ぼくのかんがえるさいきょうのぶき

姉2「足、もしくはちりとり」
わたし「大判本、もしくはティッシュ箱」

ついさっき、洗面所にゴキブリが出た。今回のはおそらくワモンゴキブリなので、家庭で対峙するゴキブリ界隈では小さい方に入るやつであり、わたしはそいつを見つけた自分をちょっと褒めた。

しかしながら、問題はその退治であった。

なぜなら、そいつ、洗濯機と洗濯機用の水受けの隙間という、なかなかに狭い位置を陣取っていたからである。

わたしは、ゴキブリを含め虫を見ることに対してはさほど忌避感を抱いていない。死体であればゴキブリであろうとなんだろうと観察して、「おまえはなんていうの?」とめい(byとなりのトトロ)をやる。

だが、生きていて、かつ息の根を止めなければならない状況となると、わたしは極度に緊張する。なぜならわたしは、自分の空間認識能力も運動神経(ここでは、脳で思い描いた通りに身体を動かすことを指す)まるで信用していないからだ。そのため、当たり判定が広い武器で仕留めることが常であり、それが冒頭で書いた大判本とティッシュ箱である。

だが今回のワモンの出現場所は、そのどちらも通用しない溝のような場所であった。我が家には殺虫剤の備えは基本的にないので、かくなる上は素手しかない。(※衛生を考えてビニール手袋は着用し、その後の処理を考え捨てタオルを重ねて戦いました)

二度目になるが、ゴキブリを視認すること、戦いを挑むこと自体はわたしにとっては辛いことではない。むしろちょっとワクワクする。問題は、向こうが回避にクリティカルを出す可能性と、わたしがファンブる可能性である。

そこでぼんやり思い出していたのは、ゴキブリは前進しかできない生き物であるということ。後退できないのであれば、ちょっと前の方、しかし羽根は封じられる角度で打撃を打てば、まず第一関門『手中に収める』は達成できるはず。

かくして、Gは、わたしの中指と薬指の第二関節と手のひらとの隙間に収まり、Gにとっての上空もタオルでがっちり封じられた。あとは息の根をとめるべく、あの固い身体を圧縮するのみ。すごい変なところに閉じ込めてしまったので多少難儀はしたものの、まあいい感じにぐわしゃといった。海老の頭を食べているときの気分だった。

そういえば上田でお世話になったアパートメントは、毎年夏になると共用廊下にゴキブリが出た。常に一匹どこかにいるなんて年もあり、その時には、最高の環境を聞きつけたらしいアシダカグモにも会えた。わたしが帰宅して集合ポストを開閉した時、ポスト側面で休んでいたらしい彼を驚かせてしまったようで、宙を舞う姿が初対面だった。彼は音もなく着地した。とてもかっこよかった。

彼のような狙撃能力を身につけたいところである。

スキを押すと何かが出ます。サポートを押しても何かが出ます。あとわたしが大変喜びます。