの生活で満足しないと自分を維持できないって感じもわかる気がするんですよね」

(林さんのW杯やWBCなど「スポーツってやっぱりすごい」という話を受けて)
「サッカーにしても野球にしてもスポーツが最後の拠り所になっている感じはありますよね」「スポーツってやっぱり戦争のマイルドなバージョンみたいな部分があるじゃないですか。実際アフリカの国とかで内戦が起きている地域とかでワールドカップに出場できたりすると内戦が減るらしいんですよ。戦争とか暴力の代わりにガス抜きをする装置としての疑似戦争としてのスポーツみたいなのがすごいあるんだなと思って、だから今の日本のグツグツした不満みたいなのをうまく消化してガス抜きするための装置として今スポーツくらいしか機能しなくなってるのかなという感じはすごいしますね」
林さん「文化じゃないっていうのは寂しいけどスポーツって肉体を伴いますからね」

(コンテンツ消費の速さについて)
「よく例えば活字離れとかって言われるじゃないですか。僕ちょっと感じ方が違ってて、活字から離れているわけじゃなくて、その本みたいな活字のまとめ方から離れてるだけだと思うんですよ。だからみんなネットニュースみたりツイッター眺めたりしてるじゃないですか。で延々とLINEしたりチャットしたりしてるんで、文字に触れてる時間とか量とかはそんなに減ってないんだと思うんですよ。でも単純にどういうタイプの文字とかどういうタイプの活字に触れるかっていうだけが変わっていっている、だからたぶん今ニュースとかツイッター上でのわけのわからない、正しいのか正しくないのかよくわかんないスキャンダルとかなんとかでみんなギャーギャー騒いでるみたいなのも、ある種のノンフィクションみたいなのをみんなで作って消費してるみたいなのに近いと思うんですよね。と考えると、どちらかというと考えるべきなのは本みたいなスタイルで活字コンテンツを作ってきた人間が今の別の活字のものとどう戦うか、競争するかっていうことなのかなと」

「一個のスタイルはもうそのファースト活字コンテンツみたいなものを作り出す装置はネットの側とかスマホの側にあるから、本の側はそれとは全然違うものを提供すればいいんだという考え方もあると思うんですよね。つまりもうそれは簡単に早送りしたり切り刻んだりできないような、すごく長くて自分の内側に流れている時間と向き合う体験を提供してるんだと。だからコンテンツとか情報を提供しているんじゃなくて読むっていう時間をただ体感するっていう、ある種の瞑想体験みたいなものを提供しているコンテンツなんだっていうふうにこう再定義しちゃうってことはあり得るのかなと。だから情報の速さとかコンテンツをどれだけ効率的に提供できるかっていうことでいうと勝負するのは難しいと思うんですよ。だからそれと全然違う経験を提供していくっていうふうにもう舵を切っちゃうっていう手はあるのかな」

(みんな本を書きたがるのは)
「一番息が長いっていうか、人間の普遍的な想像と表現の形なのかなっていう感じはするんですよ。ていうのは、ほぼ人類の有史以来ずっと、ものを書くとか言葉でストーリーを紡ぐみたいなことをずっとやり続けているわけじゃないですか。で意外に報われないのにずっとやり続けるってことはそれが一番人の本質的な振る舞いなのかなと思って」
「今日なんかSNSがみたいな話があったじゃないですか。言葉尻をつかんで騒いでいる彼らも言葉を使って表現するじゃないですか。だからそれぐらい言葉を書くとか発するっていうことが人間の一番根本的な欲望の一つなのかなっていう気がして」
林さん「(今日のように、成田さんとお互いに言葉でわかり合おうとするのは)やっぱりこれって崇高でいい行為ですよね」

本は人の成熟に必要か?とか、息が長く闘える人はなぜか?についての林真理子さんの答えなど心に響く言葉がたくさんあって素敵な対談でした。林さんの本を読もう!

『with』【成田悠輔×小松美羽】

[2022年12月14日]

祈りのアーティスト小松美羽さんのお話がすごく不思議で面白くて、一回見終わった後に成田さんの印象がほとんどないっていう初めての感覚になった動画だったかも。

(なぜ成田さんは小松美羽さんにオファーをしたのですか)
「いやまあそんな偉そうな深い何かはないんですが、なんかなんでこんなにちょっと気味悪いものを作れるんだろうっていう興味が」
小松さん「あっ、ありがとうございます」
(山への畏怖の心の話を受けて)
「でもなんかちょっと気味の悪さを持ってる山とすごいナチュラルにというか自然に接してらっしゃる感じはするんですよ。で、変かもしれないんですけど僕、育ちはずっと都会で、だけど山に登ってた時期が結構あって、僕にとって山って結構すごい怖い存在なんですよ。山ってあっという間に死ぬじゃないですか。で自分も結構何度か死にかけてて」
「そういう怖さが自分の中にあるんですけど、でも小松さんの世界を見てるとその自然の怖さみたいなのがちょっとうまい感じで取り除かれてるなっていう感じがするんですけど。だから小松さんの作品を見ていて怖さを感じるとかはあんまりなくて、なんかニュートラルなっていうか中立的な、ポジティブでもネガティブでも怖くも美しくもない不気味さそのものみたいに感じることがあって」

「庶民のためのアートって興味があるんですけど、なんかアートって結局今に至るまで、すごく限られた人口のせいぜい数%ぐらいの人のためのものになっちゃってると思うんですよ。平均的な人類にとってアートってほぼ生活の中にも世界観の中にも全く入ってないんじゃないかと思うんですよね。家にもアートっぽい作品とかない人がほとんどだろうし美術館とかミュージアムとかに行く習慣がある人っていうのもごくごく一部だろうしっていう感じがするんですよ」
「で、それが同じようなことが例えば活字とかについても言えて、本を読む人とか活字を読む習慣がある人って多分人口の10%いないと思うんですよ。世界の。日本人でもそうだと思いますね。だからどんなにベストセラーの本があっても、数百万部とかしか売れないわけなんですよ。数千万人が読む本とか数千万人が読む雑誌って存在しないじゃないですか。だから結局アートも言葉もすごく限られた人にとっての特殊なメディアで今のところあり続けてる思うんですよ。で、人類のほとんどが進んで体験したがるアートみたいなものっていうのはあり得るのかなっていうのに興味があって、そういうものがあるとしたらどういう存在なんだろうって」

(小松さんの、8000年後には「きっと人類は自然とまたひとつになる」「だから突き抜け続ければ」という話を受けて)
「8000年待てっていう結論でいいんじゃないですか(笑)」
「でもたぶん8000年経ったら、人間は電気と一体化して寿命っていう概念がなくなってるんじゃないですか。結局この体に囚われてるから病気になったり、だんだん衰えていったり痛かったり苦しかったりするじゃないですか。で、痛みとか苦しみから逃れたいっていう本能からは人間逃れられないような気がするんですよ。そうしたら体を捨てちゃうのが早いんだと思って」

(小松さんの、肉体を捨てた人が「鍾乳洞にいっぱいいますよ」という話を受けて)
「おっしゃった鍾乳洞みたいなのがデジタル世界にどんどんできていってると思うんですよ。人間生きていることの中でこの生身の体っていうより、むしろよくわからない電気の世界で起きていることがどんどん増えていっちゃってるじゃないですか。だから生きているだけで自分たちの電気でできた魂みたいなのがあっち側の世界にどんどん蓄積されてきていると思うんですよ。で、その電気でできた魂はこの生身の体が死んでも生き続けられるじゃないですか。でいくらでもそれと似たようなパターンはシミュレーションし続けられるので、別に8000年後まで生き続けることとかたぶん僕たちの世代でできちゃうと思うんですよ。そうしたら別に小松さんが何年生きたとか僕が何年生きたみたいなことを測る必要があんまりなくなってくるんじゃないかなと思って、でみんな電気の世界で一体になって、なんか境界があるんだかないんだかわからない、いつ死んだかいつ生きてたんだかわからないみたいなぐちゃぐちゃした固まりとして延々と鍾乳洞の中で、未来永劫漂って行くんじゃないかなって思ってる感じです」
小松さん「(沁々と)うん」
成田さん「すみません(笑)」

最後はなんだか漫画『風の谷のナウシカ』に登場する自然と一体化した「森の人」が小松さんで、科学と一体化した英知の人が成田さんに思えてきた深い会話だったな。

成田さんが聞き手になって深堀してくださるwithの対談が今後もとっても楽しみ。いつかゲストに私の大好きなフィギュアスケーターの宇野昌磨選手はいかがですか…?

『夜明け前のPLAYERS公式』【成田悠輔×寒竹ゆり まとめ】

[2023年3月24日]

1時間を越える内容のすべてが見所で、寒竹さんの貴重なお話が聞けたので、この動画に関しては成田さんの発言をまとめるというよりも、寒竹さんにオファーし、的確な質問をしてくださったことに感謝しかない。

ワインを呑みながら大人の雰囲気での会話がとても心地よかった中で、寒竹さんの質問返しから、成田さんの人間愛の部分、常に普通の人たちへの眼差しを失わない理由みたいなものを聞けたのがよかったし、毒舌キャラとか炎上した人としか認識していない普通の人たちにこそ知ってほしいと思った。

(異性のどこに魅力を感じる?)
「僕は普通な人が好きですかね。あんまり話がうまいわけでもなければ、なんか才能に満ち溢れているわけでもなければ、普通に生きている人が一番いいなと思いますね」「というのはまぁ自分がちょっと特異な才能がある人とか癖がある人とかと関わることが多すぎるので、そういうのと無縁なただの世の中で生きている人みたいなのに一番癒されるっていう、ちょっとひねくれた…」
寒竹さん「ただの人なんていないですよ」
「いや、ただの人はいないんですよ。だけどなぜかメディアとかあるいは才能を評価するような仕組みって、ただの何もない才能がない人たちと、それに対してものすごく才能がある人たちみたいな、なんか存在しない比較みたいなのを無理やり作り出す装置だと思うんですよ。なのでそういう装置によって、存在しないというか別に個性でもなんでもない個性とか、才能でもなんでもない才能っていうのをなんかデフォルメされて超拡大されているような人よりは、むしろそのまんまの存在としてそこにいる人のほうがいいかなってなんかそんな感じですかね」
寒竹さん「うん、そういう人間を書きたいと思います。やっぱり」

この成田さんの言葉に、私の好きな宇野選手が十代の頃、好きなタイプを聞かれて「頭のよくない子」みたいな答え方をして狭い世界でプチ炎上したのを思い出した。
1回目でも書いたけど成田さんと宇野選手、やっぱり通じるものがあると思うので、もう少し年齢を重ねてからでもいつか『夜明け前のPLAYER』のゲストにどうですか…?
(成田さんがいろんな動画で言及する無難な言葉しか使わない風潮に流されない正直な、だけど根はシャイで普通の青年です)

「なんでやっぱり映画とかドラマとかの一番すばらしいところは、普通の、わかりやすい言い方をすると別に特殊でも有名でも、何かに、才能に満ち溢れているわけでもない人たちの世界が描かれるじゃないですか。それって一番難しい表現なんじゃないかなと思ってて、なんかだからこそドラマとか小説とかをあんな時間を費やしてまで読む意味があるっていうことなのかなって今ふと思いました」

成田さんのこの言葉を心に刻んで、私も寒竹さんみたいに40歳になる頃には脚本家として落ち着いた生き方、創作活動ができるように今日から1日1日を大切に過ごそう。

授業料を払わないのが申し訳ないくらいですが、成田さんが研究してる社会の歯車を回す一員でいられるように、新しい『ReHacQ』をはじめ『with』や『夜明け前のPLAYERS』の対談シリーズ、その他の様々なYouTube上の動画で可能な限り成田さんの観察を続けて今後に活かしていきたいと思います。