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ただ、今日も救われたいだけ

どうしようもないことが色々積み重なって、「わー!」とパンクしそうな気持になることが多い。
それホルモンが悪いよ、とか天気のせいでしょ、とか言ってしまえばそれで終わりなのだが。

家に帰ってきて、ドア横にまとめてある本の山を毎日ちらっと見る。
実際に手に取って読み始めるかはその日の気分次第だが、かならず視線をやる表紙は「書く習慣」。

あの本を読んだとき、びっくりするくらい自分が肯定された気がした。
「書いていいんだよ」「怖がらなくていいんだよ」と、世間体の中に閉じ込めた不安を全部掬い上げて、手に取ってくれたように感じた。
ありのままの気持ちを綴ったところ、著者であるゆぴさんから、声をかけてもらえた。

https://note.com/5macen_bay/n/nd1cc417aa6df

https://twitter.com/milkprincess17/status/1435404781024018432?s=20


「いいね」がついたら大成功、くらいの気持ちだったのだが、noteへのコメントや、Twitter上での言及もあって、(一方的に)著者との心の距離が縮まったような気がしている。

最初に読んだのが「やるぞやるぞ!本読むぞ!」とインプットすることに躍起になっていたり、「なんかしたいな!!」とエネルギーが有り余っていた時期でもあって、一気にツイートをし、noteを書くところまで辿り着いた。
あの本がなければ、きっと私は「大したことない日常」を書き綴ることもしなかった。せいぜい、Twitterでいつも通り今日も大変だった!と呟くだけだっただろう。

また別の日、「駆け出しライター向け」に開催されたウェビナーに参加した。
私はライターでもなんでもない、ただの理系大学生だが、「ゆぴさんの話が聞きたい」と思って参加した。
話を聞いていて思った。あの人は「見ていて信頼できるオタク」なのだと。
なんとなく「同世代の人にだけ伝わるあの名作」「同世代ならわかるあの流行り」のようなものは、どこのコミュニティにも、どの世代にもあるものだと思う。
そういった点で、きっと触れてきたコンテンツも似ているし、体験してきたものも似ている。
ゆぴさん自身が語るエピソードから、何度も「ああ、自分と同じような人間だ」という(ある種勝手な)共感を覚えるのだ。

あの時の、絶望の淵から掬い上げてくれるような感覚が欲しくて、パラパラと「書く習慣」を読み返している。
まとめて全部を、ということはあまりやらないが、サクッと流し読みして、その日気になったところをゆっくり読み直す。
一度読んだので、どこら辺に何が書いてあるかは何となく探し当てられる。

付箋を付けたりドッグイヤーを作ったりはしていないが、そろそろ「助かりたいときに読む」の付箋でもつけた方がいいのだろうか。

著者たるゆぴさん本人が、祭り上げられるようなことを望んでいるかはわからないけれど、ここに一人、静かに「これは聖書みたいなものでさ」と救われている人がいる。

今日もどこか、読み返そうかな。

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