見出し画像

ぼくらはわかくてうつくしい


生温い風を切りながら歩く。
時刻は0時を回ったところ。
今日は仕事が終わるのが早かった。

一週間ほど前にイヤホンを壊してしまってからというもの、毎日のように風が直接鼓膜を揺らしてくる。遠くの方を走っているのであろう救急車のサイレンが空の上の方で鳴っている。同じような姿をした住居から漏れ出てくるテレビの音、街路樹の葉が擦れる音、青白く光る自動販売機の排気音、全てが混じり合ってゆっくり流れてくる。

そういった音を聴きながら、9時間近い労働を終えて完全に乾いた唇を舐めると木工用ボンドのような味がした。


「若いのは良いよ。若いってのは、本当に良いことなんだよ。」

少し悲しそうに、何かを噛み締めるような顔をして、最後に来たお客さんは私にそう言い残して帰っていった。

その表情が酷く印象に残った。

仕事の性質上、年配の方の話を聞く機会が多くなった。自分よりも一回り、二回り、なんなら三回りしてそこからさらに3/4回転して捻りまで加えたような人。

そう言う人達が、みんな口を揃えて言う。
若いことは良いことだ、と。
表情を見れば、それが外見や若さ故の表面的な美しさに対しての言葉ではないことは明らかで、
そこには下卑た感情も、羨望の色もない。
ただ懐かしむように優しく口角を上げ、
言葉の隙間に少し寂しそうな顔を挟み込む。

きっと、若さは死角にあるんだと思う。
近すぎると見えなくて、目を向けることもできない。歳を重ねると出てくる鏡にだけ映り、気づいてしまうと消えてしまって、消えてしまわないと気づけない。小学生が出すなぞなぞの答えみたいだ。

それでも若さに気づいて欲しくて、若さを無駄にして欲しくなくて、先人たちは忠告をする。

「遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。」
「1973年のピンボール」より

フワフワで可愛らしい白い猫は近づいてみるとコンビニのレジ袋(12号)だったりするし、描いていた未来は下書きのまま額装してしまって物置のどこかの段ボールに突っ込んである。

「若いって、そんなキラキラしたものじゃないと思うな。みんな結構、泥臭く生きてるんだよ。」

そんなことを思うのは多分、僕らが若くて美しいからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?