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真実ってなんなんだろ?

私は真実の探求とその情報の発信をしているわけですが、ネットには様々な情報があって何が何だか分からなくなる時があります。私個人の解釈として1つの情報ソースに囚われない方がいいと思うのです。あっている情報を選んで信じていく方がより信用できるし心が楽になると思います。

Qアノンを100%信用していた頃

私が真実の探求をスタートするきっかけとなったのがQアノンでした。当時世の中がおかしいと思いつつも「もっと政府より大きな存在がいるんじゃないか?」とモヤモヤしていました。ネットのサイトを巡り巡ってたどり着いたのがQアノンです。見つけた当初は「すごい!!!」という言葉が出るほどモヤモヤを晴らすものでした。
しかし、とある部分で引っかかったのです。それはLGBTQの方を差別するような言動、取り上げ方です。この引っ掛かりは世間の流れの影響ではなく本能、直感的な物でした。少しでも悪く目立ってしまった方がいるとすぐ反応して「ほら、コイツ悪い奴だろ?ならそのお仲間も全員悪い奴らだ!」という物言いだったのです。

確かにLGBTQの名を騙り犯罪に走る人もいるのは事実です。けど法律やルールで形式化、縛る必要もないと思います。しかし本当に困っている人、さほど困ってない人がいるのも事実です。LGBTQと一緒くたに対応するのではなく、全体に合わせつつどうしていくかを決めていけばいいと言うのが私の意見です。私はアスペルガー持ちですが、私が学校側に合わせて、その中で配慮して欲しい部分は可能な範囲で対応してもらっています。不便に感じる時はありますが、その時は私が離れればいいだけだしほとんどの人が不便になるよりかはマシだと思ってます。LGBTQの場合もそういう風に対応していけばいいと思ってます。要は排除でも全許容、強制でもなく真ん中の道が大事だなぁということです。

その真ん中の存在を知ってからQアノンを知ってから余計トゲトゲしてた心が穏やかになりました。その真ん中の道を極めたくてQアノンの信奉を程々にしてスピリチュアルの道へ来ました。そしてスピリチュアルを学び始めた頃大学で学んだ初期仏教、中道の教え。「コレだ...!」と確信し、今は初期仏教の教えで元来の日本人の精神性を戻そうと考え早いですが卒論に向け行動中です。

仮説に対する仮説を立てて証明する

先生が仰っていたのですが「仏教史は定説と言われるものも仮説に過ぎない。論文はその仮説に仮説を立てる」そうです。その定説の元は紀元前ですから「こうじゃね...?」くらいにしか出来ないのにも納得です。私も考えることが好きで真実に関してもそうですが、色々考えます。けど自然と過去のことばかり考えてしまいます。「今という真実と歴史を証明できるのは今しかない!」と考えありったけの知識をもって、真実だと思ったものを真実と信じて綴っています。この世界の抱える私の知らない真実はあるのか、真実を超えた真理はあるのか。今日もそれを考えながら日々過ごしています。

ここまで読んでくださりありがとうございました!思ったまま書いたので文脈等ぐちゃぐちゃで申し訳ございません...どうかご了承くださいませ。


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