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『ただいま』大好きなおじいちゃん


私の大好きな祖父について、ここでは『じいちゃん』と呼ばせていただきます。

『ただいま』

私が小学校3年生のとき、家に帰ると、
いつもじいちゃんが待ってくれていました。

当時、じいちゃんは大きな病気を抱えており、
入退院を繰り返していました。

そのため、補助器具の使用なしでは歩けなかったり、スムーズに喋れなかったりと、日々、その病気と闘っていました。

それでもいつも、宿題の音読やリコーダーを聞いてくれ

『夏葵は音読がうまいのう。』

と言って、嬉しそうに、震えた手で一生懸命、保護者のサインをしてくれました。

数ヶ月たち、じいちゃんはまた入院することになりました。

毎週木曜日のスイミングの前にお見舞いに行き、
じいちゃんのペースに合わせて、ゆっくり、ゆっくり、その日あったことを話したりして、家族での時間を過ごしていました。

ある日の夜、

病院から、『じいちゃんの様子が急変した』
と、電話がありました。

急いで病院に向かいましたが、

今までも何度も同じようなことがあったため、

今回も大丈夫だろう

心のどこかでそう思っていました。

病院につくと、じいちゃんの容態は安定しており、命に別状もありませんでした。

しかし、じいちゃんの体は、見たこともないような大きな機械に包まれており、

それらは、喉にあいた大きな穴に繋がっていました。

2日前に話したじいちゃんは、もう二度と会話ができない状態になってしまいました。

私たちは、五十音のひらがな表をつくり、指さしとまばたきでコミュニケーションを取り、

退院したらハワイに行こうね

そう約束を交わしました。

その年の5月23日

私は10歳の誕生日を迎えました。
その日は、親戚みんなで集まり、私の誕生日会を開いてくれていました。

大好きなイチゴのケーキが出てきて、私は幸せな気持ちいっぱいで、ロウソクを消しました。

おばあちゃんが、みんなのためにケーキを取り分けようと、ナイフを入れた途端

電話が鳴りました。

とても胸がざわつきました。

じいちゃんが危ない

病院からでした。

私たちが病院に着いたとき、とても苦しそうでしたが、じいちゃんは一生懸命生きていました。

もうこれ以上頑張らなくていいよ

その大人たちの言葉の意味が、10歳の私にはまだ理解できませんでした。

じいちゃんは、もう目を開けることはありませんでした。

じいちゃんは、孫の中で唯一女の子だった私をとても可愛がってくれていました。

思春期だった私は、そんなじいちゃんを、心の中で少し面倒くさいと思ってしまい、
優しくしたり、感謝を伝えたり、当たり前のことが何一つできていませんでした。

じいちゃんがいなくなった今、
頭の中に浮かぶのは、大好きなじいちゃんの記憶ばかりなのに、

じいちゃんの頭の中には、私はどんなおじいちゃん孝行の思い出を残してあげられたんだろうと思うと、

どうしようもない後悔がめぐります。


じいちゃんはきっと、何かを伝えたくて
私の誕生日を選んだのだと思います。

今でもたまに夢に出てくるじいちゃん。

私のことが大好きなじいちゃん。

今もきっとすぐそばで見守ってるじいちゃん。

私が大好きなじいちゃん。

ありがとう。

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