建安竹林の七人の日 総轄
おはようございます、五胡十六国入門です。昨晩、11/7 より展開した「建安竹林の七人の日2023」についての雑感を呟き、同ハッシュタグイベントを閉幕としました。その時のつぶやきは以下の通り。
これらの内容を、一晩明けてから再検証、もう少し整理したいと思います。まぁ、ここからやりたいことについて、ですね。
やりたいことたちの中のハッシュタグイベント
人々に五胡十六国時代を押し付けたい! という基本方針、これまでもそうだと言えばそうなんですが、今年は自分の中で大きな変化を起こしました。「お金をいただけるような形で動く」です。これが示すのは、「より主体的に、皆さんをどう巻き込めるかを考える」となります。
言うまでもなく、お金が大好きです!
ただ、もう一つある。責任感です。こいつに時間を使ってやってもいい、と思っていただけるような価値の提供。自分はそれに五胡十六国時代を選びました。これが今後どのように実るか、それはわかりません。ただ、巻き込むことに対し自覚的にならねばならない。となるとハッシュタグイベントは一つの試金石です。
……と、雑感を書きながら気付きました。時既に遅しすぎる。
まぁそんな次第で、楽しむための準備も覚悟も、最終日に芽生え始めてきた始末。これは困った。いや困りません、もう足跡は出来ましたしね。検証さえすればいいわけです。
建安七子と竹林七賢
でね、これ。ニッチ。なにぶん歴史の主流ではありませんし、そうそう「人口に膾炙する」ようにはならんでしょう。というか、なって欲しくないです。人口規模が大きくなると、いやでも治安が悪くなりますからね。なので大々的に騒ぎはしましたが、広まって欲しいとまでは考えていません。この十四人に熱い視線を向ける特殊な人たちと、若干の合分流を経ながらも、まったりと楽しみたい。そういうのがこの界隈に対する望みです。
となるともう、明確に違うんですよね、五胡十六国時代まわりでの遊びとは。そうした性格の違いこそあるんですが、一方でここは変わりません。
羽根を伸ばして楽しめる遊び場づくり。
人口規模がどう変わろうが、ここでなら楽しく遊べる。そう言う安心感というか、「おっ迂闊に踏み込んじゃってええもんなんね?」と興味を持った方に思っていただける。そういう場の雰囲気、期待感をどう作り出せるか。
楽しみ方のありよう
イベントを展開する(と言ってもツイートする、みなさまのツイートに禿げ上がる、を垂れ流しただけですが)なか、こうしたイベントが周りに伝わるためにはなにが必要かな、みたいなことを考えました。羅列すると以下の通り。
◯とにかく主催が楽しそう
◯主催がみんなのツイートに狂喜
◯はじめましてさんから目線を外さない
◯興味からの動線を確実に引く
◯期間があればリーチチャンスも増える
これらをどれだけ実践しきれたかって聞かれれば落第点ですが、まぁ洗い出しのためにはとにかく動かす、がないとだめですしね。
そう言えばこの辺、偉大な先人がいますね。藤村シシン氏。ちょっとフォローしてこよ。ともあれ、各項目についてメモを取っていきましょう。
◯とにかく主催が楽しそう
去年、これができなかったんですよね。というのも出勤日だったから。一応ツイートを予約して、はやったんですが、まあなにせリアルタイム性がない。だからまともな動的つぶやきもできず、なんか機械的運営になりました。これは今年の初日もそう。やべえ、と思って二日目以降はちょっと心構えを変え、動けるよう意識しました。様々な方に楽しんで頂く、も大切ではあるんですが、まず主催が第一にこの日を楽しめてないといけない。
いや、ぶっちゃけ照れとか遠慮も働いちゃうんですよ、この手のイベントごと。そんなところに配慮する暇があったら暴れたほうがいいのにね。だって「なんか楽しそう!」が伝わらなきゃ、魅力的には映らないです。そしてここで肝心なのは「俺が楽しい」ではなく、俺が楽しい「と、伝わる」。題目は思いつきますが、では具体事例は、と聞かれると答えられません。まぁ来年までの課題ですね。
◯主催がみんなのツイートに狂喜
これも去年の反省点。去年、マジでリツイートしかできなかった。すっごい機械的でした。もう少しどうにかならんもんかとは思ったのですが、なかなか。それが今回複数日開催としたため、余裕を持って二周目、三周目ができました。みなさんのツイートに言葉でのリアクションを取れたのは、まぁ正直単日だと難しいな、と。巡回がメインになっちゃうんですよね。心に余裕がない。「漏らすまい」で回るもんだから見落としに怯えてしまったり。これでどこまで、上のやつと同じ話が出てきますが、皆さんのツイートに狂喜している「と、伝わる」か。別にリツイートだけでも喜んでることが伝わらないわけでもないでしょうが、せっかくこちらに立ち寄って、あるいはこの日のために手間暇と情熱を注ぎ込んでくださったものに対してワンボタンポチーはさすがに味気なさすぎる。あ、主催者はね。全参加者がそれをやるべき、なんて息苦しい話はする気ないです。
今回様々なツイのリツイートコメントも追いましたが、主流はリツイート後のコメントツイートでした。ここについては正直扱いに迷っています。いや、「イベントで盛大に盛り上がる」のはキツいけど、こっそり覗いて、おっおもろいもんあったやん、で、すっと呟き、去る。そうしたスタンスも歓迎したいんです。というか五胡十六国はさておき、建安竹林ならそういう楽しみ方したい方のほうが多いんじゃないか、とすら思うんですよね。そうした方のつぶやきに対しては、大々的に喜ばず、そっと喜びを示す……とありたい。ぶっちゃけふぁぼですらストーキングに思われないかしら、位の不安はありました。
いや、ほんとに「リツイート後の独り言」、めっちゃ楽しく、興味深かったんですよ。イベントそのものにどっぷり浸かる「わけではない」参加をしていただけ方にも感謝の思いを伝えられていれば、と思います。
◯はじめましてさんから目線を外さない
これ。
別にいろんな方を集めたい、わけではないです。とは言えいざ興味を示して頂けた方に、イベントそのものが気軽なフックとなっていたい。ここへの取り組みが今回中途半端になっており、来年最も力を入れたいな、と考えています。なんなら主催はここに一点張りするぐらいの勢いでもいい、とすら思っています。たとえメンバーが固定されるようなことになっていたとしても、「我々が面白いと思っているもの」への門戸は開かれていてほしい、って思うんです。
自分の立ち位置は、学術的探求とエンターテイメント的遊び心の結節点です。この立ち位置を生涯貫きたい所存です(なお、これは今後自分が実際に学府に足を踏み入れたとしても変えるつもりはありません)。楽しい! と思ったものを、様々な方に「おっ、実は楽しい……の、カモ!?」と思っていただけるような、「なにか」の提供。ゼロをイチにしたいのですよ。イチをヒャクにするための手立ては他の皆様におまかせします。
◯興味からの動線を確実に引く
上のやつの具体案、という感じですね。イベントにおける一連のツイートで、どうアクセスコスト低く「面白そうな情報」に引き込めそうか。このあたり、自分が吐き出す一連のツイートが面白ければ、そこに基礎情報をつけると導線として機能しそう。ただ、今度は「アクセスした先にどんな情報があれば沼へのいざないとして機能するのか」も必要になります。ここが正直、わからない。どうしたものか。
◯期間があればリーチチャンスも増える
期間があることの効用、ひとつは主催が余裕をもって参加者ツイートにリアクションを取れること。そしてもうひとつがこちら、参加者様がこのイベントの存在に気付いたとしても、そんなに慌てて動かないで済む。じっくりハッシュタグ検索して楽しんで、その上で言及してみようかどうかを決められる。「記念日」として一日でやれるのも楽しいと思うのですが、それはなんて言うか、それは十分に人がいるところで、ほっといてもぶち上がれる世界の楽しみなのかな、と感じました。「こういう楽しい(と、ぼくたちが思っている)世界があるよ!」を、一定期間露出させ、「お、水が合いそう?」と思っていただけた方に、検討の余地を持っていただく。そういう効用があるんじゃないか、と。
繰り返しますが、「広く当たる」必要はないんですよ。「刺さるような人に刺さった」時の取りつく島が大きくあって欲しい。そう言う話なんです。
何を楽しむのか
いつもの速報となりますが、こうした動きに「俺が楽しい」以外の目途を持たせるつもりはないです。五胡十六国周りのネタの認知が高まり、いろんなひとが物語を生んでくれて楽しい。七子七賢まわりで、この十四人やそれを取り囲む時代に萌え狂うひとが燃えを叫んでくれるのを鑑賞するのが楽しい。このとき、誰もが「己の萌えにのみ従い、叫ぶ」世界であってほしい。正直なところ阮×嵆と嵆×阮には手を取り合いながら殴り合いをしてほしいですが、まぁなかなかに難しいところですね。殺し合いも立派なコンテンツではあるんですけどねえ。
様々な方が、様々な形で萌えを語れば、そこにバッティングも生じるでしょう。これは不可避のことです。ならばこのバッティングの解消が殲滅戦にならず、ルールある闘争下でのノーサイドとなる世界であってほしいです。いや、そもそもここで取り扱ってる時代たちそのものが「ノーサイドなんて幻想」と突きつけてくるわけですが。
まぁ、だからこそ「ノーサイドをあざ笑う連中」とは断固として戦いたい感じもあります。下手にそうした姿勢を前面に出すと「こわいひと」枠になるのがなかなかに難しいところですね。うまくそのあたりもコントロールしたいところですが。
……といった感じのことを、今回のハッシュタグイベントで思いました。
どれだけ「俺が」このイベントを楽しみたいのか、を主張できるか。そいつが「よくわからん、謎のハッシュタグイベント」に人さまを巻き込めるだけのトリガーになるのでしょう。それは七子七賢というニッチな世界においても、五胡十六国においても同様。
「もてなす」ことを考えるのも大切だけど、そいつを展開するのと同軸で、「彼らがどれだけ現代人を狂わせるのか」を突きつけられると良さそうだな、と思うのでした。
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