ひとつの終焉

2021年の春のこと。
人生で最も荒みきった春を迎えたわたしは、
自分自身を守る術をすっかりなくしてしまっていた。
自分の身に降りかかる酸いも甘いも全てを受け入れるーというよりかは、ただただ雨ざらしになっていた。
もしも私がブリキのおもちゃだったら、雨風に打たれて錆びついた心ですらも「アンティーク」という表現で片付けられてしまうのだろう。

自分のことはすっかり好きじゃなくなっていたし、
好きと言ってくれる人もいなかった。
とにかく毎日会社に行って、次々と湧いてくるやらねばならないこととやらなくてもいいのにやらないといけないとされていることをやって20時、最後に自分の上にだけついている蛍光灯を消して1時間半の帰路に着く。帰ってから寝るまで、起きてから会社に着くまではできるだけ頭を空っぽにして思考を止めること、疑問を抱かないこと、こうして“何か”に気づかないでいることに精一杯だった。

「世界が終わってしまっても私からずっと離れないでいて」
イヤホンから流れる可愛らしい声。
こんなわがままを言っても愛おしく思ってくれるような、大事にしてくれるような、わたしにそんな人は現れるのだろうか?
答えのない疑問を浮かべても、それ以上は何も感じなかった。

わくわくもどきどきももやもやも何もない、そんな世界で生きていたことがわたしにはあった。
1年半ほどの月日が経過した今は、気の合う友達や心許せる恋人、わたしの心を潤してくれるあたたかい存在に恵まれている。
ひとつ、終わったのだ。
今後は、自分の意思を、思考を、尊重して生きていきたい。

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