呪いと呪い。

「のろい」と「まじない」は同じ字を書く。そのことを知った時、不思議と納得した自分がいました。

卒業する前に同期にお手紙でも書こうかな〜って昨日ふと思ったので、今日は雑貨屋さんに便箋を見に行ったんです。そしたらこんな時期だから、寄せ書き用の商品が目立つところに陳列されていて、イメージしやすいようにか、サンプルメッセージ入りの見本も展示されていまして。
それを見たからなのか、帰り道を歩きながら中学でやったあることを思い出しました。

それをやったのは中学3年生の1月中旬。
クラスメイト一人ずつに向けて何かひとこと書きましょう、という催しです。
そのひとこと書いたカードは、宛名別に六角形の封筒に詰められて、最初の受験日の前日に先生から渡されます。つまりお守りです。
愛知の私立高校推薦が1月末なので、それに間に合うように中旬に催しが行われました。

これを書ききるのが、ほんとうに苦しくてしんどかったんですよね。

だって仲良い人ならともかく、そんなに大して話したことのない相手に、何を書けばいいというの。

わたしの通っていた中学は公立だったから、受験っていう、自分で進路を見つけて掴み取らなければならないイベントは、多分みんな初めてのことで。言ってみれば、初めて自分の意思で人生の道を選ぶ経験をする。そんな重大イベントに向かう人たちのことを、大して知りもしないのに、なんなら自分もその渦中にいるのに応援しろって言われても困りますよ(おい)。

結局ありきたりなことを書くしかないなと行き着いたけど、それにしたって、どう書いたら相手に不快感を与えずに済むのか、イラつかせずに済むのか、前を向いてもらえそうか、ずっとそれに悩んでうううううううってなってました。

わたしは、中学でお世話になった先生のことは在学中から今に至るまで好きですけど、この時ばかりはなんてことしてくれたんだと恨みました。ほんとめちゃくちゃしんどかったんだからね!!←

わたしはこの催しで、ひとつルールを作っていました。
それは、「頑張れ」とか「君ならできるよ」とか、そういう言葉をなるべく使わないこと。なぜなら、その言葉を使うのが怖かったからです。

わたしは小学生の頃に、母から「うつ病の人には頑張れと言ってはいけない」と教わりました。
うつ病の人に頑張れ、と言うのは、それまでの本人の頑張りを、努力を、足りないと評価していることになる。そして、まだ頑張り足りないのか、と絶望させてしまう。だから言ってはいけない、と。

わたしは、この催しに参加させられた時、この場面で使う「頑張れ」もそれに近いんじゃないか? と感じてしまって。

今応援しなければならない相手はクラスメイト全員。もちろん全員仲良くなんて無理なので、相手の中には大して仲良くない人も含まれる。そういう、あんまり接点のない人のことなんて、ほんとうに何も分からない。今まで受験に向けて何をしてきたかなんてのも、当然ながら全く知らない。もしかしたら塾に通ってたかもしれない、家でめちゃくちゃ勉強してたかもしれない。でもわたしはそれを知る手段がない。だって接点がないんだから。

その過程を、努力を全く知らない相手に向かって、頑張れとか君ならできるとか言うのは、あまりに無責任で残酷なことなんじゃないの? と。

言葉には言霊が宿る。わたしはそれをこの頃からすでに信じていました。当時は無自覚だったけど、今あのときを振り返ると、行動の理由に説明がつく。その力を信じてたからそうしていたんだって。

言霊というのは、おまじないの一種でもある。
だが、まじないはのろいだ。

頑張れと言われたら、できると言われたら、頑張らなくちゃいけない、できなければならない。

じゃあもしも頑張れなかったら? うまくできなかったら?

そのあとのフォローをしない、できない距離にいる人間が、軽々しくそんな言葉を使っていいの?

そう思ったら、怖くなって。

当時のわたしは、その言葉に責任を取れるほど強くなかった。呪い返しを受ける覚悟もなく、責任も取れないのに「頑張れ」だなんて言うのは、とてもじゃないけど出来なかった。だって怖いよ、そんなの。

口先だけで、というかただ感情を無にしてロボットのように、ひとこと「頑張れ」と書けば、クラスメイト全員分のカードを書くのもあんなにしんどくならなかったと思う。
これを発案した先生だって、その言葉に責任が取れるかなんて考えさせる気はなく、ただ、クラスみんなで応援してあげられたら、それは生徒の力になると思ってやったのだと思う。それはとても純粋で綺麗な厚意だし、わたしが考えすぎなだけだったってことは、十二分にわかっている。

でも怖いと思ってしまった。怖気付いてしまった。

だからもう意地を張って、自分が責任を取れる範囲のことだけを書こうとしたら、しんどくなった、という話です。

今よりさらに語彙力や知識がないのに約30人分書くのはつらかったですねー。笑

今だって怖いし苦手です。誰かに頑張れって言うの。

それが研究室の定期発表会とか日常的な場面ならまだしも、人生がかかった局面ならなおさら怖い。相手のことを追い詰めてないかすごく不安になる。プレッシャー源になりたくないとか、「あんたなんか私のこと何にも知らないくせに!!」って思われたくないっていう、自分のエゴもあるけれど、とにかく怖くて仕方ない。

だからわたしは、祈るようにしています。ひとりで勝手に、誰かに対して、うまくいくようにと祈りを捧げる。

祈りは呪いにならないから。

最初は独りよがりでも、積み重ねた祈りは、きっと誰かの背中を押せると信じて。



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