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夢、それは誰かの夢をかなえること

私の夢は、誰かの夢をかなえるためにお金を使いたいということだ。

漠然としている上にきれいごとっぽいが、そう思うようになったのには、はっきりとした理由がある。

そんな経験を今日は書いていきたいなと思う。


私は小さい頃からなんとなくお金持ちになりたいなと思っていた。

なぜお金持ちになりたいと思ったかというと、美味しいものが食べたいとか、いいところに住みたいとか、海外旅行に行きたいとか、甚だ自己本位な理由であった。

幼いがゆえの未熟さから出た考えだった。

大人になり、小さい頃に考えていたようなお金持ちにはなれなかったが、ありがたいことに普通に暮らせるような年収の仕事に就くことができた。

仕事をしてすぐの若いころは、お金の許す限り、遊んだり飲んだり食べたりとかなり享楽的な生活をしていた。

その時はそれが楽しかったし、自分のお金の使い方に疑問を持つことはまったくなかった。

頑張って働いて稼ぎ、自分のためにお金を使うことは普通だと思っていた。

むしろいいことであるとすら思っていたかもしれない。

自分が楽しいと思うことについてひたすら浪費をしていた。

浪費こそ正義、日本経済をまわす一助になっている、そんな不遜な思想すらもっていた。


しかしその考えが変わらざるを得ない出来事が訪れる。


それは我が子の誕生だ。

我が子が産まれてからはお金の使い方が全く変わり、そしてお金を使うということについての私の考え方自体も変化していった。

子どもが産まれると子ども中心の生活になる。

長い間自分中心の生活をしていたので、最初はそのことに戸惑ったが、人間とは意外と適応能力があるようで、子どもが最優先の暮らしにもすぐに馴染んでいった。

これはお金に関してもそうで、基本的に子どものことが最優先でお金を使うようになる。
自分の楽しみに使うお金は二の次どころか三の次、四の次といった具合だ。

子どもがいない頃は、週に3回飲みに行き、二次会にはカラオケもしてたくさんお金を使っていた。ライブもたくさん行ったし、CDも毎月山ほど買っていた。

ところが、子どもができて時間的に余裕がなくなったこともあるが、金銭的にも子どものために使うお金がいるので、そんな無駄遣いはできなくなったのである。

そして、意外なことに自分のためにお金を使えなくなってストレスがたまったとか、我慢できなかったとかそんなことはほとんどなくて、子どものことを優先してお金を使うという行為は私の中に自然に根付いた。

子どもが喜ぶこと、子どもが楽しめること、子どものためになることにはお金を使う、ということが私の中で当たり前になっていった。

お金とは子どものために使うもの、と私は考え方を変えることができた。

私は環境が変われば人の考え方も変容するということをこの経験により身をもって実感した。

考え方が変われば行動も変わる。

そしてさらに、自分以外のためにお金を使うという行動様式が身についた私は、今までだったら絶対にやらないような新たなことに挑戦できたのだ。

クラウドファンディングである。

クラウドファンディングという存在は以前から知っていたが、従来の私はそれに関心をもつことすらなかった。

しかし自分以外のためにお金を使う喜びを知った私は、自分の子ども以外のためにもお金を使おうという気持ちになるに至った。

そしてクラウドファンディングへの興味が出てきた。

世の中にたくさんいる子どものためになることにお金を使ってみたい。クラウドファンディングを通して。

こう考えることは、自分の私利私欲のためにしかお金を使ってこなかった私にとって大きな驚きだ。

クラウドファンディング、やってみたい。
その気持ちがびっくりするほどどんどん湧き上がってくる。

私は児童養護施設に絵本を送るというプロジェクトを見つけてお金を出してみることにした。

私は小さい頃から絵本が大好きであり、今でも読書は大切な趣味だ。
自分の子どもたちへ読み聞かせすることもほぼ毎日やっている。

自分が絵本や本によって育てられてきたという気持ちが強いので、たくさんの子どもたちに本を届けたいというプロジェクトには深く共感できる。

これは私が支援することにぴったりプロジェクトだ。
思い込みかもしれないが、素直にそう思えた。

ドキドキしつつクラウドファンディングサイトにアカウントを作り、はじめての支援をしてみた。

コンビニ決済でお金を払い終わった時は、なんだかこれまで感じたことがないような清々しい気持ちになった。

自己満足かもしれないが、私のお金が誰かの未来に繋がったと想像できることは、純粋な嬉しさがあった。

社会全体にとっては些細なことかもしれないが、私にとっては大きな一歩だ。

すぐにプロジェクトの企画者からお礼のメッセージがあり、ほんのわずかでも自分のお金は人のためになったのだと実感できた。

しかし、その実感はこれだけではなかった。

このプロジェクトにお金を出したことを忘れかけていたとある日に、私の自宅のポストに手紙が届いた。

それは児童養護施設の子どもたちからのものであった。

そういえばプロジェクトを支援するリターンのところに、そのようなことが書かれていた。

私は特にリターンのことは気にせずに支援をしたので、すっかり手紙を届くことを忘れていた。

その封書には何人かの子どもの手紙が入っていたが、どの子の手紙も私の胸をうち、気がつけば私の目から涙がこぼれ落ちていた。

私の支援がこの子たちの喜びにつながり、それは私の喜びとなる。

お金の使い方にいい悪いがあるかは分からないが、私はこの経験によって喜びにつながるお金の使い方があるということを学ぶことができた。

ある意味これも自分のためのお金の使い方と言えるのかもしれないが、まだ見ぬ誰かのためにもなっているお金の使い方だと考えることはできる。

私はこの経験を通して、もっともっと見知らぬ誰かのためにお金を使いたいと思うようになった。

それも特に若い人の夢のために。

大いに夢があり、やりたいことがあるが、お金がない若い人は世の中にたくさんいるだろう。

私はそんな若い人の夢を叶えることがしたい。

自分の子どもにお金はかかるが、いい歳になり少しずつ年収は上がっているのでこれから貯蓄を増やしていくことができる。

そのお金を元に若い人に投資とか融資がしてみたい。

私と同じような理想やビジョンをもち、それに突き進んでいく若い人のためにお金を使いたいのである。

今回、クラウドファンディングをしたことからそんな夢をもった。

私より知恵も勇気もあるが、お金だけはない夢のある若い人を支援をする。

若い人に夢を託して、輝く未来を夢描く。
そんな夢を私は見ている。

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