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10年。

10年。ひとつの世代の区切り。decade。

調べてみたら、三重水素の半減期よりはちょっと短いくらいらしい。(三重水素半減期は12年)

10年あれば、いろんなことが変わります。

10年前に生まれたばかりの子は、とっくにランドセルを背負って元気に走り回れるお年頃。

10年前はフリーWi-Fiなんてどこにもなかった。いや、あったかもしれないけど、それを必要なインフラとして認識している人はほとんどいなかった。

でも10年経った今、現代人の大半は、フリーWi-Fiをある程度重要な設備だと位置付けている。カフェや宿泊施設のように、人間がある程度の時間を手持ち無沙汰に過ごせる場所は、Wi-Fiあります! というのがひとつの宣伝文句になる。

携帯電話はスマートフォンが当たり前になって、みんな大きな画面を覗き込んで、画面を通していろんな世界へ旅に出ている。わたしだってそう。

10年あれば、こんなにたくさんの変化が生まれる。

それだけの変化が生まれる長い長い時間をかけて、ようやくできたひとつのことがあった。

解呪です。

10年は、わたしにかかっていたあるひとつの呪いが解けるまでに要した時間でもあった。

でも、呪いが解けたところで失った機会や時間は戻らない。それを思うとすこしだけ寂しい。

だからわたしは、なるべく他人に呪いをかけないように生きたい。これまでのことは変えられないけど、せめてこの先、生きていく上では。

ここからは、たぶん当事者が読んだらこれあいつやんってわかる話を書くので、下手すれば(しなくても)身バレはしそうだなあ、とちょっと怖い。でもまあ当事者さんたちの雰囲気を見てるとnoteやTwitterに生息する雰囲気は感じられないし、書いちゃお☆

(偏見だけど、当事者さんたちはインスタとめちゃくちゃ相性良さそうだからそっちにいるやろと思っている)

これは中学の部活での出来事です。

中学2年生の夏、学校の決まりで3年生の先輩が引退しました。

ここから1年間、2年生、つまりわたしたちの代が主体となって部活を運営しなければなりません。当然、部長、副部長の役職も決める必要がある。

わたしの代は、わたしを含めて5人いました。

そして、部内で実力を持っているのは圧倒的に他の4人でした。

それは部活動で行う活動の実力としてもそうだし、政治的な実力も、です。

なんでかって、向こうはスクールカーストの最上位の中心人物を擁していたから。
その人気は下級生にも当然あって、その影響力は計り知れないものがあった。

ただ、うちの部活の部長選出は立候補がない限りは、全員3日間ずつ部長の真似事をして部活を仕切り、その様子を見て先生が任命する、という方式でした(副部長も先生が任命します)。なので、いくら生徒側が「あの人を部長にすべきだよ」とか思っていて言ったところで、そうなるとは限らない。

わたしたちの代でも、部長の立候補は出ませんでした。まぁ当然だと思います。
(だって面倒くさいし……←)

でも、誰がどう見ても、役職はわたし以外の4人がやる方が適している。

こんな状況だったから、まぁ役職につくことはないでしょ〜、と楽観視してわたしは模擬部長をやりました。


ところがどっこい、蓋を開けたら何故かわたしが部長に任命されてしまった。

ぼく「なんで!?!?!?」

鶯さん、大混乱。笑

この任命は、実はわたしへの通知と同時に、親にも通知が行きます。なぜかって言われたらそういう部活だったんで、としか言えないんだけど。

その報告を聞いた親は「お前にできるの??」と口では言っていたもののなんかうれしそうだし、そもそも先生から直々に任命されてしまったことだし、他4人は「自分が部長じゃなくてよかった」みたいな安堵感を全力で表現してるし、こんな状況になったらまぁとてもじゃないけど「いやだ」とは言えません。やるしかなかった。

(まぁぶっちゃけると、この任命は99.9%覆らないものなので、嫌だと言ったところで力ずくで頷くまで説得されるだけなんですけどね)(0.1%は部活を辞める場合です)(うちの中学は帰宅部とかないし、大体は辞めさせてもらえないけど)

それでも最初は、みんな手探りで新体制を作っていく最中だったからなのか、どうにかうまく行っていたように思います。

時々わたしがプレッシャーに負けて体調を崩して、日々の活動や大会を休んでしまう事もあったけど、それでも。
大会を休む部長ってどうなんだ感あるよね。←

ただ、そのうまく行ってたっぽいってのは、ほんとギリギリのところでギリギリのバランスを保ててただけだったんですね。わたしはそれに気がつかないまま、一応うまく回っているっぽいことに安堵して、半年ほどそのまま部活を回してました。回るならいいか、って。

そのまま1年やれたらよかったけど、まぁ結論から言うとやれなかった。

全ての始まりとなる事件が起こったのは春休みも終わる直前のある日。

同期が1人消えました。

うわぁい!!!!

その同期は外部から指導に来てくれた方と意見が合わず、度々不服申し立てをしていたんですが、消える前日、積み重なった不服が爆発したのかかなりの言い合いになりまして。
その翌日からさっぱり来なくなりました。顧問の先生も説得を試みていたけれども、それも効かず、もうそれから二度と活動には来ませんでした。

ただ、この消えた同期が、ギリギリを保つ上ですごく大事なところにいたんです。

冒頭でわたし以外の4人の方は実力があり、その中にはスクールカースト最上位の中心人物もいると言いました。

この4人をもう少し詳しく見ると、1:3に分けることができます。

内訳は、1が消えた同期で、3がスクールカースト最上位の面々です。そしてこの3の中に中心人物がいるという構図。
1の方の同期は、正確には3のいるカーストとは少し違う場所にいたのです(それでもわたしなんかより上位だったんだけど)。1の方がその"ちょっと違う"ところにいたからこそ、カースト下位のわたしが部長をしていても、部長やれる程度にパワーバランスが修正されていた。

でも、いなくなってしまいました。

ついでに言うと、消えた同期は役職についていませんでした。つまり副部長は3の中の1人です。

わたしは実力もなければカーストもなんかすんごい下だし、何より前述したとおりプレッシャーに弱くてそこそこの確率で部活を休んでいます。対して向こうは実力があり政治力も強ければ、副部長もいます。

同期が消えたので、今まで保たれていたバランスは崩れざるを得ません。どう天秤が傾きますか。

どう考えても、3の同期の方ですね!!

うん知ってた!!!!

てことで、この辺からわたしは名ばかり部長になります。部長という役目から生じる面倒事はこなさなくちゃならないけど、実質部を仕切ってるのは3の同期の中心人物。後輩もみんなわたしなんかより向こうに敬意を示しているし、わたしはもともと実力もないので、ただひたすら部内での居場所を失っていくだけでした。

※副部長さんの名誉のための追記。
副部長さんはカースト中心人物さんとは別人です。また、副部長さんは副部長という役割をそれなりにやってくれようとはしていました。でも、中心人物さんの影響力が強すぎてそれどころじゃなかった、って感じです。

こんな歪んだ部活って何。え、ギャグ????←

ただ、歪んでてもなんでも、それで部として実力がつくならそれはそれでいいと、自分1人が勝手に傷つく分にはいいやと、歪み始めた当初は納得して受け入れてました。でも実際部活がそうだったかと言うと、全然そうではなくて。
(それがまたこの後がめちゃくちゃ厄介になる根源なんですけど)

中心人物さんは、かなーーーーーーり気分屋で自己中心的なところがありました。

「わたしはわたしルールで世界を生きる!!」と普段から妄言を吐き、とんでもない気分屋を自覚している鶯さんですらそう思ってしまうほど、中心人物さんはその方向に長けた逸材です。本当にすごいやばい。

まぁそういう方だったので、部活の参加態度もめちゃくちゃ気分に左右されていて。
冒頭20分くらい見てればわかるんですよ。あ、今日この人やる気ないんだなって。

そういう時は活動中の私語がまぁすごくて、顧問の先生に対する不満や愚痴まで飛び出す始末。いやそこに先生いたらどうすんねんお前……。

中心人物さんが気持ちよく活動に参加してくださる日は今後の役に立ちそうな活動内容になるけど、そうじゃなかったら部活動に割り当てられた2時間くらいをドブに捨てる、みたいな、そんな状況になりました。

こりゃあかん。

もう3年生の春〜夏は生きた心地がしなかったですね。こんな部活早く終われって、それしか思えなくなってた。後輩だってちゃんと活動したかっただろうに、ほんとうに申し訳ないことをした。ごめんね。今さらだけど。

部活で取り組んでたことだって、この部活やるって決めた時は好きで選んだはずなのに、好きだからどんなにきつくても活動にも耐えてこれたのに、この頃のわたしはもう好きでもないし楽しいとも思えないって、そんなところまで行ってました。いくとこまでいっちゃった☆(←精一杯の軽さ演出)

だから夏に、最後の区切りとなる大会で引退が決まった時、わたしは心底嬉しかったんです。もうこんな孤立したところにいなくて済むぞー!! こんな歪んだところとおさらばだー!! って。

けど、他の同期は泣いてたんですよね。もっとこのメンバーで部活したかったって泣いたんですよね。いちばん泣いてたの中心人物なんですよね。

ぼく「うそやん( ゚д゚)」

……冷静になって思うと、これいじめっ子といじめられっ子の認識の相違の話に近い気がしてきました。いや、虐められてたわけではないんですが。

泣くほど悔しいんなら、せめて活動は真面目にやればよかったじゃん。
わたしがちゃんと部長できなかったのは悪かったけど、でも活動に真面目に取り組むことはわたしの存在関係なしにできたはずじゃん。もっと部活続けるための実力がほしかったならそういう行動すればよかったのに、それをしなかったくせして泣いてるのは筋が違くない??

とまぁわたしはそんなことを思うと同時に、

わたしから好きなことすら奪っておいて、ちょっとそれが得意だったからって部活ごとぐちゃぐちゃにして、それでいて泣くって何??

という私怨をね、向けてしまうんですね。ここで。
この私怨によって、呪いが10年レベルで効力を継続する羽目になります。

さらに運の悪いことに(?)、呪いの効力が高まる出来事はこれに留まりませんでした。

わたしは高校でも結局同じ部活をして、高校ではいい人にたくさん恵まれたので、ちゃんとやってたことを好きになることができました。自分なりに努力して、居場所を見つけて、満足いくところまではやれたと思っているし、同期も先輩も後輩も、わたしの居場所を奪うことはしなかった。すごく優しくて、あたたかいひとたちに巡り会えた。

その差もあって、中学の部活が完全に自分の中で黒歴史化しまして。

黒歴史化したことにより、呪いにさらにパワーが生まれます。負のパワーが。

でも、黒歴史なんて、普段生活する分には封じとけばそれでいいものです。掘り返さない限りは呪いも何も効力を発揮しない。
幸いわたしは大学進学で地元を離れたので、街中で偶然、なんて事故も絶対に起こらない状況になれたし、都合よく蓋をしました。逃げだって? 知ってるよ。

それに蓋をできなくなったのが、大学2年生の秋。

何があったって、成人式と中学の同窓会の連絡です。

わたしの出身市は、成人式をやった日に、中学単位で同窓会をするというのが習わしというか恒例というか、まぁそういう感じです。なので、成人式の開催とともに、どの中学も例にもれず同窓会をします、と。当然わたしの出身校も。

成人式は何がなんでも出させるから帰ってこいと母親には1年前から念を押されていたし、わたしも振袖は着たかったから成人式は出る、と納得していました。式典は市単位でやるから参加人数は山といるんだし、適当に紛れて逃げておけば部活の同期と顔を合わせずに済むし。だから、式典自体にはそんなに忌避感は抱いていませんでした。

問題は同窓会です。

同窓会イベントって、在学中のスクールカーストが上に行けば行くほど出席率が上昇するものだと思ってるんですけど、この時ももれなくそうでした。しかも時代の進歩によって、出欠アンケートはLINEで行われたので、幹事でもなんでもなくても、誰が来て誰が来ないかっていうのが分かっちゃうんです。回答期間中に。

予想はしてたけど、例の3人は参加希望側にいました。なんならそのカーストを構成していた5人が全員参加予定。

彼女達がいると分かった瞬間もうわたしは絶対行きたくない!!!! って拒否。親や姉は行っておけって説得してきたけど、もう泣いて懇願して「絶対行きたくない!!!!」って。最後には姉たちが「まぁこの人らに会いたくないってことはわかる」と理解してくれたので行かずに済みました。勝訴。

ただ、行かなくてハッピーだったか、というとそうでもなくて。
(こんなのばっかだねこの鳥ね、本当面倒くさいね)

最近の投稿のどこかに書いたんだけど、わたしは中学でお世話になった先生のことは、今でもめちゃくちゃすごく好きです。それこそ学年所属でお世話になった国語の先生には、書いたものをたくさん褒めてもらったし、鶯さんの書く文体が好きですなんて言葉を卒業間際にいただいたこともあった。だからその先生に会えたら、今もこうして細々色々と書いてるんですよと伝えたいと思っていて、それはあの当時からそうだった。

同窓会にはその先生も来る。だけどわたしは、会いたくない人たちに会わないことを優先して欠席。言いたいこと伝えたいことはたくさんあるのに、わたしは行けない。わたしが弱いから。逃げたから。

その状況が悔しくてつらくて。

おうちで家族が用意してくれたステーキ食べながら、家族の優しさとその悔しさに泣いた。

どうしてわたしはあの場に行けなかったんだろうって。

はい、ここで、呪いが効力をガツンと発揮するわけだ!!!!

「わたしがあの場にいられないのは、あの人たちのせいじゃんか」

完全なる被害妄想。自分かわいい野郎。でも呪いってそういうもんなんで許してくれ。←

まぁだからといって何をするでもないんだけど、ただそういう被害妄想だけがこびりついてしまって。

この辺りから、定期的にこの人たちが夢に出てきては目を覚まして泣く、ということが起きるようになりました。それ以外にも、雑談から部活何してた〜? って話になってこれを話題にしただけでも泣いてたし、この頃の経験がもとで、はじめてバイトしたバイト先でもつらくて泣いてたし(人間関係の雰囲気が部活と近かった)。

ずっと恨み続けたいわけじゃない。彼女たちにも事情はあったはずだし、自分もうまくやれなかったからお互い様。頭ではそう思っているのに、感情が追いつかなくて。

掘り起こしたくなんかないのに、無意識に掘り起こされて、ただ傷つく。そんなことの繰り返し。

だけど、それが、ここひと月ほどでスッとなくなったんですよ。

いや、なくなったというとちょっと違うな。

やっぱり定期的に、彼女達が出てくる夢は見るのよ。見るんだけど、ちょっと違うの。

前は、「あの時はごめんね」と突然謝られる夢が多かった。そしてわたしはその度に、「どの面下げてそんなこと言ってんの???????」とキレて起床して、その後泣く、みたいな。

ここ最近に見たのは、一緒に部活してる夢だったんです。

わたしは相変わらず実力がなくて、向こうはめちゃくちゃ実力がある。だから、わたしはついていけないんだけど、向こうは向こうで「なんだよ下手くそだなぁ」とか言いながら笑っていて。下手だからってわたしを見放すことはなくて、ちゃんと部活の一員として見てくれている。わたしは本当はあの時こうしたかったんだろうな、こうなりたかったんだろうな、って理想を体現したような夢だった。

以前のわたしなら、でもそうはなれなかった、って泣いていたところだった。でもこの時は、「ああ、こうなりたかったんだ」とただ受け入れられた。穏やかに。

そうなりたかった、でもなれなかった。それは決して覆ることのない事実。

だけど、その事実に泣くんじゃなくて、「なれなかったけど、なりたかったんだよね。昔のわたしはこんな風になりたかったんだよね」って、昔の泣いてる自分に今のわたしが言葉をかけて、慰めているような感覚。

あ、やっと、呪いが解けた。

直感でそう思った。

それはきっと、自分に対してすこし自信を持てたからかもしれない。こう生きていきたいって軸や目標が定まっているから、彼女達の価値尺度に自分が振り回されることがないと知ったからかもしれない。自分の価値尺度は自分で守り、でも相手の価値尺度にも踏み入らない、ということを覚えたからかもしれない。呪いが解けたのは、そういうすこしずつの何かが積み重なった結果なのかな、と。

10年もかかったけど、たぶん10年は必要な時間だった。
たくさんの人と出会って、わたしがわたしを見つけて、呪いの解き方を勉強するのに必要な期間だった。

今ならたぶん、同窓会やるって言われても行ける。おそらく生きてる世界が違うから、世間話すらできないけど、それでも笑顔で社交辞令くらいは言える。

そんな気がする。

人を呪うのは苦しい。そこで苦しむのに使うエネルギーを楽しいことに振った方が得。

4年前、まだわたしが呪いにかかっていた頃、思い出して泣いていたわたしを見た父が言った言葉です。
呪いが解けた今なら、この言葉に素直に頷ける。でも当時は頷けなかった。

「呪ってる暇があるなら楽しいことに目を向けなよ」。その意見は確かに正しいし、合理的だと思う。人生は有限なんだから、負の感情に時間割いてるなんてもったいないとわたしも思ってるし。

だけど、今呪いで苦しんでいる人に、無理に呪いを解け、そんな無駄なことやめろとはとてもじゃないけど言えない。そうしないと苦しんでるその人が死んでしまうから呪ってる。心を守るために呪いをかけていなくちゃいけない時はどうしてもある。無駄でもなんでも、それをしないと生きてられないって本能で知ってるからやってる。

だからどうか、放っておいてほしい。その呪いが相手に実害を与えてるのなら話は別だけど、そうでないのなら、誰にも迷惑をかけない呪いなら、せめて心は自由に、好きにさせてほしい。


今回こんなことを話題にしたけど、これを書いたからといって、だから生きてればいつか呪いが解けるよ、なんて無責任なことは言いません。言えないですもん。
わたしのこれだって、結局は「解けました、おめでとう」っていう結果論でしかない。

だけど、こんなケースがあったよ、とネットの海に放流して、誰かが見つけてくれたら、きっと昔のわたしも浮かばれるよな、と思ったので、話題にしてみた次第です。


重苦しい話をしてしまったので先日友人にいただいた手作りお菓子達で軽くしときますね。

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クッキーとケーキ2種類! コーヒーとともにいただきましためちゃくちゃ美味しかったです!!

あとレヴュースタァライトはいいぞ!!!!(奥のCD)(お菓子と一緒にいただいた)

はいアニメ。

今なら!! 期間限定で!! 全話無料で見れちゃうよ!!

スキを押すと何かが出ます。サポートを押しても何かが出ます。あとわたしが大変喜びます。