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「或る一日」


「ダサい人になりたくないんです」

そんな話をしていた。

ほんとは「かっこいい人になりたい」、と言いたい。
カッコ良く素敵に年を取りたい。
でもそれを言えるまでの実力も経験も、まだない。

だから、できるだけ「〜しないようにする」を徹底して、潰していく。今はそんな時期、まだ前段階。

ダサい/ダサくない は、相対的な評価だ。
集団内での相対的な位置付けでしか測れない。
だからこそ、色んな人を見て、上にいる「かっこいい人」を目指すことと下にいる「こうはなりたくない人」を参考に、自分の振る舞いに取り入れていくしかない。

そして、「〜したい」という能動的な意識よりも、「〜するのだけはやめよう」という受動的な意識の方が分かりやすく簡単で、かつ受け取りやすいのでそちらばかり取り入れそうになるが、あくまで現在地よりも下がらないことを目標としていて、保守的でネガティブな要素も少し含んでいる。なので、段階に応じて「〜したい/なりたい」の方にシフトチェンジしていくのが必要ではないか、と言う自論を展開していた。


「まあ、ただ」

と、頭の中をまとめるために接続詞を重ねる。


「相対的な評価である以上、上にいる人たちのレベルが上がれば自分の〈かっこいいボーダー〉も上がるわけで、それによっては私がかっこいいと思ってる人たちはもっとかっこいい人たちを見てる人からしたら全然ダサい訳だし、私がダサいなと思ってるラインが「全然ダサくないやん」ってなることもあると思うし、つまり、何が言いたいかって、これからどれだけかっこいい大人に出会えるかが重要になってくるんちゃうかなと思うんです、」

ジェスチャーと関西弁混じりの早口の敬語で、ぐちゃぐちゃになりそうになりながら私は言い終えた。

相手は優しくうなづきながら、私の長ったらしい自論を聞き終えた後、一呼吸おいてから言った。

『「ダサい人」「かっこいい人」の定義が人それぞれで、どれだけ良い人と出会えるかによって左右されるのとか、すごい分かるなあ』

邪魔せず、黙って最後まで聞く。
相手の意見を受け入れる。
反復して肯定する。

お手本のような、聴き上手な人の綺麗な返し。

『でも、』

そして、ここからが本題。

『やっぱり結局は自分が評価するものになるはずだよ。比べる対象が、他人ではなく自分になると、なお良いね。分かりやすく言うと、(去年と比べて自分はどうだったかな?)とかね。』

うーん、勝てないなあ。
一枚どころか二十枚ぐらい上手。
まあそもそも勝つ気もないんだけど。

「なるほど....評価軸を自分に持ってくる....でも最初はその自分の軸状に何もないから....自分が評価した他人の評価を持ってきて付け加えていく作業....?」

難しいですね、と雑に締め括る。

『もうすでに良い人に出会えているし、君はこれからもっと色んな素敵な人に出会えるよ、絶対に。』

別に根拠は無いはずなのに、括り直された言葉に妙に納得した。

例年より早すぎる梅雨明けに置いて行かれた雨が追いかけるように急足で降り出していた。

そんな或る日の話。

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