【旅のしおり】16、富山ウォーク

ドラクエウォーク47都道府県おみやげ制覇の旅、ひさしぶりに旅のしおり再開の今回は、富山県。予定ではこの春に実際のウォーク旅をスタートしているはずだったんだけど…、まだ16県目かぁ。ま、いいか。

最近『ドラゴンボール』を読み直していたので、悟空の口癖「ま、いいか」が移っちゃったみたい。何事もそのくらいの心がけでいいから私は軽く楽しく生きたいな。

いつかドラクエウォークとドラゴンボールのコラボがあったら嬉しいけど、武器がないのでガチャは難しいかも。代わりに筋斗雲を実装して、自宅から遠いおみやげスポットにひとっ飛びなんてどうだろう。このウォーク旅をする意味なくなっちゃうけど!

【富山(2泊3日)の旅】

※新潟の旅から続けて

[1日目]
(糸魚川駅から新幹線で約13分)
黒部宇奈月温泉着
新黒部駅→宇奈月温泉駅(約25分)
おみやげスポット①宇奈月温泉

[2日目]
黒部峡谷トロッコ列車&ウォーク
新黒部→電鉄富山駅(約1時間12分)
(徒歩約10分or路面電車)
おみやげスポット②富山城
富山ウォーク

[3日目]
富山駅→高岡駅(約17分+徒歩約20分)
おみやげスポット③高岡市美術館
高岡ウォーク
高岡駅→氷見駅(約27分+バス約6分)
or(観光列車「べるもんた」日曜限定)
おみやげスポット④氷見市 潮風ギャラリー
氷見ウォーク
氷見駅発

※金沢の旅を続けてもOK

【富山県の名産品】

①昆布じめ
富山に親戚がいるので、よくお土産にもらうサスの昆布じめ。サスはカジキマグロのことで、お刺身に負けないくらい美味しいし、食べた後の昆布も料理に使えるし、もらって嬉しいお土産ベスト3に入るかも。

②ます寿司
笹の葉で包まれたサクラマスの押し寿司。笹の葉でも柿の葉でも私はこういう包まれたお寿司が大好き。火の通った魚が苦手なので、生か、締めた魚を楽しみたいな!

③ブラックラーメン

気になっていて一度は食べてみたい富山のブラックラーメン。私は麺だけ食べてスープはあまり飲まないので何色でもいいんだけど、お店で残したら悪いかなと思ってチャーハンしか頼めない…。通販でいいか。

【医療について】

子供の頃に風邪を引くと「富山の薬」と言って飲んでいたので、私の中で富山といえば薬とか医療のイメージがある。そして、ずっと封印していた富山の記憶があって…
(ちょっと重たい話になるけれど自分のために書こう。そして手放そう)

二十代前半にスノーボードをしていた頃、友人が車中泊をしながらオリンピックを目指して頑張っていたんだけど、事故に遭って運ばれ、ここが富山の大学病院じゃなかったら危なかったと言われたとたくさんの管に繋がれながら笑っているのを見て、私は何も言葉をかけることができなかった。

その頃、私は医療系の大学を中退したばかりだったので、自分が逃げ出してきたものから責められている気がして、無謀な挑戦を止めなかったことも、ごめんなさいごめんなさいと心の中で繰り返していた。

もし私が大学をやめていなければ、今の世の中でもっと人の役に立てる人生になっていたと思う。だけど、ある病棟で実習をしていた時に、このまま続けていたら私はいつか患者としてここに来るだろう…と思った。

当時、ここにいるには優しすぎると言ってくれた人がいたけれど、私は自分が優しすぎる人間だなんて思わない。むしろ困っている人が目の前にいても、自分が壊れないために逃げ出せる人間なことを知っている。

中学で部活をやめた時、先生から逃げ癖が付くぞと言われたけどその通りだった。他にもオドオドするなとか、他の生徒が頑張っている中そそくさと帰る私に情けないなぁとか、かけられた言葉のままの人生だった。

部活をやめたら毎日暇だろと先生は笑っていたけれど、中学生の私はジャイアンツが好きだったから父が夏は甲子園球場に、冬は始めたばかりのスノーボードをするために自分は滑らないのにスキー場に連れて行ってくれたり、家でも将棋やギターを教えてくれた。学校以外にも楽しみや居場所はたくさんあることを知っていたから、この時も後々の人生でも私は乗り越えられたと思う。

それから数年後に、父が半年間の闘病を経て亡くなることを思うと、私にとっては部活をやめて暇どころか奇跡みたいな時間だった。だけど私は、父のような人を助けたいと医療の道を歩めるほど強くはなかったんだ。

大学はもう無理だとわかっていながら、暗い部屋で一人過ごす時間以外は普通に振るまっていたのに、母がある日そっと大学をやめてもいいんだよと伝えてくれた。学費を払ってもらって、一人暮らしまでさせてもらって、自分からは決して言い出せなかったから、母の一言がなければ私はどうなっていたか本気でわからないと今でも思っている。

私の好きな宇野昌磨選手は、3年ほど前にスランプというか、メンタルが心配だった時期が半年くらいあった。その時に宇野選手のお母さんが、スケート辛かったらやめていいよと言ってくださったみたいで、あぁ宇野選手は大丈夫だと思ったことがある。

宇野選手は私なんかよりもっと厳しい道をやめることなく乗り越えられる強さがあったけれど、最大の協力者であるお母さんがやめる選択肢もあることを示してくれただけで充分な救いだったんじゃないかな。そしてゲームを一緒に楽しんだりゴルフを教えてくれたりするお父さんも宇野選手の最大の理解者なんだろうなと感じて安心したんだ。

私が大学をやめる前か、後だったか、当時は漫画コーナーしか行ったことがなかった書店で、ふらふらと自己啓発書コーナーに吸い寄せられて、何気なく手にしたオグ・マンディーノさんの本がその時の私に必要な気がして買って帰り、一気に読んだことがあった。

その後、スキー場で住み込みバイトをする前に、文庫本を見つけただけ買い込んで持っていき、冬の間それぞれ何十回も繰り返し読んでいた。雪山の自然やスノーボードに没頭できた日々が私を癒してくれたことは間違いないけれど、オグ・マンディーノさんの言葉の数々が私の格を作ってくれたと思う。

富山の病院にお見舞いに行った時、その中で特に好きな2冊を入院中に読めるように友人に渡した。それがよかったかはわからない。その日、私はスノーボードをやめた。

オグ・マンディーノさんの言葉で、私の好きな一つに「心は特殊な領域である。地獄から天国を創り出すことも、天国から地獄を創り出すこともできる」というのがある。

昔の私が地獄だと思い込んでしまった場所でも、今の私なら柔軟に考えて楽しむ工夫をして天国にだってできるんじゃないかと思う。だけどそんな私に生まれ変われたのは、逃げ出すことで生きて成長できたからだ。

『ドラゴンボール』には、死を乗り越えれば強さが増すというサイヤ人の特性があった。サイヤ人の孫悟空みたいに、命が危なくなるほど身体が傷つき、復活するとパワーアップするような力は地球人にはないけれど、人間は身体ではなく精神的に、限界ギリギリまで追い込まれた状況を乗り越えることができたなら、強くなれるのかもしれない。

心がもし天国も地獄も創り出すことができるなら、私みたいな人間でも「ま、いいか」と軽く受け止め「わくわくすっぞ」って楽しむ孫悟空のような人格を、心の中に創り出すこともできるんじゃないかと思った。

もちろん現在も世界では感染症や戦争など大変なことが続いている。街を歩けば救急車のサイレンを聞くたび、病院を目にするたび今この瞬間も苦しんでいる人がいること、悲しんでいる家族がいることを思い出す。

でも、そこで立ち止まって何もできない私には戻りたくない。この足や手が自由に動かせることも、目眩も痛みもなく立っていられることも、心が自分でコントロールできることも当たり前なんかじゃないんだ。

それを忘れないために私は歩いているのかもしれない。生きている自分の時間やエネルギーを、自分や誰かを傷つけるために使うくらいなら、みんな歩いてほしいと思う。難しい時代を生き抜くためのセラピーとしては歩くだけでも充分だけど、歩いているうちに気力があふれて、心に自分の望むものを創り出すことだってできるかもしれない。

いろいろと書いてしまったけれど、すべては過ぎていくものだし、未来で楽しくウォーク旅をする日のために、今はマイペースにこの旅のしおりを続けていこう!