底に落ちて着いた「自分という大地」から、拝啓 十五の私へ

「恥の多い生涯を送ってきました」
(太宰治『人間失格』第一の手記冒頭)

というほどではないけれど、それなりに悩みの多い人生を送ってきた。
悩みが恥にまで至らなかったのは、人間不信すぎて必要以上に他人と関わることがなかったからで、あらゆることから逃げてきた私には恥の多い生涯を送る土台もなかった。

土台がないから、崩れて落ちて何も積み重ねることができずに、年だけを重ねて生きてきた。それでも今日まで生きてきたということだけは自分に合格をあげたい。

十年くらい前に、ここが人生のどん底だと思い込んでいた頃、気になる著名人の講演会があると知れば、可能なかぎり交通費と入場料を払って聞きに行っていた。

基本引きこもりで人の多い場所は苦手でも、私の人生を変えてくれる何かを求めて藁にもすがる思いで参加していたのだと思う。
けれど、そんな簡単に答えが見つかるはずもなく、現在も極度の人間不信のまま状況はそれほど変わっていない。

それでも、あの頃に比べると、今の私はずいぶん気楽に生きている気がする。性格が変わったとか、どん底から抜け出せたというよりは、十年かけて少しずつ、私は普通の人生を諦め、自分という人間を理解し、受け入れることができたのかもしれない。

だけどもし十年前の私が、ある講演を聞きに行くことができていたなら、探し求めていたものに出会えたと感動して、その日から劇的に人生が変わっていたのではないかと思える動画に、数ヶ月前に出会った。

2014年4月9日、『七つ風nanathukaze』というチャンネルで公開された、野口嘉則さんの講演「自分という大地に根を張る生き方」―自分本来の力を発揮する生き方

今が本当に素晴らしい時代だと感じるのは、人生を変えてくれるような講演会をYouTubeを通して誰でも無料で聞けることなんじゃないかと声を大にして言いたいくらいなので、ぜひたくさんの方に見てほしい。

多くの日本人に共感してもらえる内容だと確信しているけれど、個人的にこの動画の冒頭で野口さんがお話されていた内容が、「え…私のこと?」と感じるほど高校時代の自分の状況とシンクロしていたので、その後のエピソードもぜんぶが響いて、私にとって特別な講演になったのだとも思う。

野口さんはこんな話をされていた。
「高校に入ってすぐに対人恐怖症になりまして、クラスメイトと会話するのに戦々恐々とする毎日を送ってたんですね。人と接したくない、人と会話するのが怖い」

まさに私もそんな高校生だった。
私ははっきりと、自分が対人恐怖症になった瞬間を覚えている。それは中学を卒業して、高校に入学する前の、十五の春。

地元の街を何気なく自転車で走っていた時、歩道で寝転んでいるおばあさんがいることに気がつき、大変だ!と思った私は急いで駆け寄り「大丈夫ですか」と声をかけた。

すると、ものすごい形相で「人が気持ちよく寝てるのに邪魔すんな!」と怒鳴られ、驚いてどうしたらいいかわからず、遠くで立ち止まって振り返っている大人たちの目も気になり、私は「すみませんすみません」と謝りながら自転車に乗って走り去った。帰り道も、家でも、涙が止まらなかった。

今ならわかる、あのおばあさんは何かの精神疾患か認知症で、拒否されても手を差し伸べることができたはず。それでも十五の私にはできなかった。できなかった罪悪感と、怒鳴られた恐怖が、一瞬にして、私の性格を変えてしまった。そして人生も。

中学校までの私は、学級長やキャプテンをするタイプでいつも人の輪の中心にいた記憶があるけれど、逆高校デビューをしたかのように、なるべくクラスの端っこで過ごすようになった。ノートが真っ黒になるくらい「ごめんなさい」と書き続けて、あの車が私をはねてくれたらいいのにと願いながら、一目散に家に帰るだけの青春だった。

あれからずっと外出する時には帽子を深くかぶり、すぐに「すみませんすみません」と言うのが口癖で、なるべく人を避けて生きてきたので親しい友人もただの一人もいないし、大学も中退だし、職も転々として、いわゆる底辺という価値観があるとすればここがそうなんだろうと思って生きてきた。
だけど、ここは底辺じゃなかった。

「落ちるだけ落ちると着くんですね。落ち着くという言葉があるように、人間ちゃんと落ちると着きます。そこが大地なんです。自分という大地なんです。自分という大地に足がついて初めて、自分という大地に根を張る生き方ができるんですね」

ここは底辺ではなく、
私という大地だったんだ。

そう教えてくださった、野口嘉則さんの講演は『「これでいい」と心から思える生き方』という本でより詳しく解説されていて、そのなかに野口さんの「僕がすること」という、こんな詩があった。

“僕が僕の欲求を大切にすることによって、
僕を嫌う人がいるとしたら
僕を嫌いになってくれたほうがいい。

僕が僕の気持ちを大切にすることによって、
僕から離れていく人がいるとしたら、
離れていってくれたほうがいい。

(中略)

僕がすることは
僕自身を大切にすること。
僕自身の味方になること。
僕自身をゆるし、愛すること。”

ひとつ気づいたことがある。
小さい頃の私は、一人でずっと人形遊びをしているような子どもだった。だから本当は、中学以前の人の輪のなかにいた私は良い子でいようと無理をしていただけで、高校以降の孤独な私のほうがありのままの自分だった。

あのおばあさんのせいで、対人恐怖症になったんじゃない。あのおばあさんのおかげで、私は本来の自分に戻れたんだ。

ちなみに、野口さんはある時期、偉人の伝記を片っ端から読んで、その多くが、底に落ちた経験で万能感を手放し、思いどおりにならないことへの耐性を獲得して根気よく建設的にいろんなことを成し遂げることができるようになった、と気づかれたという。

動画のなかで野口さんは、青い鳥症候群と、永遠の少年(ピーターパン・シンドローム)のお話をされていて、それもまさに私のことだと胸に刺さるものがあった。

そして野口さん自身も典型的な永遠の少年だった、そのことに気がついた時すごいショックで、自分がいかに地に足のついてない人間かまざまざと直面して、ガッカリ、残念、を痛いくらい感じて、そのおかげで落ちるだけ落ちてやっと地に足をつけることができた、というような説明をされていた。

空想少女の頃のまま何も成長せずに大人になってしまった私も、残念ながら「自分はまだ本来の人生を生きていない。つまり今の自分は仮の姿であるという考え方」を手放し、何者でもない、人間不信で社会に適応できない自分を受容して、そんな人生も悪くないと、地に足をつけて生きていきたい。

noteで自分のアイコン画像に使用している、ディズニーランドで撮影したピーターパンが空を飛んでいる写真は、お気に入りなので今後もそのままにしておこう…。

青い鳥症候群に関しては、私は少し違うかもしれない。決して「次こそは自分の本領を発揮できる仕事に出会える、そういう見果てぬ理想を求めて職を転々としていく」わけじゃない。むしろ、ここにもどこにも、青い鳥はいないと探すことさえ諦めていた。

ただ私は一度、本当に辛い場所から逃げ出した日に、それまでは目にも入っていなかった青い空を見上げたことがある。
あの時の気持ちをうまく言葉にはできないけれど、あんなにも心に沁みる青い空を後にも先にも見たことがなくて、もう一度あの瞬間と出会うために、いつしかやめること自体を追い求めていた気がする。なので私は、言うなれば青い空症候群かも…。

今いる場所が辛ければ辛いほど、やめる日の空はきっと青い。今やめても、まだ空はそんなに青くない、そう思うことで乗り越えたこともあった。だけど青い空症候群であるために、やめる勇気だけはあったことで私は今日まで生きてこられたと本気で思う。

野口さんはご自身のYouTubeチャンネルも持っておられて、そのなかの動画で「逃げる力は生きる力、自分を守る力」だとおっしゃっていた。続けることの大切さを理解している今でも、私もそう信じている。

こんな青い空症候群で永遠の空想少女だった私は、映画『天空の城ラピュタ』がもちろん大好きで、物語のラストに印象的なセリフのなかで登場するゴンドアの谷の歌の意味が、今は(シータのように)よくわかる。

“土に根をおろし
風とともに生きよう
種とともに冬を越え
鳥とともに春を歌おう”

どんなに素晴らしい学歴や経歴を持っても、たくさんの深い知識や優れた技術を操っても、自分という大地から離れては生きられない。土に根を張って、初めて青い空を見上げて伸びていく生き方ができるのだと、昔の私に教えてあげたいと心から思う。

私は自分への水やりを怠ってきたので、心がパサパサに乾いている人間で、ほとんど数えるくらいしか泣いたことがない。
はっきり覚えているのは、私の性格と人生を変えた十五歳の時の出来事と、父が半年間の苦しい闘病の末に亡くなった十八歳の時。火葬場で大泣きする私に親戚が名前を鋭く呼んで制して、泣くのをやめた日から、私は不思議なくらい涙が出なくなった。

そんな私だから、音楽を聴いただけで泣くなんてことは絶対にない感受性のはずなのに、アンジェラ・アキさんの『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』だけは号泣してしまう。

十五年半ほど前に、リリースされた当時は響く心を持っていなかったけれど、文字どおり号泣してしまう今は、いろんなことがきっと癒やされたのだと思う。私はやっと、自分という大地で立ち直ったんだ。

だから十五の私へ、伝えたいことがある。
どうか今の私にバトンをつなげてほしい。
それだけでいい。落ち込んでも、傷だらけになっても、どん底の人生でも、バトンを受けた現在の私はもう大丈夫だから、安心して、ただ生きていてほしい。

今の私もそう強くはないけれど、働きながら青い空を感じられる時が来ると信じて、毎日を地に足つけて生きている。

十五のあなたがたくさん悩んでくれたおかげで、この大地はとても懐が深くて、今の私を助けてくれています。ありがとう。

立派な人にならなくていい、
どうか優しい人になってください。

そして、蛇足ではあるけれど…
今、もし日本という国が、底に落ちて着いたなら、そこは日本という大地だから、きっと根を張る在り方を見つけられる。

この竜みたいな形をした国が、私は好きなんだ。ここは竜の巣だと、ピーターパン・シンドロームから抜けきれていない私は信じているんだ。でも蛇の巣だっていい。

ありのままの今の日本で、
今日も、上を向いて歩こう!