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訓練で補える範囲の外

「ここからでも入れる保険」がないなら、60km/h以下で走っても煽られない一般道をください。いやマジで。

わたしは、できれば一生車の運転をしたくないと思っている。運転免許は持っているけど、今も昔も「30万円かけて取った公的身分証」という認識で、ハンドル握るかと聞かれたらどんな時でも首を横に振る。それは自分のことをまるで信用していないからで、何を信用していないかと言えば「全方位に満遍なく注意を向ける」ことと、「すばやい空間認識把握」の2点である。

【Q.生活においてマルチタスクが出来る? 出来ない?】の2択のみで自分はどっちですかと聞かれれば、わたしは出来る側に入るだろうし、生活における困りごとも少ない方なのだと思う。これまで所属したあらゆる集団で、あなたにこれは難しそうだからこっちね、と第三者に区別をつけられたことも、匙を投げられたことも多分ない(サイレント匙投げされていたら知らない)。実際、運転免許を取得するという第一段階はクリアできたのだし、お陰で身分証明はずいぶん楽になった。

それに、人間はどんなことでもやり始めの頃は初心者なので、最初に運転が出来ないのは想定内である。事実、車校に通い始めの頃は車を動かすこと自体おっかなびっくりで、練習場で20km/hを出すのもやっとだった。それが教習後半では恐怖心も薄れて、初期のノロマ状態を知っていたとある教官に後半で再び会い、「だいぶ慣れたねえ」としみじみ言われたこともある。やってれば成長ってするんだなあと実感したし、慣れてきたから公道での練習もちょっとだけ楽しめるようになっていて、高速教習以外は恐怖<出来るようになる嬉しさという感じで車校を卒業した。そんな経験もあって、免許取り立ての頃はわたしだって「慣れれば一人で運転出来るようになるのかな、自分も」と思っていた。機械の操作を覚えるという行為は単純に好きだったし。

しかし、免許を取ったその夏に初めて公道を運転した時、その認識は「一生無理!!!!!!」にひっくり返った。そこで痛感したのが上記の、自分の信用できないポイント2点セットである。

初めて運転をした道は片側3車線の国道で、昼間の平日という比較的交通量が少ない時間帯を選び、さらに右左折はほぼなしという、教習で公道を走るよりもずっと簡単な条件のもとで走った。ただひとつ違うのは、その道を通る車の平均速度であって、教習では40km/hほどだったのが、その道は65~70km/hだった。車には法定速度というものこそあれど、優先されるのはその場の「流れる」速度であるから、この場合は初心者マークを付けて左側をキープしていようと、60km/hを下回れば「遅い」と煽られる可能性が高い。その時隣に乗って教官係をしてくれた母にも言われて、私は頑張って60km/h以上を出した。

車の速度が速くなる。となれば瞬間ごとにおける状況判断に使える時間は減るし、己が乗っている物体の殺傷能力は上がる。その求められるスピードに私は全然ついていけなくて、車をどこかにぶつける自信のみが膨らみ、ハンドルを握っているのがどんどん怖くなっていって、元々予定していた行程全てを運転できないまま、半ば泣きながら母と交代した。あの時のセブンイレブンは神様だった。

思い返してみれば、わたしは広い視野を持つとか、自分の予測の外にある物事に迅速に対処することが昔から苦手だった。9年続けたバスケでも、注意される理由No.1は圧倒的に「周りが見えてない」だったのだから、この認識は他者から見ても合っていると思う。自分の手元にボールが来ると、ボールを持っている人のレギュレーションを違反しないこと(トラベリングとかね)に精一杯で、味方が良い場所に走っていて良いパスを出せるようなタイミングを逃す。そうこうしているうちにディフェンスさんがそれに気づき対処されるので、チャンスを潰してサヨウナラ。この手の怒られはマジで死ぬほどしたので、ゲーム中にボール持つのが本当にプレッシャーになり、「自主練は好きだけど試合は出たくない」と思っていたくらいだった。部活に取り組む目的が完全に違う人だった。

まあそんな性格?と半泣き恐怖の初ドライブがあったので、私はすっかり運転が無理になった。でも、たまには「車が運転できたらな〜」というシチュエーションに邂逅するので、訓練も兼ねてJAF MATEの『危険予測』をやってみたり、誰かの運転する車の助手席で運転者の気分になって色々と注意を向ける練習をしてみたりしている。しかし練習すればするほど「いや無理では……?」と自信を無くす。だって危険予測は10秒かかって観察しても答えに設定されているものを見落とすし、助手席からの確認は「運転者はここにさらにミラーで側方後方確認して運転操作……?」となる。前方見てるだけでもあれこれと目が追いついていないまま、景色が流れていってしまうのに。

そんな練習をやればやるほど、自分が免許を取得できたのは奇跡だなと思うわけだが、大きな要因は環境平均速度が40km/hだったからなんだろうなと思う。速度が遅いとは殺傷能力が低く時間に猶予があるということでもあり、加えて教習車は【助手席の人もブレーキは踏める】という安心感があった。奇跡の要因は多分そのふたつ。

でもそれは、実際の公道には殆ど用意されない奇跡なのだと、公道に出てみて知った。知ってしまった世界は、知らなかった世界には戻らない。

慣れでどうにかなるなら、たぶん今ごろもうちょっとバスケうまかったんじゃないのかなぁ。

スキを押すと何かが出ます。サポートを押しても何かが出ます。あとわたしが大変喜びます。