【第4章】彼は誰時、明けぬ帳の常夜京 (9/19)【脱出】
【異貌】←
ミナズキは、普段使う式神の倍はある大鷹にぶら下がり、常夜京のうえを滑空する。
宮中の周辺で、いくつものかがり火が行き来しているのが見えた。追っ手はまだ、都全体まで広がってはいない。
常夜京をおおう怪異の闇が、いまはミナズキの姿を隠してくれる。漆黒のとばりの空を、長耳の符術巫は一直線に飛翔する。
やがてミナズキは、自分の邸宅の敷地内に着地する。過剰な霊力と重量に耐えきれず、大鷹の式神は霧散し、核となる呪符が千切れる。
「ワンッ……ワンウワン!」
剣呑な気配を察知して、番犬の式神が駆け寄ってくる。その様子から、ミナズキは追っ手がまだ邸宅にも来ていないことを理解する。
「……でも、どれだけ猶予があるなんてわかりはしない」
ミナズキは、三枚の呪符をふところから取り出し、呼気を吹きかける。霊力のこもった札は、宙を回転し、新たな三匹の番犬へと変じる。
「四方を見張って!」
ミナズキは、もとからいるのを含めた四匹の番犬に命じる。式神たちは、指示に従って、それぞれ敷地に散っていく。
術者当人であるミナズキは、靴をはいたまま、土足で邸宅へとあがる。途中、つまずきそうになりながら、奥へと急ぐ。
「この屋敷とも、今日でお別れかしら……」
ミナズキの胸中に、ふと郷愁が満ちあふれる。
物心つくころから、養父とともに、この邸宅でミナズキは暮らしてきた。養父が失踪したあとも、引き継ぐように一人で……
「はあ……はあ……ッ!」
短時間で霊力を使った疲労から、ミナズキは軽く息を切らす。
それでも長耳の符術巫は、屋敷の奥にたどり着く。そこに、大切にしまっていた匣を取り出すと、ふたを開ける。
「……あぁ」
ミナズキは目を細め、嘆息をこぼす。匣のなかには筆とすずり、幾ばくかの霊墨と霊紙、そして厚い呪符の束が納められていた。
大量の呪符は、ミナズキが幼いころから養父に修練として課せられ、毎日、少しずつ描きためていたものだ。
養父がいなくなってからも、ミナズキは習慣として、毎日の呪符づくりを続けてきた。いまなら、その意味がわかる。
「父上は、こうなったときのために、此方に……」
ミナズキは、いまにも泣き出しそうになりながら、包み布に霊墨と霊紙、なにより数多の呪符を移していく。
「ガウッ! ガルル……ッ!!」
邸宅の西側──宮中の方向から、番犬がうなり声を吠える。ミナズキは、追跡者の接近を知る。
ミナズキは、最低限の荷物をまとめた包み布を肩に結びつけると、慌てて屋敷の裏側へと周る。
「ワン……ウワンッ!!」
今度は、正門のほうから番犬の吠え声が聞こえた。続けて、人のざわめきが響く。
ミナズキは、邸宅の裏口へと移動する。番犬の式神が一匹、控えているが、すぐに戸は開かない。
「急々如律令──ッ!」
ミナズキは、四枚の呪符を放つ。呪紋を描きこまれた霊紙を核として、そこにはミナズキと全く同じ姿をした式神が顕現する。
「行きなさい!」
自分の分身に、ミナズキは命じる。術者と瓜二つの式神たちは、本人の代わりに木戸を開き、裏口から路地へと出て、四方に散る。
「いたぞ、捕らえろ……!」
「こっちだ、誰か来てくれ……!」
方々から、追跡者の声が聞こえてくる。正門側からは、番犬の式神と戦う剣戟の音が聞こえる。ミナズキは、三方の番犬を援軍に向かわせる。
→【変貌】
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