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私は私の世界の創造主として生きる。

久しぶりに感情が大揺れすることがあったんです。

それをきっかけに、
自分と向き合っていく中で、
大好きで尊敬する人の波動や思考に触れていく中で、

私は何を恐れて
何を不快に思い
何に憤りを感じたのか。


起きた出来事は、結局のところ、
「私の世界をコントロールしようとする存在が現れた」
ということ。


それの意味することと向き合っていくなかで、
私は改めてというか、ようやくというべきか、
決意したことがあるんです。


私は私の世界のコントロールを他人に渡したりはしない。
私の世界は私が創っていく。

だから、私は私の世界観を大切に育てていく。
そこは譲らない。


ということを。

だけど、私が恐れていたものを手放すよ。


私は怖かったんです。

目には視えない天使の存在の証明をしていくことが。
理解されないんじゃないかって不安があって。

だから、
もう手放したいと思っていた生命の樹のセッションを
手放せずにいた。

生命の樹自体はすごくいいものだけど、
私にとっては、私自身のエネルギーを重くさせる。

それがわかってて、手放せなかったのは、
生命の樹なら目に見えるメソッドとして提供できて、
説得力があるだろうという思いがあったから。

そう、私には、覚悟と信頼がなかった。

天使のことを伝えるだけでは、
人を納得させられないんじゃないかって。

誰よりもきっと私が信頼できずにいて、
だから覚悟できずにいた。


そもそも。

視えない世界だから証明できない。
視えない天使の存在を人に納得してもらえないかも。

そのことを恐れていたわけだけど。

その思考自体がいらないものだったんだなぁ。

視えない世界や天使の存在を否定されることが
自分を否定されることとイコールになってた。


別に納得させる必要なかったよね。


そんなの相手の自由。
相手は相手の見たい世界で生きてる。


なのに、納得してもらうとか
もう、恥ずかしくなるくらいの傲慢さ。


私も、人の受け取り方をコントロールしようとしてたってことだよね。


でも、私の世界観をコントロールしようとする人が
現れたことで、
手放したいものと、譲れないものがはっきりして、
覚悟が決まった。



私は、
カウンセラーやセラピストじゃなくて
表現者でいたい。

私はただ「自分の好き」を表現したいだけ。

私は私を表現する。
私にとってのそれは天使の世界を表現することと
イコール。


今まで勇気が出なくて言えなかったけど。


私は地上の天使として、生きていく。

天使の言葉を歌うように響かせて生きていく。

天界のエネルギーを地球に降ろしていく。


私は私の魂を輝かせるために生きていく。
私が輝くことは、天の喜びにつながる。
それが結果的に周りの人たち、
ひいては地球の喜びにつながっていく。


私は私の世界のコントロールを他人に渡したりはしない。


必要なことは
完璧なタイミングで
必然として起こる


自分を生きるための目覚めを与えてくれた
すべての存在に感謝です。

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