【ネタバレあり】さらば、すべてのエヴァンゲリオン さらば、20年のサブカルチャー

書きたくなっただけ。Twitterに書くわけにもいかないのでこちらのほうにという感じです。つぶやき程度だと思ってください。

それなりにアニメシリーズや旧劇場版を見たうえでその考察ありきの感想という前提になっています。

シンエヴァに対しては、新劇場版の表面的なシナリオがどう完結するのか、なぜ新劇場版を作り直したのか≒なぜ新しい世界線へとシフトしたのかの2点が純粋な作品としての期待。そしてゼロ年代以降のサブカルチャーの基礎となった作品が20年の年月を経て区切りを迎えることに対して、ちゃんと見届けるのが礼儀だろうというリスペクトの意識で足を運びました。(下の敲では前述2点に関して記載)


新劇場版の表面的なシナリオがどう完結するのか

後先考えずにQで話広げた部分を、シンで最低限は回収してみましたよに対するアリバイ作りな印象。14年の空白期間を描く、シンにおけるサードインパクトを描くというのがノルマだったと思うのですが、本当にノルマこなしただけ。

具体的には、Qの中でシンジに対するアタリの冷たさに対しての理由付けが、空白の14年を描くことで納得感あるものに変化するということが必要だったわけです。いちおう理由付けして、アスカが「ようやく大人になれたじゃない」とかミサトが反省してみたりしたわけですが、アレで納得できますかって話ですね。いやいやシンジは変わらず14歳じゃんかと。14歳がまっとうに経験を積んで成長しましたねってだけで、あんな仕打ちを受ける理由にはなってないじゃんねと。

震災以後ということでQがあの形にならざるを得なかったという事情も理解はできますが、もう少し何かやりかたあったでしょとは思ってしまいました。まあ、本来アニメ版・旧劇で終わっていたエヴァで、新劇場版が出たこと自体がありがたいことではあるので、そこに難癖付けるのは失礼かなとも思います。


なぜ新劇場版を作り直したのか≒なぜ新しい世界線へとシフトしたのか

一番関心があったのはこちらでした。

人類補完計画がどうこうとか、世界線がどうこうという考察については、他のブログなどに任せます。(世界線という表現も適切ではない(ADVゲーにおける選択肢分岐のそれとは異なる)のは理解していますが便宜上ということでここはご容赦を)

表面的なシナリオとしては「襲いくる使徒を倒しきったあと、なんやかんやゼーレのシナリオ通りにエヴァ初号機にロンギヌスの槍を刺さってサードインパクト起きました」という話ですが、「愛を受けずに育ったキャラクターたちが、作中のキツい経験を通して各人のコンプレックスと向き合う思考の過程」を追うところに、エヴァシリーズの醍醐味というか本質があるわけです。

アニメ版においては、「肉体をなくして人類がひとつとなり、寂しさやコンプレックスのない世界を作りましょう」という人類補完計画を、その中心?意思決定者?となったシンジが、これまでの過去(経験)をもとに否定するという話になっていました。そして、アニメシリーズでは「他人のことなんて理解できないものだけど、それでも向き合うことを諦めない」という結論に帰着しました。

新劇場版を作るということは、その結論に対する否定(HipHopでいうところのアンサー)が生じるわけです。当時庵野氏が出した答えに、20年後の庵野氏がどうアンサーするのか、何が変わったのか、それを受けてサブカルチャーはどう転換するのかという歴史の転換点に立ち会えるのでは?という期待がありました。

では、どうなったのか?

シンでは、人類補完計画における答えを出す人間がシンジからゲンドウへと変わりました。そこで、ゲンドウはシンジとの対話の中で答えを導き出すわけですが、導き出した答えは、アニメシリーズから変わらず「他人のことなんて理解できないものだけど、それでも向き合うことを諦めない」というものでした。

じゃあこの新劇場版の完結を待った14年ってなんだったんですか?という話です。庵野なにも変わってないじゃん。新しいもの生まれてないじゃん。だったら序破路線で痛快バトルロボアニメで良かったじゃん。

特に'11の東日本大震災をターニングポイントにQで文字通り話が展開したわけです。人どうしが手を取り合って生きるためにつながり、インターネットによる新しいつながり方が生まれ、物理的なコミュニティから非物理的なコミュニティに帰属が変わった。LCLによりひとつになれるように、インターネットで人々はひとつになれるようになった。そんな転換をトリガーに出てきた答えが20年前と同じかよって感じですね。


結論

ある意味では、エヴァンゲリオンというコンテンツが支えた、人ひとりが持つコンプレックスへと深く潜ろうとするサブカルチャーが終焉を迎えたのではないかと感じました。それはつまり、日本サブカルチャーが約20年ほど答えを求めて向き合い続けたけれど、エヴァアニメシリーズで導かれた答えの先はないのだろうと。

エヴァが支えたこの時代が完結したこと。つまり、「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」ということなのでしょうが、まずはそのターニングポイントを見届けることができたことについては、過去よりバトンを受け継いだひとりの人間として意義深く思います。

サブカルチャーが醸造してきたインターネット文化が、いまや政治・文化といったメインカルチャーに大きな影響をもたらしています。

サブカルチャーはどこへ向かうのか。かつてエヴァがエポックメイキング的な役割を果たしたように、全く新しい思想が生まれ、新たな時代が築かれることは必然のように感じます。さらに悲壮的な時代へと潜っていくのか、同じ阿呆なら踊らにゃ損損な時代に転換するのか。これからの新世紀創成の意思決定者は、碇シンジではなく我々になるのかもしれません。

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