見出し画像

100日後に国際協力をやめる日記(2)

ビジョンがないって話

今日はビジョンがないって話を書いておこうと思う。国際協力を行うには、基本的に相手国の政府から要請と呼ばれる、案件の希望を取り付けることがスタートだ。要請がきたら正式な要望として受け取られ検討される。他方で予算には限りがあるからなんでもかんでも対応することはできない。戦略的に筋のいいものを選りすぐって実施に進めていくことが大事になる。それに、すべての職員が全セクターや全スキームに精通しているわけでもないので、選択能力にも限界がある。

だから、戦略ペーパーだったり、協力方針だったりという名前で、大体の方向性や注力分野を決めておいて、それに沿ったものをメインに選択することになる。そこで、その戦略などを作る前段階と後の段階でそれぞれ一つずつ致命的な問題を挙げておこう。一つ目は、やる「べき」ことではなく、やって「いる」ことの延長になってしまっている。二つ目は、作った戦略を誰も見返すことはない。ということだ。

やる「べき」ことではなく、やって「いる」ことの延長

さきほども述べたように、職員は分野のプロフェッショナルではない。だから、いざ方向性を考えようというときに、その分野の対局観をもって、また、自分たちの強みと組み合わせて、あるいは、他ドナーとの棲み分けを考えて、注力する分野を導き出す、という正論はわかりつつもそれを自力でやったことがない。だから、感覚的な分析しかできないし、引き継いだ案件ベースで考えがスタートする。つまり、あるべき世界像から演繹するバックキャスティングの視点がかけてしまう。それをわかりつつも、やったことがないために手が出せず、帰納的に一歩だけ先を考えてみる、というフォワードキャスティングのアプローチにならざるを得ない。そうすると、やるべきことはわかっていないので、やっていることの延長の範囲でのできることがストレッチした目標となる。それをやるべきこと、と言い換えて、いかに大事かを説明する、という作業になってしまう。これは、いろんな作業を外注して業務の効率化と名乗ってきたことの弊害とも言えるだろう。結局は、発注作業ばかりに時間を追われ、本来割くべき作業に時間を注げていない、その結果が分析能力の欠如、分析経験の不足に繋がってきたのかもしれない。

作った戦略を誰も見返すことはない。

とはいえ、みんな真面目なので、なんとかやりくりをして、戦略のように見せかけたまがいものの戦略を策定する。みんなは、それをできそうかできそうでないか、という観点でジャッジする。できないことは書けないからだ。本当は書いてもいいのだけれど、そういう考え方はない。できる範囲のことを書く、ということが彼らの真摯さとも言える。
このように作られた戦略は単なる取りまとめであることをみな、無意識のうちに知っているのだろうか、だれもその戦略を見返すことはない。その戦略にはなんら新しいことは書かれていないし、要はただの編集しなおした文字の羅列である。
とはいえ、戦略は戦略だ。それに沿っていることを証拠に案件を進めていけば良い、と考えたら大間違い。戦略に書いてあることをやりたいと言ってもOKがでない、という事態になる。どうしてか。本当の案件のジャッジは異なる軸で行われている。

外務省に説明できるか。
日本企業が入るか。

そういったことが興味の中心となる。これらが満たせないと、いくら戦略との整合性を謳ったところで何の意味もなさない。

特に予算の少ない地域はこのような傾向が強いかもしれない。

だから、結局のところ目先の利益があるかどうか、が判断基準になっていて、それ以外は化粧でしかないし、それ以上の深淵な意味もない。日和見的に案件がきまっていく。


いただいたサポートはためて還元します!