人に興味を持った理由

幼少期の私も何故?何故?星人でしたが、早いうちに親から『自分で調べなさい』と言われていたため、図書館へ行く、本を読むという方向へ行き、人に聞くという事が出来ない(してはいけない)もののように思うようになりました。

あと、何故?何?と感じても口に出さず観察するようになり、しかもガン見するので、もしかしたら色々なところで誤解されていたのかもしれません。

後から聞いた中には、意地悪や軽いいじめのような事も受けたようですが、私は『何故、この子はこのような事をするのだろう…?』が先に立ち、気づかなかったり、反応が普通と違う事に興醒めするのか、継続される事がなかったようなのも幸いだっただと思います。

そして大きくなっても不可解な行動や言動を目にすると『何故、この人はこの行動を選択したのだろう…』と感じて、考えてみる癖は抜けませんでした。

感情の発達がおかしかったのかもしれません。
この辺りは家庭の事情とかもあり、可能性はあるのですが、多くは私の気質だと思います。

そんなタイプでしたので、周囲の人からは常に何かを考えているように見えていたらしく、『趣味=思考』と言われるようになっていました。
また受け答えが冷静沈着に聞こえたのか、PCとあだ名されるようにもなりました。
周囲は知識やら対応力を褒めてくれているのは分かっていました。
有り難い反面プレッシャーでもありました。

また、そこから何処かで私は人間ではないように言われている感覚になり、私は人ではないんだ、人の姿をしてはいるが欠落した人間なんだ…という感覚を密かに抱えていく事になります。

ただ、この種になる出来事が、幼少期に姉に投げつけられた言葉と親からの告白によりあったのですが、それは両者の名誉のためにも問わずにいました。

これらが整理されていくには、意外と長い月日を要したように思います。

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