「出窓」の話
七月八日。
久しぶりに聞く蝉の声と首を振り続ける扇風機のゆるい風の音で目が覚めた。見慣れていたはずの天井が新鮮に感じる。
昨日は七夕。
コロナの影響で延期していたライブの公演日だったので、久しぶりに大阪に出向いていた。
住民票を移すのが億劫でまだ移していないので実家に色々な書類が届いている。取りに行くついでに泊まることにした。
終電で帰るから鍵だけ開けておいてほしい、とLINEをしたが母は駅まで迎えにきてくれた。
駅から家まで、歩いて20分ぐらい。二人並んで歩く。声を抑えながら、大はしゃぎで話す私と母の姿は側から見たらまるで中学生の部活帰りみたいだったと思う。
駅から家まで帰る道の途中に公園が二つある。
一つ目の大きめの公園の横を通っている時にふと目をやるとキックボードが落ちていた。
二十数年間私を育てた母が、次の私の行動を読めない訳がない。
即座に一言、「乗らないでね」。
もちろん満面の笑みで乗った。
(ちなみに想像の数倍乗るの難しかった。
単に私が運動音痴なのもあると思うけど。)
「こういうので怪我するんだよなあ...」
と呆れ顔で言う母の隣に戻って、また歩き出す。
『危ないモノ使うときとか、仕事中とかって意外と怪我しないよね』
「はしゃいでる時が一番怪我するからね、楽しい時こそ気をつけなきゃいけないんだよ」
確かに。
大きめの怪我した時って大体はしゃいでたな。
と、そんな話をしていたら二つ目の公園が現れた。散らばった年季の入った遊具の中で、コテコテの青で塗装された遊具が一つだけ異様な雰囲気を放っていた。
『アレ、こんな遊具なかったよね?』
「確かになかったかも、」
と、母が言っていたような気がするがすでに私は遊具の方に向かっていたのであまり聞こえなかった。
遊び方がよくわからなかったが懸垂するような感じだと思う。その不思議な遊具をよく観察したあと、腕を痛めそうな形状だと判断し、遊ばずに帰り道に戻った。
おかげで擦り傷一つなく、無事に帰宅できた。
....ということで冒頭に戻る。
久しぶりに実家に帰って、
今日は懐かしい自分の部屋で起きた。
私が出て行ってから取り替えたのであろう見慣れない地味な色のカーテンが揺れている。
その様子をぼんやり見ていると、引っ越してきたばかりの時のことを思い出した。
元々父の実家だった一軒家。
父の妹家族が住んでいたが、私の高校入学と、妹家族たちが引っ越すタイミングがほぼ同時期だったので、入れ替わるような形で引っ越すことになった。
二階には三部屋あり、その中で自分の部屋を選んでいいと言われたので、この部屋を迷わず選んだ。
三つの中で一番狭かったし、陽当たり的に夏は暑くて冬は寒い、道路に面している側なので車の音もうるさかった。
でも、この部屋には出窓があった。
一般的に、出窓は光を取り入れるために作られることが多く、部屋が明るく広く見えるのがウリだ。
と言っても最近はあまり見かけなくなった。
結露しやすいことや、夏には光が入りすぎて暑くなりやすいこと、あとはデザイン性(最近はシンプルモダン、フラットなデザインが流行りらしい)や予算の関係等、様々な理由ですっかり廃れてしまったようだ。
かくいう私も、日中はカーテンを閉めていることが多かった。出窓だけではなく、全ての窓に完全遮光カーテンを取り付け、朝も昼も夜もわからないようにした。
「朝起きてカーテンを開けて日の光を浴びて一日が始まる。」....を、真逆にしたような生活。
学校が無い日は夕方に起きて、日の光を見ずに夜を過ごして、明るくなり始めた頃に寝た。
朝起きなければならない日でも、日中はなるべく照明を落として過ごした。
じゃあ出窓がある部屋の意味がないじゃないか、と思うかもしれないけどこの不憫な窓の出番は夜、皆が寝静まった頃にやってくる。
カーテンを開け、白い電気スタンドのスイッチを入れる。スーパーの生花コーナーで売れ残っていた白い百合、白のレースのカーテン、電子ピアノの白鍵、暗い部屋の中で白が鮮明に照らし出される。
電源を入れ、青のランプが点滅したら、
ヘッドホンを着けて静かにピアノを弾き始める。
誰に聴かせる訳でもない下手くそなピアノを弾いていた。「習い事」として続くレッスンと練習が嫌いで早々に辞めたピアノ。
不思議なことに、中学卒業までピアノを続けた姉はその後一切楽器に触れることがなく、小学校の途中で辞めた私は、出窓のないアパートの一室で、今もピアノを弾き続けている。
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