ナノボロフェスタ2021がはじまるまで
そのころ、わたしはぐっちゃぐちゃに悩んでいた。
8月最後の土日に開催される音楽フェス、ナノボロフェスタ。
ボランティアスタッフとしてずいぶん早い段階から参加表明していたけれど、本当に参加していいものか。もしかして断念するべきなのか。というかこの時期のフェスイベント開催を肯定してもいいのか。
若者にワクチン接種の機会が行き渡らない状況で、新型コロナウイルスの蔓延状況は良くならない。
タイムラインには「陽性と診断されました」「イベント中止のお知らせ」が毎日のように流れてくる。そのことにもはや驚かなくなっている。
もちろん、イベント自体の感染対策は発表されている。去年開催時のコロナ対策も身をもって経験している。大変だったけど問題はなかった。ないはず。
でも、「万全の体制で開催します」なんて決まり文句でしかない。デルタ株の強い感染力が問題になっている。昨年と同じ対策ではもう安心安全とは言えないだろう。
そんな中、イベントを何のためにやるのか。やりたいからやるだけなのか。いったいそれは正しいのか。
不安なら参加しなきゃいいじゃん?別に推しアーティストが出演するわけじゃないでしょ。
そうなんです。そうなんだけど。そういうわけにもいかないのだ。
たしかに推しアーティストは出演しないけど、だってボロフェスタ自体が推しなんだもん!!!
そんな、にっちもさっちも決断できないままぐずぐずと迎えた本番2日前、運営チーム(感染対策部)からメールが届いた。
何度も繰り返されている感染対策について、スタッフに対する注意とお願いのメール。
「京都府にナノボロフェスタというイベントの概要を伝え、感染対策に十分気をつけて開催して良いと言われています。」
と言われていますと言われましても、なのである。
お役所がそう言ってくれてもウイルスは遠慮してくれないことを、おれは知ってる。
うーんうーんとうなりながら目を通した注意事項の羅列。
そして最後の一段に視線が食いついた。
【音楽を演奏したい人と音楽を聴きたい人、そして音楽を鳴らせる場所があれば、それだけでフェスティバルになるはずです。】
わたしがずっとほしいと思っていた、
「何のためにいまこの時期にイベントを開催するのか?」
この疑問への答えだった。答えだと思った。
「音楽を演奏したい人」「音楽を聴きたい人」「音楽を鳴らせる場所」が必要だからだ。
わたしは音楽が好きだ。音楽がないとたぶん生きていけないし、なかったら生きていない。
でっかい音が鳴り響くのをどーんと体で受けるのが好きだ。
たくさんの人のざわつく気配の奥で神妙に鳴る音を聴くのが好きだ。
テンションのぶちあがった友だち同士で乾杯するのが好きだ。
みんなが最前列で跳んだり転がったり揉まれたりわっちゃわっちゃになってるのを見るのも、なにが楽しいのかはいまいちわかんないけどまあ、好きだ。
でもそれぜんぶなくても、音楽があればいい。
なにより、音楽がなかったらいやなんだ。
その言葉は、この人たちは、このイベントは、
きっと同じ気持ちでできている。
ナノボロフェスタはわたしたちのなくてはならないもののために開催されようとしている。
そして必要なものを作るためには山のような制限に挑まなくてはならなくて、出演者にもお客さんにも我慢してもらわなくてはならないことも多くて、それは音楽イベントとして、正直ダサいレベルに達している可能性すらある。
それでもやる、ダサくてもやる、もっと大切なもののためにやる、という運営サイドの決意。
だいじょうぶ。わたしも一緒にその場所に居られる。
どうしよう?どうしたらいい?という気持ちは拭い去られた。そう決まればやることをやるのみだ。
この場合、能書きは良くてもホントに実施できるの?という基本的な疑問が発生すると思うのだがその点わたしは悩まずに済んだ。
「この人たちはやるって言ったら本気でやる」と知っていたので。それは推しへの信頼ですね。
なお、参加を迷う気持ちを吹っ切るのにいちばん大きかったのは【アルコール提供なし】。
これは本気だ、と思った。主催サイドのみなさん、わたしが知る限り、ライブにお酒ないとつまらん!ってふだんから言ってる人たちなので。
ともあれ。
ぐちゃぐちゃだった気持ちは整理され、わたしはKBSホールでの2日間を楽しみ散らかした。
休憩時間に誰もいないほうを向いて食べたたこ焼きは美味しかった。
終了後の撤収作業ではおかしいテンションでダンパネをカッターナイフで分解しまくった。
深夜、帰宅したわたしを出迎えたのはなぜか内側からロックの掛かったマンションの扉だったのだが、それはまた別の話。