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SUPER EIGHTの曲は普遍的に元気の源であると再認識した話。

私は8BEATの円盤を見るのが大好き。

overtureではコロナで立ち止まった関ジャニが走り出す。

リライブするまでの道のりという意味でroad to reliveをコロナ禍の活動で掲げていた関ジャニが、road toとでかでかと画面に出た後に、その文字を背負いながらコロナ禍にファンと一緒に作ったRe:LIVEを一番最初に歌いながら出てくる。

私はその、今までの過程とその演出が融合することで感じる人にはより深く感じられるものになるオープニングがとっても好き。

嬉しそうにファンを見てくれる関ジャニがとても好き。

何度でも立ち上がって その笑顔が見たくて

そう、歌いだしで歌ってくれる関ジャニ。
Re:LIVEの歌詞はコロナ禍での関ジャニとエイターの状況がとても反映された曲だと思う。

昨年、ジャニーズがめった刺しにされた。
ジャニーズのタレントには少なからず繊細な人格を持つタレントさんがいると思う。何ならほぼそうじゃないかなと思ったりもしている。タレントたちが自らの命や活動をあきらめないでくれた事、とても奇跡だと思う。感謝してもしきれない。

そんな記憶や感情がおたくの中で新鮮である今、ライブの円盤を見ながら聞いたRe:LIVE。

名前のない理不尽の雨が降る
目の前の ’日常’ を奪おうとしているけど

という歌詞がこの瞬間にも、とてもマッチする。

正しい理由、誰もわからないでしょう?
信じてくれた、勇敢なエイターをエイトが連れだすよ

そうやって歌詞を変えて歌ってくれる安田君。

あの時はコロナでどうなるのかわからない中で、6人から5人に変わったばかりのエイトであった状況の中で、それでもエイトを応援しようと信じて関ジャニについていったエイターをエイトがもっと楽しいところに連れていくよ、という意味。

そして、ここには5人の名前が入っている。とても大事な歌詞。

さて、
'被害者の会' が正しいとされる理由なんて、ほぼ詐欺じゃんとか思っていた私にとってはわからないし、ましてその’被害者の会’が100歩譲って正しく被害者だとしてもタレントが矢面に立たないといけない理由なんてないし、名前を変える羽目になる理由なんてないし、仕事を奪われていく理由だってない。

正しい理由なんて誰にも分らない。

正しくないのに、ジャニーズになれなかったおっさんたちによってジャニーズが蹂躙されていく様子はオタクにとってつらかった。

白黒つけたい性格の私からしたらとてもむしゃくしゃする出来事で、だいぶ根に持っているし、裁判所と警察出て来いよ。おい、司法国家、機能しろよおい。と思っている。

でも、この歌詞を聞いて、作ったときには時期的にもそんな意味を持った歌詞ではないことは百も承知であるが、そっか、正しい理由も誰もわからないのか、私は関ジャニを信じてついていく気持ちを持っていればいいか、なんてちょっと軽い気持ちになれた。

その次のセトリのズタボロ問答もそう。

複雑に考えるから毎度のことに心すり減らす
お前が好きだと投げつけてやれ
後はよろしく 野となれ山となれ

シンプルにそう。
私が考えたってどうにもならない。
安田君が好き。その気持ちで関ジャニを応援するのみ。

1から10までのご意見にありがたいけど見失ったなら
『えーいじゃかぁしわーい』とひと叫びして
背負え十字架 己を突き通せ

あの時、いろんな人が偉そうに保身のための持論展開をしてくれた。
確かにうるせえ。あの時の私に必要だった気持ちは『えーい、じゃかぁしわーい』の気持ちだったらしい。

3年前のアルバムに入っている曲に、3年前のライブに、今のこの気持ちを救ってもらえるとは思わなかった。

今日は、何か心を救って欲しくて見たわけじゃない。単に楽しい時間を過ごしたいと思って暇だったから作業BGMのために着けていた8BEAT。

思ってもみない作用があった。

関ジャニの曲は普遍的に心の支えになる楽曲ばかりと改めて認識した。

わざわざ自分から依存にも近いほど心の支えにしているものを手放す人がいるだろうか、いやいない。(反語)

つまり、私は関ジャニ、、SUPER EIGHTのオタクでいないと生きていけない。

愛をこめて。

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